たっちんのひとりごと

奄美から 趣味の写真からいろいろと・・・

奄美のノロ神様?、ユタ神様?である私の母-第02回

2014年12月25日 16時38分05秒 | 連載物

第01回からあっという間に時が過ぎ去りもうすぐ新年を迎える時期になりました。
改めて第01回を見直すとやはり無理やり感があちらこちらに見えますね(笑

この写真は「アムゴ」と呼ばれる母が神様を拝むにあたり神聖な場所です。
この「アムゴ」は母が神様を拝む儀式で馬に乗って行き着いたところです。
そのとき私は幼くて、そのときの記憶も実際に私が見たものなのか、それとも
聞いた話に想像した映像を重ねたものか定かではありませんが、唄と太鼓に
あわせて馬が踊ったりする様子はとても異様なものでした。
その馬はもちろん、そんな芸を仕込まれている訳でなく知り合いを通してお借りした馬です。

第01回で、神様を拝むには「祖神様」が必要と書きましたが、その「祖神様」は
「神の子」をサポートする役目です。
「祖神様」は「神の子」が拝むべき「神様」の言葉を聞けるようになるための
「口おろし」 を「神の子」に手ほどきしてあげます。

※この様子は成長した私が実際に見ていますので、間違いありません。

 よく「どうしたら神様を拝めるようになる?」って聞かれますが、それは誰でもなれません。

「神様」の言葉を聞けるようになった「神の子」は、毎日毎日、「神様」から教えをいただき「唄」をとおして
いろんなことを学びます。
「神様」を拝むうえで、毎日が修行です。

今日はこのあたりで・・・


奄美のノロ神様?、ユタ神様?である私の母-第01回

2011年01月03日 22時42分37秒 | 連載物

Dsc09024_5 左の写真は私の実家で母が信仰?と

いうか、神様を拝まないと普通の人では

なくなる?為にある神棚です。

私が物心をついた頃から母は神様を拝んで

いたので、それが当たり前の事でした。

 

しかし、母の元にマスコミ関係の取材やなんたら大学の教授等‥、たくさんの研究目的で

こられた方達の文献等を読んでみて、「うーん・・・何か違う」と思い、また、母が健在なうちに

形にして残そうと思いました。

母の住んでいる実家と私が住んでいる場所は車で片道50分程かかるので、中々簡単に

色々な話が聞けないのですが・・・

でも、頑張ってみます!

 第1回目なので、ちょっとテーマに困りました

そうですね、まずは母の神様を拝むまでにしようかな。

母は奥家7代目のノロ神様?ユタ神様?です。

まず、ここでつまづきました。ネットで検索してもどちらとも言えない・・・

なぜなら、母が神様を拝む時に必ず神様が母に唄わせるのですが、

「シマノロ タカノロ フーノロ」「ユイホゾン キリホゾン ホゾンノカミ」・・・ね!訳わかりません

それは母と話しながら色々紐解いていきたいと思います。

で、奥家7代目と書きましたが、私の祖母、つまり、母の母も神様を拝んでいました。

 母が神様を拝んだのは、昭和47年の7月7日です。

で、そこで奥家が出てきます。

神様を拝むというか、神事で使う盃を「オク ユキオ」という奥家の血筋にあたる方が

埼玉県与野市にいて、その住んでいる場所、名前、盃(寿の文字入り)、盃を収める桐の箱

を神様を通して教えられたそうです。

最初は「そんな盃なんかない!」と言われたそうですが、母に言われた所に言われた盃が

言われた桐の箱に入っていてびっくりしていたそうです。

 母は昔から(正確に言うと神様を拝む前ですが)他の神様に「あなたは神様を拝みなさい」

と言われていたそうで、牛肉、牛乳、山羊肉等‥それを触ったり口に入れただけでお腹が

臨月のようにあっという間に膨らんだりしたそうです。勿論、今でもそうですが。

当然、私の実家の焼肉は「豚肉」です。豚はいいそうです。

小さい頃はそれが当たり前でした・・・あ!横道にそれました。

話を戻します。

神様を拝むには、すでに神様を拝んでいる方に「親神様」になってもらわないといけません。

その「親神様」をお願いするのに大変な苦労をしたようです。

今回は、この辺で・・・