~青いそよ風が吹く街角~

映画(主にミニシアター映画)の感想文を軸にマイペースで綴っていきます。

『ちづる』・・・ ※ネタバレ有

2011-12-04 02:34:19 | 映画【日本】


  『ちづる』:公式サイト

100円玉
運命

立教大学現代心理学部映像身体学科の赤崎正和監督の卒業制作。
知的障害と自閉症をもった自身の妹・千鶴とその母を1年間撮影したドキュメンタリー。

中学二年生の時から養護学校へ行かなくなり、
19歳になっても引きこもり生活のちづるを家にとどめて
「あと10年はこのままでいい。」と言ったり、
「福祉関係の仕事に就きたいから家を離れたい。」と主張する息子の夢を否定して、
「(一緒に住んでちづるを背負っていくのは)あなたの運命。」だと言い放ったかと思えば、
あっさり故郷・福岡にマンションを購入し、引っ越しを決めたり・・・。
母親の言動が大人げない印象を受けてしまいました。m(_ _)m
(ある意味、素直で一本気なちづるのほうがノーマルで、
母親のほうが・・・かと一瞬思ってしまった程でした。)
映画では説明しきれていない場面があるからなのかもしれないけどね。

ちづるの障害を知った時「死にたいと思った。」と語る絶望感から
「同じ障害を持った親たちとの交流では明るい人が多く、見本が多かったのは良かった。」
と励みになっていた経緯を率直に語っていたのは聞き入ったな。

母とちづるがつかみあい的な喧嘩している時でもカメラを回し続けている兄は・・・。
こういう障害の子が「噛むよ。」と言ったら本当に噛む事もあるんだから危ないでしょ。

障害のある妹の事は他人に話しにくいというのはとてもわかります。
家族としては妹の存在は普通の事なので決して恥ずかしい事ではないんだけど、
他人からしたら普通ではないし・・・。
それを聞いたら一瞬、相手も戸惑って微妙な空気になるから、
なんか引け目を感じてしまうんですよね・・・。
それは障害者の家族であってもその現実を100%受け入れられているとは言い難いし、
心の奥には複雑な気持ちも抱え込んでいる。
だから、それが言葉で露わになってしまうと怖いというのもあるし・・・。

こういう事言うのはモラルに反するタブーかもしれないけど、
私の場合は妹の存在はコンプレックスでしかなかった・・・。
私の妹はちづるほど言葉も出ないので話し相手にはならないけど、妹は妹。
“妹はいていないようなもの”という感覚。
“〇〇ちゃんのお姉ちゃん”と呼ばれるのも嫌だった。
成績が上がったら「〇〇ちゃんのお姉ちゃん凄いね、頭いいね。」
成績が下がったら「〇〇ちゃん荒れているの?」
と先生に言われる始末で、
成績が上がろうが下がろうが私一人の責任なのに常に妹の影がつきまとう・・・。
そういう周囲の目が嫌だったから福祉とは直接関係のない職種に就いた。
結局は障害者の姉という立場から逃げていただけなのかもしれないけど、
私は世の中では一人の社会人として見てもらいたかったし、
プロとして仕事の専門技術を認められて手に職つけたかった。
そして、時間はかかったけどそれは実現した。

なので、私は福祉関係の職に就いている監督とは正反対のタイプかもしれない。
だけど、自分の意志を親に伝えているというのは共通しているようにも感じた。
境遇は変えられないし、運命からは完全に逃れる事は出来ないけど、
だからと言って、運命に縛られているだけでは前へは進めない。
その辺をどう折り合って生きていくのかが永遠のテーマではあるけど、
重く受け止めすぎるのもつまらないし、
臨機応変に過ごしていけば、おのずと自分らしい何かを見い出せそうな気もする。
人生はなるようになるものだからね。


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