気ままなテーマです。

体験や感じたことを気ままな時に投稿します。

弥生時代~古墳時代 空白の100年

2016-02-18 11:15:11 | 日記
昨秋、九州北部の各市町村の歴史資料館や埋蔵文化センターから頂いた資料は、
まだ残り半分が読み込むでいない。

弥生時代の終わりを卑弥呼の死(248年)とすると、ヤマト政権の成立緒が通説350年頃までの
約100年の間は史料が少ない時期です。
甕棺、石室、円墳から前方後円墳が現れる頃である。

大きな歴史ロマンが隠れていそう。

出土品と歴史書を照らしながら歴史を抽出していくのが正当な方法であろう。
その抽出できなかった空間にロマンを求めていく。

「三国志・魏志倭人伝」「後漢書倭伝」「宋書倭国伝」「随書倭国伝」
これらの前「前漢書」の解析が進めば、弥生時代前後の日本史がもう少し見えてくるだろう。

火のない所に煙は立たない、とのことわざで「古事記」は何らかの史実があったのかもしれない。
「出雲風土記」や諸国風土記は古事記以降、ヤマト政権が作らせた。

これらの神話や伝承記は何かの史実や自然への誤解から語られてきたことかもしれない。
自然崇拝や自然への畏怖が強かった時代でもある。


「古事記」は日本書紀に比べ庶民の目線で書かれている感じがする。

「日本書紀」はヤマト政権の意向がにじみ出ているようで、王権・天皇の威厳を高めたい表現がある。
ヤマト政権が古事記の後、諸国風土記と日本書紀を編纂させたのは、その意図があったと思われる。

これらの「神話」「伝承記」と出土品や学芸員の方の意見を参考に、空白の100年間のロマンを
追ってみたいと思います。


例えとして、「古事記」「日本書紀」を司馬遼太郎的な歴史小説か、松本清張的か、
山本周五郎的、山岡荘八的な歴史小説か、この視点で読むのも面白いと思います。

また「古事記」も「日本書紀」も、男性から見た恋愛小説の物語と捉えれば楽しい。
「源氏物語」は女性から見た恋愛小説ともいえる。

明治は遠くなりにけり

2016-02-12 23:12:22 | 日記
昨日、2月11日は建国記念の日、明治政府が制定した「紀元節」を戦後、復活制定した。
復活の時はメディアで議論が盛んに花咲いていた。
「軍国主義の復活だ」「神国日本に逆戻り」「歴史をねつ造する」「日本には建国の日が必要」と。

2月11日は歴史上の意味がないかもしれないが一つの日本の【象徴】として受け止めるか。

明治天皇は強いりーダーシップで近代日本の発展に多くの実績を上げた事は誰もが認めるところと思う。
特に判断のスピード、行動の速さは際立つ。
日本国民がその維新改革についていけたのは江戸時代からの藩校、寺子屋教育内容の効果であった。
明治天皇が明治元年に発布した「五箇条の御誓文」の方針は明治天皇・明治政府の行動規範であった。

神宮外苑の聖徳絵画館 入場料500円
神宮外苑の聖徳記念絵画館には、明治時代の国策会社から寄贈された大きな絵画が展示してある。
美術品としての評価より、明治天皇の行事を描いた3mx2.7mの80点の絵は明治を感じる。

五箇条の御誓文    数多い現代語訳で絵画館の現代語訳がわかりやすい。
1.広く会議を興し全て重要な事は公開された議論をすべし。
2.上下、国民は心を一つにして盛んに経済政策を行うべし。
3.官武から庶民に至るまで、人心に失意させることなく、各々の志を実現できる社会を目指す。
4.旧来の因習を破り、国際法、天地の公道に基づくべし。
5.知識を世界に求め、広く国を治める基礎を作るべし。

現在にも通じる内容です。

明治政府・明治天皇が神話の神武天皇を担ぎだした事がその後の日本にとって一つのポイントと思う。
「天皇神」の「神国日本」として戦争に突入し、一億総玉砕のような思想まで作ってしまった反省も生まれた。。
日本の「帝紀」で神武天皇即位の年を神武元年1月1日とし、神武元年は紀元前660年、日本は縄文晩期の頃。

飛鳥時代、中国思想が日本に多く入ってきた。
その時の中国思想【讖緯占い思想の辛酉革命】が日本の「帝紀」編纂や「日本書紀」編纂に影響を与えた。

讖緯思想の辛酉革命は、暦が60年で一巡し(還暦)、21回繰り返した1260年ごとの最初の辛酉の年に
革命が起きるとういう占いで、帝紀編纂の推古年間から1260年さかのぼった年を神武元年とした。
それが紀元前660年。 稲作が始まる以前の縄文時代晩期で、狩猟と漁猟で生活していた時代。

雪囲い
明治政府は五箇条の御誓文の4条に則り、明治5年、西洋歴を採用した。
その時、明治5年12月3日を明治6年1月1日とし、西暦に合わせた。
それに合わせ神武天皇即位の1月1日を2月11日に改め「紀元節」とした。

明治22年 大日本帝国憲法(明治憲法)・発布
明治記念館の碑
 明治記念館の庭園

明治6年に日本はウィーン万博に出展参加している。
まだ国内は戊辰戦争の余韻が残ってる頃であり、明治10年西南戦争。
日本が海外と関係を深める中、国歌が必要となり「君が代」が使われるようなった。

さざれ石
「君が代」正式に国歌に制定されたのは、平成になってから。
「君が代」の歌詞に色々な意見が出ています。「封建社会の歌」「天皇崇拝」「隠語で不遜」とか。
でも、これらの内容でも「君が代」を日本の【象徴】受け止めればと思う。

今後「君が代」の歌詞を新しい現代語訳にして理解していけばいいと思うし、
外国の国歌で歌詞がないのもあり、メロディで日本を【象徴】していけばいいと思う。


憲法で天皇は【象徴】で、今後、崇拝される天皇より敬愛される天皇になっていくと思う。
平成天皇はそのように行動されているように見受けます。

迎賓館・赤坂離宮

2016-02-09 10:45:36 | 日記
迎賓館・赤坂離宮の一般公開があるので行って見ました。
黒松を両脇に見ながら前庭へ
 ヨーロッパの雰囲気
紀州徳川家の江戸中屋敷跡に建てられた、日本唯一のネオバロック建築とのこと。
正面玄関
正面玄関の内部・中央階段(撮影禁止で公開パンフより)
一般公開は「前庭と2階の4つのホール。」内部は撮影禁止。
ホールは想像したほど広く感じなかった。装飾が多かったからかもしれない。
彩鸞(さいらん)の間:来客控えの間、国賓・公賓との謁見・メディアインタビュー、条約・協定の調印式等に使用される。

      鳥の鸞が金で壁にデザインされている。
花鳥の間:国賓・公賓主催の公式晩餐会が開かれる大ホール。
      壁の七宝焼きに花や鳥がデザインされ落ち着いた雰囲気。
朝日の間:表敬訪問、首脳会談や国賓・公賓のサロンとして使用。
      明るいホール。壁の柱はノルウェー産の大理石
羽衣の間:雨天の時に歓迎行事が行われる。会議場、レセプション会場
      正面中二階にオーケストラボックス。大きなシャンディアが豪華な雰囲気をだしている。
全般に金がふんだんに使用されている。石膏細工も多い。廊下は全て白壁と金細工。
 
鳥フンを避ける為、樹木は鳥が来ないを選定
 
 
シイの木は実がなるけど鳥が来ないの
裏庭がきれい
 裏庭の隣は赤坂御苑、東宮御所
こんな雪囲いときれいな椿を見つけました。
 
裏庭には、フォード大統領とゴルバチョフ首相の植樹が隣に並んでありました。

妙高・杉之原スキー・節分

2016-02-04 12:54:09 | 日記
新潟・妙高高原の杉之原スキー場に行ってきました。
3ケ日間雪に見舞われて、視界不良のスキーになりました。

雪の中

晴れると眼下遠くに野尻湖が見える
帰る最終日2月3日は晴れて、雪面コンデションが良く、気持ち良く
スキーを楽しむことが出来ました


妙高・杉之原スキー場のラウンドマーク【しなのき】
雪の日は寒そう

シンボリックな木
妙高・杉之原スキー場は広く長く急斜面が少なくてスノーボードに向いている。
初心者が多いのか? スノーボーダーのマナーが他のスキー場より悪い。

ゲレンデの真ん中に複数で座り込み、広いゲレンデが狭くなっている。
スキー場のマナーパトロールが不十分と感じた。


2月3日は節分。
ゴンドラを降りた所で「恵方巻」をもらって、「南西の方向を向いて黙って食べて下さい」と
言われ並んで食べたが大きくて食べきれない。良い想い出。




東北新幹線の車両と秋田新幹線の車両との連結を見たのでスナップ写真
大宮駅で。