答えは身体が知っている

セラピスト兼アスレティックトレーナーが自分の好きな事や日々感じた事を書く、息抜きブログ

幸運を呼ぶ猫 みぃちゃん

2011-02-26 20:51:37 | 日記
先日の休業日、
東京でピラティスの体験レッスンを1時間受けた後、
四谷3丁目から四谷赤坂見附を経由して
紀尾井町市ヶ谷神田お茶の水駅と歩き、
高崎に帰ってから幸運を呼ぶ猫みぃちゃんに会いに行った。

そもそも、みぃちゃんのことを初めて知ったのは、
テレビ東京の「だいすけ君が行く! ポチたま新ペットの旅
という番組がきっかけ。
初めは「おや、高崎か~。」と思っただけだった。
みぃちゃんを拾った高橋さんの一家に、
次々と幸運がやって来たというお話で、
みぃちゃんが来てから
なかなか子供の生まれなかった高橋さんの息子さん夫婦に
子供が生まれたというだ。
その息子さん一家の写真がテレビ画面に映ったのだが、
そこにはよくよく知っている顔があった。
その息子さんと言うのは、
私が理事として加わっている
群馬スポーツサイエンス研究会の事務局を務めている
高橋健太郎さんだった。                       ※1
高橋健太郎さんは、
スポーツ科学の一分野である身体運動学の研究者であり
群馬工業高等専門学校の准教授である。

高橋健太郎さんの実家が電気店であるとは知らなかった上に、
そこの看板猫がテレビで紹介されていたのだ。
さらに、みぃちゃんは新聞・雑誌などいろいろな媒体で取り上げられ
大変有名で人気のある猫ちゃんなのだそうだ。
テレビを見たときは、本当にびっくりした。

と言うことで、
いつかは会いにいこうと考えていたみぃちゃんを訪ねた。

田町交差点そばのダイイチストアーに、
みぃちゃんはいる。
ちょうど電機ヒーターのリモコンスイッチの電池が切れていたので、
お店で即単4電池を購入。
会計をしてくれた奥さんに、
実は息子さんとこれこれの間柄のものです、
猫に会いに来ましたと伝えると、
奥のソファーに案内されコーヒーを勧められた。
みぃちゃんは棚の上の専用の“ベッド”で寝ていた。
容姿端麗、スタイルの良い美猫。
そばを通る時にちょっとみぃちゃんの背中をひとなで。

奥さんはとご主人と3人で
ソファーに座っていろいろと話をした。
みぃちゃんは大人気で、毎日何人もの人が会いに来るのだとか。
ソファーにお客さんが座っていると、
その膝の上に自分から乗ってくるのだそうだ。
しかし、みぃちゃんは眠っている。
そのうちに、ご主人が用事があるのでと席を立ち、
時刻も7時になるので私もそろそろと立ち上がりかけたが、
どうぞ遠慮なくゆっくりして下さいと言われ、
2杯目のコーヒーを飲み終えたら帰ろうと思っていたら、
みぃちゃんが起き出してきて、
床に降りて近づくと、ひょいっと私の膝の上に乗った。

しばらく背中や頭をなでたり、指先で掻いたりしてやっていると、
いっこうに膝から降りようとしない。
それどころか、こちらを見上げて、催促するような顔つき。
と思えば、身体を捻って上半身仰向けになって
甘えるようなポーズをとる。

これは、凄い!凄すぎる!
人なつっこいだけでなく、
触られたりなでたりするのも平気で、
こちらの心理を知っているのかと思うくらい、
かわいい仕草で甘えたりポーズをとったり。
根っからのアイドルタレントだ。
こんな猫は見たことがない。
奥さんに聞いてみると、
カメラマンの撮影にも嫌がらず、おとなしく何時間もつき合うそうだ。

猫好きな方、幸運を呼びたい方は、
会いにいくと良いと思う。
絶対にその価値がある。
少なくとも、幸せな気持ちになる。

ついつい、1時間も長居してしまったが、
健太郎さんの知り合いだとわかると
電話で健太郎さんと連絡を取ろうとしたり、お土産をくれたり、     ※2
とにかくご主人夫婦もいい人たちだった。



※1 高橋健太郎さん

バレーボール男子日本代表のアナライズを担当したり、
2009年ブラジルで行なわれた世界剣道選手権大会で
日本代表コーチを務めた。



※2 電話で健太郎さんと連絡を取ろうとした

日本代表の合宿で東京にいるということだった。
恐らくここで言う日本代表とは、剣道の日本代表だろう。

ある休日

2011-02-26 18:19:10 | 日記
午前11時からアコア
ピラティス体験レッスンの3回目を受けた。
これで、体験レッスンは終了した。
船引トレーナーの今回のレッスン(セッション)は、
座位で胸の下にセラバンドを巻いた胸式呼吸の練習したり、
座るところが揺れ動くイスを使って骨盤を動かしたり、
様々なエクササイズをやった。
考えてみると、3回のレッスンでは、
毎回違うエクササイズを行ない、
そのバラエティの豊かさに驚かされた。
正式に入会して2週間後に、
プライベートセッションを予約した。

せっかく、東京に出てきたので、
ブラタモリ」に出てきた場所を巡ろうと画策。

初めに、四谷3丁目駅で地下鉄を降りた。
専門学校時代から東京・町田で開業していた時代(1990年代)に
よく参加していた勉強会が主催されていた鍼灸院のあった場所を      ※1
訪ねることにした。
地上に出る出口も覚えていなかったけど何とかそれらしい通りを見つけたが、
どのビルであったかわからない。
しばらく、その周りをぶらりと歩いた。

その後、四谷駅まで歩いていき、
地下鉄やJRの線路、駅の周囲の建築物などを眺めた後、
上智大学の手前で右に曲がり、
ソフィア通り脇の土手に上って歩いた。
ここから、上智大学の運動グラウンドを見下ろし、
江戸城のお堀の跡であることを目で確認し、
ブラタモリ」ならぬ「ブラサトウ」と決め込んだ。
そのまま、土手を歩いて行き、
初めてホテル・ニューオータニを見た。

さらに迎賓館外堀の跡にそって歩き、いつのまにか赤坂見附へ。
いや、赤坂見附に続いていることさえ知らなかった。
赤坂見附と言えば、
10年以上前に東京国際女子マラソン
大会トレーナーを務めた時、
選手村とトレーナールームが置かれた(宿泊もした)のが、
当時の赤坂プリンスホテル
2Fのカフェ?で朝食を摂っていたら、
斜め向いの席にランディ・ジョンソン選手がい。            ※2

本当は、「ブラタモリ」と同じく、
お茶の水駅の方に行きたかったのに、
これでは方角が違うのではないか?
と、東京の地理をほとんど知らない僕は焦った。

その後の主なルートと見かけた主な建物は、
紀尾井町を通り、
麹町から市ヶ谷駅へ。
途中、日本テレビ(麹町ビル)を見た。
これも初めて。
市ヶ谷駅に着く頃には、少し気持ちが挫けかけてきた。

市ヶ谷駅前から靖国通り沿いに歩き、
靖国神社も初めて見た。
まあ、こんなとこは来たいと思ったことは一度もないけど。

武道館前の坂を下りかけたところで、
大きな建物の前に数十人が建物の方に向って立っていた。
時々、何か大きな声が聞こえて来るし、
テレビカメラらしきものも1台撮影していた。
しばらく後で、インド大使館前だったことを知った。
何かの抗議行動か?

さらに、靖国通りを進み、神田の古書店街の中に。
神保町の交差点辺りで、女子マラソンの吉田香織選手に遭遇。       ※3
声をかけようかとも思ったが、
携帯電話で話しながら誰か(コーチ?)
あるいは何処かを探している様子だったし、
私も帰りの時間が気になってきていたので、
声はかけずにそのまま歩き続けることにした。

靖国通りから左に折れ、お茶の水駅へ向った。
お茶の水駅周辺も「ブラタモリ」したかったのだが、
もう3時間以上も歩き続け4時を回っているので断念!
そこから電車にのって上野駅経由で高崎へ帰った。

東京を歩くと、思いもしなかった人や会社・建物に
遭遇するものなのだなあ。

高崎に着くと、思いの外足の疲れを感じなかった。
そこで、いつかは行こうと決めていた電機屋さんダイイチストアへ行き、
看板猫であり、幸運を運ぶ猫みぃちゃんに会いに行くことにした。
ちょうど、リモコンの乾電池が切れていたので、買い物ついでに。

みぃちゃん、凄い!
でも、この話の続きは次回に。


※1 勉強会が主催されていた鍼灸院

勉強会は「黄帝内経研究会」といい、
中島先生と言う方が主催されていた。
先生は、15年前に既に亡くなり、
そのため鍼灸院も廃業していて、今はもうない。
ちなみに同名の治療院が東京練馬にあるが、
この会とは無関係(だと思う)。


※2 ランディ・ジョンソン選手

言わずと知れた、メジャーリーグを代表する投手(だった)。
通算303勝を挙げた。左腕。



※3 女子マラソンの吉田香織選手

彼女が高校3年生の冬(2000年3月)、
世界クロスカントリー選手権大会のジュニアの部に
日本代表に選ばれ出場した。
その時、私は日本チームのトレーナーを務めた。
彼女は高校も進学校だが、
話してみても頭の良さや積極性が感じられる子だった。
その時の世界クロカンでは、
日本女子ジュニア代表の中では一番上位の成績を収めた。

大相撲八百長問題ではここまでやれ!

2011-02-08 12:39:15 | 世の中・ニュース
大相撲八百長問題
メールで名前が挙がりながら、
八百長問題への関与を否定している力士が14人中11人。
そのうち、自分もメールでやり取りしながら
否定しているのが1人。
これでは、力士に正直な告白を期待するのは無理
八百長問題するような奴らは、やはり芯から腐っているてことか。

携帯電話の提出を求められても、
壊れたとか機種変更したとか、
飽くまでもシラを切ろうとする。
強制力がないと調査など無意味であろう。
しかあい、特別調査委員会にも大相撲協会にも
力士達に強制はできまい。
恐らく法的に無理なのと、
無理に提出させても
恐らく壊れたとか、無くしたとか、機種変更したとか
証拠を出さないだろう。
また、親方などが自分の部屋の力士から携帯電話を取り上げたとしても、
後で訴訟も起こされるだろう。

もちろん、大相撲協会にも問題がある
これまで『週刊現代』で八百長問題疑惑を何度も取り上げられながら、
調査さえせず
裁判所に訴える
週刊現代側の敗訴決定=裁判所にも大いに問題あり!
自分が現役時代も八百長に関与していたり、
少なくとも見聞きしていたり、
噂ぐらいは聞いていたりしたはずの親方衆が、
平気でシラを切ってきた(無気力相撲などとは笑わせる)わけだから、
これでは現役力士達が自分がクビどころか除名されるの覚悟で
正直に白状するとは思えない。
八百長をやっていたのに、
ウソついていた(いる)連中(親方衆)の言うことなんか聞けるか!って
現役力士達は当然思うよね。
(まあ、僕は大相撲には愛想を尽かして、
 もう10年以上相撲を見ていないけどね。)

それでは、どうしたら良いか?

僕だったら、大相撲協会は一旦解散。
全力士を解雇する

その上で、新協会を設立して全事業を移管し、
全力士について一人ひとりの取り組みを検証し、
八百長問題の疑いの薄い者だけ新協会で採用させる(入門させる)
親方年寄)衆も現役時代の取り組み等を検証し、
またその弟子がクリーンであった者だけを採用する。
新協会理事は、今の理事の大半(3/4くらい)に引退させ、
新たに選び直す。
その際当然外部から理事を(1/4)くらい入れる。

こうして、理事親方(年寄)力士
クリーン度の高い者だけに絞って
新協会でやり直させ
れば、
これに懲りて10年は八百長問題が発生することはないだろう。
国鉄からJRへ、電電公社からNTTへの移行では、
組合活動家や会社に都合の悪い者を排除していった国なのだから、
大相撲協会も解散、新協会への移行に伴う採用で選別すれば、
「疑わしきは白(罰せず)」などと生温い決着で終わらせず済むし、
法的にも問題ないんじゃないかな?

今の理事長放駒親方は、
現役時代から好きだった人だし、
あの北の湖や武蔵川親方とは違って
改革しようという意欲は感じるが、
それでも八百長力士を洗い出すことは無理だろう。

日本社会は病んでいる!?

2011-02-05 15:48:35 | 世の中・ニュース
うちに足掛け6年通っている方(男性40歳代)がいます。
うつ病を20年以上に渡って患っています。
その方(さん)の病状の変化など、いろいろと伺ってきました。

ある程度大きな規模の会社の工場勤務でした。
(中規模の会社かと思うが、親会社のグループは大企業。)
さんは時々病状が悪化しましたが、
そう言うときには医者や会社の上司と相談し、
3~6ヶ月くらいの長期の休みをもらうことが何度もありました。        ※1
そうした休みを何度も許すどころか勧めることもあったようなので、
うつ病の患者に対して理解がある会社なのかと思いました。
しかし一方で、さんに聞く直接の上司の言動は、
うつ病患者さんに対する理解があると思えるものではありませんでした。

一昨年にまた病状が悪化した時、
さんは6ヶ月の長期の休みをとりました。
その休みが終わる頃、上司が
「たびたび休むくらいなら、もっと休んで治療をしないか?」
というようなことを言い、
休みを延長させられたそうです。
(長くうつ病を患っていて、延長すれば治ると言うものではない!)
そして、そうやって延長を重ね、
いつの間にか2年間も休むはめになったそうです。

2年間の休みの後、職場復帰をしようとしたところ、
今度は工場の細かい取り決めどおりに動けるか
テストをされることになったそうです。
そのようなことを言われれば、不安感が募り、
通常であればできることも上手くできなかったり
ど忘れしてしまったりすることになりやすいと思うのですが、
こうしてテストでは失敗し、
外部の機関で職業訓練を受け、
その後にまたテストをすることになりました。
話を聞く限り細かい手作業であるけれども
単純作業の訓練を受けさせられ、
その様子を聞くと知能障害発達障害などのある者へ
対応しているかのように感じました。
うつ病はそれらの傷害とは全く性質が違うのに。

結局テストは不合格でさんは退職を勧めらたそうです。
しかし、勧めたとは名ばかりで、
休職の延長(長いブランクを作らせる) → 工場の作業をテストする
 → 不合格 → 職業訓練(自信喪失させる) → 退職

というシナリオができていたように感じます。
うつ病の治療効果に関係するとは思えないのに
わざわざブランクを作らせ、
そしておいて作業手順のテストを受けるよう
プレッシャーを与えるようにしながら(「できなければ退職」)言い渡す。
テストの受けさせ方や退職の勧め方が威圧的で、
退職を意識させることでプレッシャーを与えるやり方を聞くと、
うつ病患者への理解と配慮は全く感じられません


大きな企業には大きな社会的責任があると思うのに、              ※2
今の日本の企業は(企業の中間管理職を含め管理職は)
社会的責任を認識しているとは思えないし、
社員を守る気概も感じられません。
そうした企業が日本の経済を牛耳り、
ひいては政治・行政をもミスリードしていっている現状は、
日本は病んでいる!」と言わざるを得ません。

全国での多数のタイガーマスク伊達直人)の出現は、
そうした病んだ日本(企業・政治・行政)に対する
個人の抵抗・意思表示でなのでしょう。



※1 Sさんは時々病状が悪化し、3~6ヶ月くらいの長期の休みをもらう

そうした期間も、Sさんは毎月うちには通っていました。


※2 企業

企業とは、字のごとく「(産)業を企てる」のであり、
社会を豊かにしたり社会に役立つ存在になることを企てる機関である。
利益は目的ではない、手段である。

アスリートの飲酒

2011-02-05 14:53:02 | スポーツ全般
昨日、大学時代の友人達と酒を飲んだ。
私にとって陸上部の仲間でもあった友人が
カンボジアに行くのでその壮行会であった。
JAL客室乗務員であった彼女は、
昨年退社(彼女の言によれば自主退社)して
誘う方があってカンボシアでの事業に加わるということらしい。
彼女の成功を祈る。

本題は、実は上記のことではなく、
酒を飲んだということである。

私は年間に10日前後しかお酒を飲まない。
同窓会や関係する団体・会合の懇親会などでしか飲まない。
若い頃でも週に1~2日飲みに出るくらいであったから
元々そう飲む方ではないが嫌いなわけでもない。
それが、この8日間で3回飲む機会があったのある。
その3回とも飲んだ翌日は身体がだるい、
お腹(胃の辺り)が重苦しい。
筋肉が張っている。

飲酒の翌日にこうなることは、
特に最近に始まったことではない。
若い頃だってそうだったのである。
現役の陸上競技選手だった大学時代だって
飲酒した翌日は上記の症状があったのである。
とにかく全身の筋肉(内蔵も筋肉である)が張って
重苦しかったのである。
それでも陸上の練習(特にロングジョッグ、LSD)をしていると
だんだん”走れるモード”になって
あまり身体の重さを感じなくなった。

では、ランニングによって飲酒のダメージから
身体が回復したのであろうか?
ランニング後はランニング後よりも身体が楽にはなるが、
完全回復という感じにはならなかった。
つまり、飲酒後の2~3日の練習は、
競技力を向上させるためのものになっていたかと言うと、
恐らくそうはなっていなかった

酷い二日酔い後などは、もっと回復に日数がかかった。

もうお分かりだろう、
飲酒はアスリートにとって良いモノではないのだ!
むしろ敵と言っても良い

若く体力・気力があり、回復力もあるうちは、
飲酒によるダメージを過小評価してしまうが、
真のアスリートなら小さなマイナスなどと片付けず、
飲酒を避けることを選ぶであろう。
特に、大金や生活のかかるプロフェッショナルや
体力・身体コンディションの優劣が大きく影響する競技では、
飲酒はできるだけ避けるべきであろう。
後で振り返った時、
真に悔いの無い競技生活を送りたかったら。