備忘録

忘れないための頭の中のメモ帳

美と降魔について

2024-09-26 00:00:00 | 

「内面の美」や「天上の美」というものを追求することが大切で、美そのもので降魔の力をずばり発揮させるのは、そんなに簡単なことではないというふうに思っています。

『美と降魔について』 第1章 p.65

2017年9月7説法


阿羅漢の状態

2024-09-26 00:00:00 | 
  • 阿羅漢の状態にもいくつかの段階がありますが、ここでは二つに大別しておきましょう。

 

  • 第一は「阿羅漢向」という状態です。これは阿羅漢に向かっている状態です。

 

  • 第二は「阿羅漢果」という状態です。「果」とは結果という意味であり、阿羅漢果とは、すでに阿羅漢に達した状態のことをいいます。

 

  • 阿羅漢向と阿羅漢果の違いは、どこにあるのでしょうか。

 

  • プロの修行者としての自覚を持って生きており、心が悩みや苦しみから解放された境地にあって、常に精進を怠っていなければ、阿羅漢向の状態にあるということができます。

 

  • そして、阿羅漢果となるためには、そうした状態が少なくとも二、三年は続いているという実績が必要なのです。

 

  • 心が穏やかで執われがなく、少々のもめごとや波風があっても心が乱されない状態、そして、みずからをよく振り返り、精進を怠らず、ある程度、天上界からの指導も受けられる状態、こうした状態が三年続けば、阿羅漢果になったと言えます。一定の期間、その状態を維持することが必要であり、それができなければ本物とは言えないのです。

 

  • 阿羅漢向になるだけであれば、人によっては一週間ぐらいで可能です。幼いころからの記憶を取り戻して、間違った思いと行いを一つひとつ反省し、両眼から涙がほおを伝うにまかせて、「法雨」を流したとき、守護霊の声が聞こえ、その光を浴びて、阿羅漢の状態になることがあります。

 

  • このように、早い人であれば三日から一週間で阿羅漢向になることが可能です。しかし、この状態が長く続くかどうかが鍵となります。一週間ぐらい山にこもって反省行を行い、阿羅漢に近い状態になったとしても、下山して日常生活に戻ると、また心に曇りをつくってしまうのが人間の常だからです。

 

  • 法雨を流して、みずからの新生を誓った気持ちが、二年三年と続いて初めて、阿羅漢果の状態になるのです。

 

「釈迦の本心」 第6章 人間完成の哲学


阿羅漢とは何か

2024-09-26 00:00:00 | 
  • 釈迦の教えのなかで、教育目的としていちばん重視されたのは、阿羅漢の状態となることでした。阿羅漢がなぜそれほど重視されたかと言えば、阿羅漢の境地は、この世の人間として第一段階の完成であると同時に、あの世の高級諸霊からの通信を非常にうけやすい状態だからです。

 

  • 阿羅漢とは、この世にあって実在界の存在を感じ、実在界に生きるがごとくにこの世で生きることができるようになる、最初の段階なのです。

 

  • 阿羅漢の境地は、私の説いている段階論で言えば、六次元光明界の上段階の悟りに相当します。六次元の悟りというのは、仏法真理を知的に詰めていって悟る段階ですが、六次元の上段階は菩薩の前段階であり、ここにいるのは、菩薩の卵、菩薩への登竜門にいる人たちなのです。

 

「釈迦の本心」 第6章 人間完成の哲学


阿羅漢の修行

2024-09-26 00:00:00 | 
  • 千人の人が修行に打ち込んだ場合、指導者がよく、各人の心掛けもよければ、千人が千人、阿羅漢向に達することが可能です。そして、少なくとも一週間や二週間は、その状態を維持することが可能だろうと思います。

 

  • そこから阿羅漢果に達することができる人は、その千人のうち五十人ぐらいだけなのです。そして、そこから菩薩になっていくのは、その五十人の中で五人内外にすぎません。これほど厳しい試練が待ち受けているのです。

 

  • 阿羅漢の修行として最も大切なことは何でしょうか。これには、主として二つの徳目があります。

 

  • 第一の徳目は、「一生涯、すなわち死ぬまで自分を磨きつづける」という心構えを持つことです。人間の心はガラスのようにすぐ曇りができて汚れるので、ガラスを磨くがごとく、毎日、自分を磨きつづけることが必要なのです。

 

  • 第二の徳目は、謙虚な姿勢です。なぜなら、阿羅漢の段階でいちばん危険なのは増上慢であり、小さな悟りで満足し、小成してしまう人が出やすいからです。

 

  • 特に、阿羅漢の状態では霊的現象が起きやすいので、注意が必要です。阿羅漢の状態になると、他人のオーラが見えたり、守護霊の声が聞こえたりすることがあるので、「自分は自分は偉大な光の菩薩である」と錯覚することも多いのです。

 

  • したがって、みずからを謙虚に見つけていくことが大切になります。霊的現象が起きたとしても、それに慢心することなく、一つの経験として静かに受け止め、玉石のなかの玉を選んでいく工夫をすることです。

 

  • すなわち、霊的感覚においても安定感が大事なのです。

 

  • 第一に、一生涯を通じて己を磨いていく姿勢を忘れないこと第二に、謙虚さを特に肝に銘ずること。そして、謙虚さを忘れる原因の一つに霊的現象があるので、それに対して注意すること。阿羅漢の修行においては、これらが大事なのです。

 

「釈迦の本心」 第6章 人間完成の哲学