答えは身体が知っている

セラピスト兼アスレティックトレーナーが自分の好きな事や日々感じた事を書く、息抜きブログ

許すまじ管政権 続き

2011-05-01 19:17:41 | 日記
書き忘れていたことがあった。

文部科学省が4月19日に、
学校等の校舎・校庭等の利用判断における放射線量の目安として
年20ミリシーベルトという基準を通達した件であるが、
この基準の策定に原子力安全委員会が助言したことになっている。
ところが、文科省から助言を要請された
原子力安全委員会班目春樹委員長が、
正式な委員会も開かず文科省案を追認した助言(goサイン?)を
返していただけだった。

 『審議2時間で「妥当」判断 原子力安全委、学校基準で
  (「47ニュース」より)

そして、文科省と原子力安全委員会の
国民への説明ができない無責任振り。
 『子どもを守れ Ustream.tv


やっぱり原子力安全委員会もいらない!


追記:前回の注(※1)で、酒やタバコは歴史もあり文化の一部になっていると書いたが、
だから「簡単に禁止したり、無くすことは難しい」と書くのを
怠ってしまった。
「無くすにしても時間がかかる」ということを言いたかった。
放射線を浴びるのは文化でも何でもないから、
医科学的に危険なら禁止・避けると決定することは易しいはずだ。

ピラティスと『熱中時代』

2011-04-09 11:42:23 | 日記
ピラティスと『熱中時代』との間には、何の関係もない。
ただ、最近の個人的関心事として取り上げただけである。

今年50歳の大台に乗ってしまうので、
本格的にピラティスを習得しようと一念発起した。
自分で小さいながらピラティスレッスンを開いているが、
その初代の先生である船引怜美トレーナーのセッションを
受けることから始めた。

船引怜美トレーナーの所属するアコア
1月27日、2月10日、24日(すべて木曜)という3回のトライアルと
3月10日(木)にプライベートセッションを受けた。

一方、群馬県内でもピラティスセッションを受けたいと思い、
ネットで調べてHIROKO先生のレッスンを受けるようになった。
2月15日(火)に始まって、
3月10日(木)、24日(木)、29日(火)、4月7日(木)と、
今までに5回セミプライベートレッッスンを受けた。
4月7日には、HIROKO先生から、
感覚を掴んできたと少し褒めていただいた。
船引トレーナーとHIROKOトレーナーの二人から、
合計9回のセッション(レッスン)を受けたことになるので、
少しは進歩したのであろうか?

二人の違うトレーナーのセッションを受けることは、
環境やエクササイズ内容もトレーナーの個性も違うが、
それが返って面白くもあり、
それぞれの良さが影響し合うことも期待できる。

4月11日からは、前橋テルサ
MIKAトレーナーのピラティスマットワークを始める。
こちらは定員15名で細かく教えてもらう事はできないだろうが、
5~6月は毎週レッスンがあるので
怠け者の僕が兎に角回数を重ねる事には役立つ。


僕にとっては、教師が主役の学校物のドラマと言えば、
3年B組金八先生』よりも『熱中時代』である。
熱中時代』は、中学時代に
傷だらけの天使』で僕らを夢中にさせた水谷豊主演だし、
僕が大学教育学部受験を経験した高3の時期に放送されている。
そして、何よりも、水谷豊演じる新人教師と
子供達演じる生徒(正確には児童)達が
本当の愛情で結ばれていることが感じられ、
小学校のリアルな雰囲気を作っていた。
そのために、素直にドラマの中に入り込めて感動できた事が
僕にとって『熱中時代』を特別なものにしている。
一方、教育学部入学後に見た『金八先生』は、
自分の記憶するリアルな中学校の姿とかけ離れて見えたため、
あまり見る気がしなかったし、実際ほとんど見なかった。

その『熱中時代』が、つい最近日本テレビで再放送された。
たった3回分ではあったが、録画して観ることができた。
初回と第5回と最終回であった。
やはり、最終回は泣ける。
水谷豊が、子供達一人ひとりに通信簿を渡しながら、
様々な言葉をかけていく。
この時の表情・子供に向ける眼差しが、
本当に愛おしげで演技を超えている。
延々このシーンが続くのに全く長いと思わず、
むしろ「ずっと続いてくれ、終わってくれるな。」と
観ながら願ってしまっている。
この時のクラスの児童数が42人?なのがまた
当時の小学校らしくリアルなんですよね~。

DVDボックスを買いたくなった。

幸運を呼ぶ猫 みぃちゃん

2011-02-26 20:51:37 | 日記
先日の休業日、
東京でピラティスの体験レッスンを1時間受けた後、
四谷3丁目から四谷赤坂見附を経由して
紀尾井町市ヶ谷神田お茶の水駅と歩き、
高崎に帰ってから幸運を呼ぶ猫みぃちゃんに会いに行った。

そもそも、みぃちゃんのことを初めて知ったのは、
テレビ東京の「だいすけ君が行く! ポチたま新ペットの旅
という番組がきっかけ。
初めは「おや、高崎か~。」と思っただけだった。
みぃちゃんを拾った高橋さんの一家に、
次々と幸運がやって来たというお話で、
みぃちゃんが来てから
なかなか子供の生まれなかった高橋さんの息子さん夫婦に
子供が生まれたというだ。
その息子さん一家の写真がテレビ画面に映ったのだが、
そこにはよくよく知っている顔があった。
その息子さんと言うのは、
私が理事として加わっている
群馬スポーツサイエンス研究会の事務局を務めている
高橋健太郎さんだった。                       ※1
高橋健太郎さんは、
スポーツ科学の一分野である身体運動学の研究者であり
群馬工業高等専門学校の准教授である。

高橋健太郎さんの実家が電気店であるとは知らなかった上に、
そこの看板猫がテレビで紹介されていたのだ。
さらに、みぃちゃんは新聞・雑誌などいろいろな媒体で取り上げられ
大変有名で人気のある猫ちゃんなのだそうだ。
テレビを見たときは、本当にびっくりした。

と言うことで、
いつかは会いにいこうと考えていたみぃちゃんを訪ねた。

田町交差点そばのダイイチストアーに、
みぃちゃんはいる。
ちょうど電機ヒーターのリモコンスイッチの電池が切れていたので、
お店で即単4電池を購入。
会計をしてくれた奥さんに、
実は息子さんとこれこれの間柄のものです、
猫に会いに来ましたと伝えると、
奥のソファーに案内されコーヒーを勧められた。
みぃちゃんは棚の上の専用の“ベッド”で寝ていた。
容姿端麗、スタイルの良い美猫。
そばを通る時にちょっとみぃちゃんの背中をひとなで。

奥さんはとご主人と3人で
ソファーに座っていろいろと話をした。
みぃちゃんは大人気で、毎日何人もの人が会いに来るのだとか。
ソファーにお客さんが座っていると、
その膝の上に自分から乗ってくるのだそうだ。
しかし、みぃちゃんは眠っている。
そのうちに、ご主人が用事があるのでと席を立ち、
時刻も7時になるので私もそろそろと立ち上がりかけたが、
どうぞ遠慮なくゆっくりして下さいと言われ、
2杯目のコーヒーを飲み終えたら帰ろうと思っていたら、
みぃちゃんが起き出してきて、
床に降りて近づくと、ひょいっと私の膝の上に乗った。

しばらく背中や頭をなでたり、指先で掻いたりしてやっていると、
いっこうに膝から降りようとしない。
それどころか、こちらを見上げて、催促するような顔つき。
と思えば、身体を捻って上半身仰向けになって
甘えるようなポーズをとる。

これは、凄い!凄すぎる!
人なつっこいだけでなく、
触られたりなでたりするのも平気で、
こちらの心理を知っているのかと思うくらい、
かわいい仕草で甘えたりポーズをとったり。
根っからのアイドルタレントだ。
こんな猫は見たことがない。
奥さんに聞いてみると、
カメラマンの撮影にも嫌がらず、おとなしく何時間もつき合うそうだ。

猫好きな方、幸運を呼びたい方は、
会いにいくと良いと思う。
絶対にその価値がある。
少なくとも、幸せな気持ちになる。

ついつい、1時間も長居してしまったが、
健太郎さんの知り合いだとわかると
電話で健太郎さんと連絡を取ろうとしたり、お土産をくれたり、     ※2
とにかくご主人夫婦もいい人たちだった。



※1 高橋健太郎さん

バレーボール男子日本代表のアナライズを担当したり、
2009年ブラジルで行なわれた世界剣道選手権大会で
日本代表コーチを務めた。



※2 電話で健太郎さんと連絡を取ろうとした

日本代表の合宿で東京にいるということだった。
恐らくここで言う日本代表とは、剣道の日本代表だろう。

ある休日

2011-02-26 18:19:10 | 日記
午前11時からアコア
ピラティス体験レッスンの3回目を受けた。
これで、体験レッスンは終了した。
船引トレーナーの今回のレッスン(セッション)は、
座位で胸の下にセラバンドを巻いた胸式呼吸の練習したり、
座るところが揺れ動くイスを使って骨盤を動かしたり、
様々なエクササイズをやった。
考えてみると、3回のレッスンでは、
毎回違うエクササイズを行ない、
そのバラエティの豊かさに驚かされた。
正式に入会して2週間後に、
プライベートセッションを予約した。

せっかく、東京に出てきたので、
ブラタモリ」に出てきた場所を巡ろうと画策。

初めに、四谷3丁目駅で地下鉄を降りた。
専門学校時代から東京・町田で開業していた時代(1990年代)に
よく参加していた勉強会が主催されていた鍼灸院のあった場所を      ※1
訪ねることにした。
地上に出る出口も覚えていなかったけど何とかそれらしい通りを見つけたが、
どのビルであったかわからない。
しばらく、その周りをぶらりと歩いた。

その後、四谷駅まで歩いていき、
地下鉄やJRの線路、駅の周囲の建築物などを眺めた後、
上智大学の手前で右に曲がり、
ソフィア通り脇の土手に上って歩いた。
ここから、上智大学の運動グラウンドを見下ろし、
江戸城のお堀の跡であることを目で確認し、
ブラタモリ」ならぬ「ブラサトウ」と決め込んだ。
そのまま、土手を歩いて行き、
初めてホテル・ニューオータニを見た。

さらに迎賓館外堀の跡にそって歩き、いつのまにか赤坂見附へ。
いや、赤坂見附に続いていることさえ知らなかった。
赤坂見附と言えば、
10年以上前に東京国際女子マラソン
大会トレーナーを務めた時、
選手村とトレーナールームが置かれた(宿泊もした)のが、
当時の赤坂プリンスホテル
2Fのカフェ?で朝食を摂っていたら、
斜め向いの席にランディ・ジョンソン選手がい。            ※2

本当は、「ブラタモリ」と同じく、
お茶の水駅の方に行きたかったのに、
これでは方角が違うのではないか?
と、東京の地理をほとんど知らない僕は焦った。

その後の主なルートと見かけた主な建物は、
紀尾井町を通り、
麹町から市ヶ谷駅へ。
途中、日本テレビ(麹町ビル)を見た。
これも初めて。
市ヶ谷駅に着く頃には、少し気持ちが挫けかけてきた。

市ヶ谷駅前から靖国通り沿いに歩き、
靖国神社も初めて見た。
まあ、こんなとこは来たいと思ったことは一度もないけど。

武道館前の坂を下りかけたところで、
大きな建物の前に数十人が建物の方に向って立っていた。
時々、何か大きな声が聞こえて来るし、
テレビカメラらしきものも1台撮影していた。
しばらく後で、インド大使館前だったことを知った。
何かの抗議行動か?

さらに、靖国通りを進み、神田の古書店街の中に。
神保町の交差点辺りで、女子マラソンの吉田香織選手に遭遇。       ※3
声をかけようかとも思ったが、
携帯電話で話しながら誰か(コーチ?)
あるいは何処かを探している様子だったし、
私も帰りの時間が気になってきていたので、
声はかけずにそのまま歩き続けることにした。

靖国通りから左に折れ、お茶の水駅へ向った。
お茶の水駅周辺も「ブラタモリ」したかったのだが、
もう3時間以上も歩き続け4時を回っているので断念!
そこから電車にのって上野駅経由で高崎へ帰った。

東京を歩くと、思いもしなかった人や会社・建物に
遭遇するものなのだなあ。

高崎に着くと、思いの外足の疲れを感じなかった。
そこで、いつかは行こうと決めていた電機屋さんダイイチストアへ行き、
看板猫であり、幸運を運ぶ猫みぃちゃんに会いに行くことにした。
ちょうど、リモコンの乾電池が切れていたので、買い物ついでに。

みぃちゃん、凄い!
でも、この話の続きは次回に。


※1 勉強会が主催されていた鍼灸院

勉強会は「黄帝内経研究会」といい、
中島先生と言う方が主催されていた。
先生は、15年前に既に亡くなり、
そのため鍼灸院も廃業していて、今はもうない。
ちなみに同名の治療院が東京練馬にあるが、
この会とは無関係(だと思う)。


※2 ランディ・ジョンソン選手

言わずと知れた、メジャーリーグを代表する投手(だった)。
通算303勝を挙げた。左腕。



※3 女子マラソンの吉田香織選手

彼女が高校3年生の冬(2000年3月)、
世界クロスカントリー選手権大会のジュニアの部に
日本代表に選ばれ出場した。
その時、私は日本チームのトレーナーを務めた。
彼女は高校も進学校だが、
話してみても頭の良さや積極性が感じられる子だった。
その時の世界クロカンでは、
日本女子ジュニア代表の中では一番上位の成績を収めた。

同窓会と研修

2010-07-04 18:38:52 | 日記
一昨日は中学校の同窓会伊香保のホテルで行われた。
仕事の都合で1時間くらい遅れたが、
3次会まで参加してホテルに泊まった。
1年歳の時に担任だった先生だけが出席されていたので、
本当に久しぶりに話をした。

5クラスの同級生が参加したので、
1次会には50人近い人数が集まっていた。
宿泊者の多くが3次会まで参加したので、
20人くらいはいたようだ。

普段全くと言っていいほどお酒を飲まないが、
1~3次会を通じて、(自分としては)かなりの量のお酒を飲んだ。
ほとんどは焼酎であったのと体調が比較的良かったらしく、
幸い悪酔いはしなかった。


さて、3次会を終えて部屋に戻ってからも、
深夜2時過ぎまでおしゃべり。
しかし、翌(?)朝は8時までに高崎駅に行かなくては、、、。


昨日は、よく眠れないまま、6時40分にアラームで目覚めた。
同室の3人の旧友方うるさくしてごめんなさい。

温泉に入り、そのまま着替えて一人ホテルを出発。
10時から渋谷の母校花田学園日本鍼灸理療専門学校)で行われる
花田学園スポーツトレーナー研究会の第12回研修会に参加するため。
今回は「歩行とランニングのバイオメカニクス」と題する
岡田英孝電気通信大学大学院准教授の講演が行われた。

岡田英孝先生とは、
群馬大学陸上部の後輩に当たる狩野豊君が、                ※1
岡田先生と同じ電気通信大学に赴任し
共に陸上競技部の顧問(監督・コーチ)になった縁で、
何年も前から顔見知りであった。
国公立22大学対抗陸上競技大会が開かれるようになり、
数年前の春に22大学合同の中長距離合宿が、
群馬(旧国立赤城青年の家/現国立赤城青少年交流の家)で開かれた時には、
岡田先生も学生を連れて参加され、
僕は群馬大学陸上部監督(当時)であり恩師でもある山西哲郎先生に頼まれ、
合宿に参加した学生達にコンディショニングについての講習をした事もあった。
その後も、何度と無く岡田先生と会う機会があり、
親しく話をさせていただいていた。

研修会での講演が終わってから、岡田先生に挨拶に行ったが、
岡田先生も講演の途中に僕を見つけ
驚いていたということだった。

岡田先生は、
最近では雑誌『ターザン』に
ランニング効率についてのコメントが載っていたし、           ※2
特に坂道でのランニングなどについてバイオメカニクス研究の成果があるので、
いろいろと学ばせていただきたいと願っている。


※1 群馬大学陸上部の後輩に当たる狩野豊

彼は、群馬大学陸上部の歴史の中でも
全国的に活躍した数少ないアスリートの一人だった。
大学4年生のときは日本インカレに400mハードルに出場。
見事決勝に残った。(8位だったかな?)
大学での400mハードルのベストは51秒80であった。
大学卒業後、筑波大学大学院(体育系)に進み、
研究者を目指した。


※2 雑誌『ターザン』に~コメントが載っていた

岡田先生によれば、
岡田先生自身が書いた文ではなく、
記者に話したことがまとめられたということで、
岡田先生の言ったことを超え、
「そこまで言っていいのかな?」ということろまで書いているようである。
まあ、テレビや雑誌に学者(研究者)がコメントすると、
その業界の記者や司会者によってねじ曲げられる、と言うか
誇張されてしまうということは、よく聞くことではある。