(何事も無かったかのように、更新を再開する。)
この夏、釧路へ家族で旅行に行って来た。
その過程で、美術館に行き、相田みつを全貌展を鑑賞した。
(余談。釧路市の美術館は、美術館と言っても、単独で建っているものではなく、生涯学習センターという公共の建物のワンフロア-なのであるが、やたら箱ものが多いどこかの町よりも、恐らく、ずっと維持費がかからずに済んでいるだろうことが想像され、
感心している己である。)
相田みつをという文筆家について、まったく誤解していた。ひとつに、知的障害者だと今まで思い込んでいたこと。そして、それ故のこの砕けた筆使いになっているのだろうと思っていたこと。
何か焦っている自分がいる。
一日の中の一瞬一瞬の気持ちや考えを記していくことによって、その焦りを静めたいという思いがあり、今日より、またキーボードに向かいはじめる。
この夏、釧路へ家族で旅行に行って来た。
その過程で、美術館に行き、相田みつを全貌展を鑑賞した。
(余談。釧路市の美術館は、美術館と言っても、単独で建っているものではなく、生涯学習センターという公共の建物のワンフロア-なのであるが、やたら箱ものが多いどこかの町よりも、恐らく、ずっと維持費がかからずに済んでいるだろうことが想像され、
感心している己である。)
相田みつをという文筆家について、まったく誤解していた。ひとつに、知的障害者だと今まで思い込んでいたこと。そして、それ故のこの砕けた筆使いになっているのだろうと思っていたこと。
何か焦っている自分がいる。
一日の中の一瞬一瞬の気持ちや考えを記していくことによって、その焦りを静めたいという思いがあり、今日より、またキーボードに向かいはじめる。