偏平足

里山の石神・石仏探訪

石仏947伊豆・高野山(静岡)善膩師童子

2021年01月08日 | 登山

伊豆・高野山(たかのさん) 善膩師童子(ぜんにしどうじ)

【データ】 高野山 200メートル(国土地理院地図に山名無し。八木山集落の西、林道側の寺院印▼最寄駅 伊豆箱根鉄道・修善寺駅、伊豆急線・下田駅▼登山口 静岡県松崎町八木山▼石仏 寺院印一帯の岩の基部、地図の赤丸印▼地図は国土地理院ホームページより



【案内】 西伊豆・松崎の街の東、八木山集落の奥に高野山石仏群と称されている山がある。そこは国土地理院地図にも寺院として明記され、谷間の岩壁の間に寺が建立されていた。寺の歴史は不明だが、岩が重なりあう隙間に祀られた石造物の紀年銘から、江戸時時代末期から明治にかけて信仰があり参拝者があったようにうかがえる。しかし今は寺院も廃墟となり、残された石造物から往時の繁栄を偲ぶだけである。

 石造物のなかで目を引くのが毘沙門天三尊像。正面に毘沙門天、脇侍として吉祥天と善膩師童子を従えたこの三尊石仏は珍しい。三尊の関係を簡単に説明すると、毘沙門天は四天王の北方の守護・多聞天であり、単独で祀るときは毘沙門天となる。その妻が吉祥天で子供が善膩師童子とされている。毘沙門天は右手三叉戟、左手に宝塔をのせる像容が一般的で、吉祥天は宝珠、善膩師童子は宝莒を持つ。平安時代末期の仏教図像集『尊容鈔(十巻抄)』には、毘沙門天の五太子として、最勝・独健・那・常見・善膩師の名がある(注)。毘沙門天三尊には末の太子が選ばれている。
 高野山の毘沙門天は右手に三叉戟を持ち、左手は欠けている。邪鬼を踏み、高さは46センチ。脇侍は26センチで石造物としても小さな三尊だ。吉祥天は宝莒(ほうきょ)を持つが頭部が欠けている。善膩師童子も宝莒を持つ。同じような像容の脇侍だが、吉祥天が豪華な袖なのに対して善膩師童子は大人しくまとまてある。どのような背景からこのような三尊が造立されたかはわからない。台座には「峯/天祥院」銘がある。峯は登山口の八木山であり、天祥院は八木山の先にある臨済宗の寺である。
(注)佐和隆研編『仏像図典』昭和37年、吉川弘文館



【独り言】 高野山の石仏群のメーンは重なり合う巨岩の隙間に祀られた十三仏でした。初めに出会うのが不動・釈迦・文殊。このなかの釈迦に「安政五年(1858)峯村講中」銘があります。次に普賢・地蔵・弥勒。弘法大師が祀られた岩の裏側に薬師・観音・勢至、その奥にの岩の基部に阿弥陀、阿閦、虚空蔵。大日だけに弘法大師の近くに一体だけ祀られていました。


 弘法大師は岩場の奥の大きな岩穴に鎮座していて、その前に立つ僧形像の台座に「紀州那賀郡粉川村」から始まる銘がありました。一部分しか読めなかったのですが、安政四巳季(1857)に村内安全を祈願して大師像を納めた、というような文言のようです。伊豆には修善寺をはじめ、弘法大師伝承が各地にあります。また紀州とのつながりを伝える伝承も多く、このブログの伊豆・二本杉峠では江戸時代の天明の頃尾鷲の人が紀州の炭焼きを伝えたこと、伊豆・高根山では紀州の船主が道標を立てたことを案内しました。

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