備忘録

忘れないための頭の中のメモ帳

阿羅漢の基準①

2024-09-24 00:00:00 | 
  • 阿羅漢と認定されるための基礎基準の一つとしては、「心に透明感がある」ということが挙げられます。

 

  • これは、別な言葉で言えば、「心の中に執着という名の引っ掛かりがない」ということです。

 

  • たいていの人には心の中に引っ掛かりがあります。その人の心の姿を見たならば、ガン細胞のようなものが心のどこかに巣くっているのです。そして、暗い陰をつくっています。

 

  • この「執着」という名のガン細胞は、極めて三次元的なこと、この世的なことに関して、思いがとどまっていることを示しています。

 

  • 出世や金銭、異性に対する思い、あるいは、もっとマイナスのものになってくれば、積極的な憎しみ、愚痴、怒り、嫉妬、こういう思いが一点に止まっている状態を執着というのです。

 

  • 執着のなかには、まれに自己実現的な執着もあります。ある意味で自分の向上を目指しているのだけれでも、現状が、向上への思いに、とても追いつくことがなく、それが執着になってしまっている気の毒な人も、世の中にはいます。

 

  • いずれにせよ、阿羅漢となるためには、心のなかの、この手のしこりを取り除く必要があります。ガン細胞を切除しなければならないのです。

 

  • そのいちばんよい方法は反省なのです。

 

  • 『釈迦の本心』などにも書いておきましたが、反省は、心の曇りを、さまざまな尺度でもって除いていく方法です。

 

  • たとえば、「八正道」においては、「正しく見る」「正しく思う」「正しく語る」「正しく行為をなす」「正しく生活する」「正しく道に精進する」「正しく念ずる」「正しく精神統一をする」という八つの基準が設けられています。

 

  • 宗教者として当然守るべき、こういう基準をきっちりと守り、自分の心の針がずれた部分、揺れた部分を、天上界に向けてピンと戻しておくこと、これが反省の方法なのです。

 

  • 人間の心は、一日のうちに、さまざまに揺れています。それは、ちょうど時計の針のようなものであり、よいことを思っていれば、上のほう、すなわち天上界の方を向いていますが、悪いことを思っていれば、下のほう、すなわち地獄のほうを指し示しているのです。ただ、たいていの場合は振り子のように揺れているのが実際の姿です。

 

  • しかしながら、大きな執着を持っていると、そこで心の針がピタッと止まっていることが多いのです。その結果、針が天上界のほうを指すこともなく、天上界の人々から啓示を受けることもなくなってしまうわけです。

 

『幸福の科学とは何か』 第7章 阿羅漢を目指して


阿羅漢の心境とは

2024-09-24 00:00:00 | 
  • 阿羅漢の心境とは、どのようなものであるかというと、地上人で見た場合には、人間として、ある程度の完成領域に近づいていると言ってもよいかもしれません。別な言葉で言うならば、そうとうな人格、あるいは、そうとうな心境であると言えます。

 

  • さまざまな仕事に携わってきた人で、心清く生き、霊的直観が非常に鋭くなっているような人の中にも、阿羅漢はいます。

 

  • 阿羅漢の中には、もちろん、在家の人も数多くいます。自分が阿羅漢であることを本人が知っているといないとに関わらず、阿羅漢の状況にある人はいるのです。

 

  • 地上に生活していて、多少なりとも仏法真理の体得を目指している人にとっては、阿羅漢の境地が最初の関門であり、ある意味では合格点でもあるのです。

 

『幸福の科学とは何か』 第7章 阿羅漢を目指して


阿羅漢とは

2024-09-24 00:00:00 | 
  • 阿羅漢(あらかん)とは、一通りの反省が終わって心の塵や垢が落ち、後頭部に後光が差し始める段階のことをいいます。

 

  • 仏教には、「五百羅漢(ごひゃくらかん)」という言葉や、「羅漢さん」という言葉があります。羅漢とは、阿羅漢のことであり、五百羅漢とは「五百人の阿羅漢」と考えてよいのです。

 

  • 阿羅漢の境地は、私が説明している次元構造で言うならば、六次元光明界の上段階にある境地と言ってよいでしょう。

 

  • リーダーたちが集まっている六次元光明界のなかで、真実、仏神を信じ、菩薩に向けて修行をしている人たちのことを、阿羅漢といいます。

 

  • また、その境地で地上に出て菩薩に向けて修行している人たちのことも、阿羅漢といいます。

 

『幸福の科学とは何か』 第7章 阿羅漢を目指して