偏平足

里山の石神・石仏探訪

石仏519馬居沢・秋葉山(群馬)

2014年05月30日 | 登山

馬居沢・秋葉山(あきやさん) 十二天(じゅうにてん)

5190 【データ】馬居沢・秋葉山 861メートル▼国土地理院25000地図・荒船山(地図に山名無し。馬居沢の南南西、861ピーク)▼最寄駅 上信電鉄・下仁田駅▼登山口 群馬県下仁田町東牧野の馬居沢集落▼石仏 秋葉山南のピークの尾根。地図の赤丸印、青丸は山頂・御嶽三座神

 【案内】十数年前に秋葉山に登ったときは、馬居沢集落の先にある上水道施設の先から沢沿いに登った。今回はさらに上流の不動橋から入った。
5191 5192 右岸をしばらく登ると、「不動慧童子」などの石仏が並ぶ岩の基部に着く。この先の尾根が秋葉山の取り付きで、沢の対岸にある林道には不動明王=上写真右=を祀った木祠があり、登山目的ならここからも入れる。岩尾根の西側、岩屋に祀られた不動三十六童子の文字塔を見ながら登ると尾根に出るが、岩峰なので尾根通しには登れない。踏み跡も消え、三十六童子の文字塔も見当たらなくなるが、尾根の西側の獣道を利用して登ると秋葉山の南の鞍部に出る。左が秋葉山の山頂で、道がはっきついている。ここに案内する十二天は右に入った小さな尾根の先端に大黒天とともに祀られている。5193 5194 十二天は半分に割れて、片割れは倒れていた。
 十二天は四方(東西南北)四維(北西・南西・北東・南東)の八方を守護する八方天、上下の二天、日天・月天の十二の天部、つまり東・帝釈天、東南・火天、南・焔魔天、南西・羅刹天、西・水天、西北・風天、北・多聞天、北東・伊舎那天、上方・梵天、下方・地天、日天、月天である。秋葉山では「伊舎那天、帝釈天、火光天、焔魔天、羅刹天、水雨天、吹風天、多聞天、大梵天、持地天、日天子、月天子」となっている。十二天は屏風や掛軸などに描かれたたものが多い。密教修法では、修法の場所にこの屏風を立て、その場を守護するために使われたという。しかし、これが庶民の信仰として広がった形跡はないようで、秋葉山に立てられた背景もわからない。
5195 秋葉山の山頂には御嶽三座神が立つ(不動三十六童子は次のブログ馬居沢・秋葉山番外で案内する)。なお山名・あきやさんは地元の人の呼びかたに倣った。

【独り言】十二天を案内するとき、東の帝釈天から始まるのが定番のようです。手元にある石仏案内、仏像案内書のほとんども東の帝釈天からです。東西南北という語彙からして、東から始めるのは当然のことなのでしょう。仏像の姿を示した儀軌の十二天のほとんども、東方帝釈天から説明されているようです。しかし、この秋葉山の十二天は北東の伊舎那天から始まっています。どうしてだろうと、頼りにしている江戸時代の『仏像図彙』を開くと、こちらは地天から始5196 まっていて、並びの意図は不明です。さらに書棚を探してみると、平成7年に東京・世田谷美術館で行われた「東寺国宝展」の図録=写真=に、秋葉山と同じ伊舎那天から始まる十二天が載っていました。作品解説には「国宝十二天屏風 六曲一双 鎌倉時代」とありました。六面からなる屏風で、双ですからこれが二つで一組ということで、面は12。これに十二天を描いた屏風ということになります。その始まりが伊舎那天でした。伊舎那天は北東の守護。北東は鬼門、まず鬼門から、という意図なのでしょうか。

 

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