goo blog サービス終了のお知らせ 

徒然

好きな時に好きなことを書く

ヤナーチェク

2024-12-14 00:51:00 | 音楽
ヤナーチェクのピアノソナタをよく聞きます。
最初に聞いたのは高校生くらいの時で、ある日本人ピアニストのリサイタルでした。当時もいい曲だなとは思いましたが、クラシック音楽にありがちなことで、何度も聞いたり詳しく楽譜を見たりしないと本当の良さが分からないという類の曲でもあります。
初めて聞いてすんなりと楽しめる音楽というのは必ずしも良いものではないと、大学の時に教わっていた天才的な先生がおっしゃっていました。本当に良い作品は、さまざまなことが織り込まれているわけなので、それに気付いて楽しむまでには、たくさんの研究や知識が必要である、という意味です。当然それだけで良し悪しを判断してはいけませんが、1つの指標というか判断基準にはなるかもしれません。
ベートーヴェンの大フーガを初めて聞いた人は、普通の人なら2度と聞かないかもしれません。あれは色々ありすぎて、聞いても見ても分かりません。でも、何度も聞いていると中毒になり、そのうち禁断症状が出てくるのです。耳というより頭に残る作品です。ただ、演奏家の質は問うようです。大体はヒステリックにぶちまけて終わる、ということになっています。その中でレナー・カルテットは格別に素晴らしいです。
反対に乙女の祈りや威風堂々などを研究する人がいるのか、というようなことでしょうか。
ただし、モーツァルトやショパンは誰が聞いてもすぐに親しめますが、奥深いものです。表面的な華麗さに惑わされて奥に秘められていることに気付かずに終わってしまうこともあります。
初めて聞いて良くないと思って、何度も聞いたけどやっぱり良くないというのもあります。しかしこれは好みの問題でもあり、残念ながら自分の理解力な感性の乏しさの問題でもあります。

少し前にフィルクスニーのヤナーチェク作品集を買い、結構頻繁に聞いています。暗い気分になります。良い作曲家です。ドボルザークに比べて知名度はかなり劣りますが、ヤナーチェクだけを聞いていると苦しくなりますので、別の作曲家も組み合わせて聞くことが多いです。
この前は、ヤナーチェクの歌曲をオペラ風に演出した演奏会に行ってきましたが、面白く聞きました。
オペラの楽しみは未だによく分からないです。オーケストラだけとか、シューベルトやベートーヴェン、シューマンなどの歌曲は楽しめるのですが、オペラは何度見に行っても楽しめません。モーツァルトは良いのですが、ヴェルディやプッチーニのようなイタリアものは辛くなってしまいます。みんな、どのように楽しんでいるのでしょうか...

マウリツィオ・ポリーニ

2024-10-20 01:05:00 | 音楽
今年、マウリツィオ・ポリーニが亡くなりました。ご冥福をお祈りいたします。

思い返せば、中学生の頃に友達からベートーヴェン6大ソナタと称するギレリスのCDを借りて聞いて以来、ベートーヴェンのにわかファンになったわけですが、近所のCDを売っている店にあったのは、ホロヴィッツの悲愴・月光・熱情だけでした。それを買ってしばらくして、ポリーニのヴァルトシュタイン・田園・テンペストのCDも入荷されていましたので購入しました。

ポリーニのヴァルトシュタインは、ロンド楽章が派手なのですが、今思うと厨二病を若干拗らせていた自分にはカッコよかったのです。
それから高校の途中くらいまで、ポリーニにはまりこんでいったのですが、レコード時代の録音はその当時も好きではなかったと思います。ショパンのエチュードやポロネーズ、ベートーヴェンの後期のソナタ、さすらい人幻想曲、シューマン、ブラームスのピアノ協奏曲などを聞いてみました。確かにものすごくうまいのですが、感動的ではなかったと思います。でも、はまっていたので、頻繁に聞いていたと思います。

頻繁に来日していたようですが、インターネットも無く、コンサートを聞きに行く機会はありませんでした。まあ、あったとしてもチケットが高くてなかなか当時は手が出せなかったと思います。
1990年代後半くらいだったと思いますが、ベートーヴェンの後期のソナタとディアベッリ変奏曲、シュトックハウゼンなどの現代曲のプログラムで来日したことがありました。来たことも知らず、新聞で見つけてFMラジオでコンサートの録音の番組があったのを知りました。残念ながら聞き逃しました。

今は当時に比べてポリーニを聞くことは減りましたが、ディアベッリ変奏曲とショパンのバラードと幻想曲のCDはよく聞いています。
ディアベッリ変奏曲は一時期かなりたくさんの録音を聞いています。
シュナーベル、ゼルキン、ピーター・サーキン、ウゴルスキ、リヒテル、グルダ、アンドラーシュ・シフ、園田高弘など。バックハウスは手に入らなかったと思います。ブレンデルも聞きましたが、二度と聞かない。時間の無駄でした。
今でも一番よく聞くのがポリーニだと思います。ウゴルスキもクセがありますが好きです。18変奏やフーゲッタの美しさも魅力ですが、ウゴルスキは全体のバランス感覚が面白くて好きです。しかしポリーニの方が優等生的にうまいかもしれません。ディアベッリ変奏曲に関しては、演奏のお手本にするならポリーニかと思います。
全体のバランスと言えば、ウゴルスキのスクリャービンのソナタは、各楽章のバランスの取り方が素晴らしいと思います。2番は2種類の録音がありますが、1回目の方が好きだと思います。一曲としての繋がりと楽章としての独立性。良いバランスです。
ディアベッリ変奏曲に戻りますが、ポリーニの録音では、フーゲッタやフーガが好きです。どちらもベートーヴェンのフーガの中では比較的短いと思いますが、フーゲッタを美しく、フーガは全体のクライマックスとしてボリューミーに、かつ後半の弾きにくい部分をガッツリ弾き切るのは、ポリーニならではだと思います。
また、第3・4変奏の出だしの部分と後半の短調を予想させる部分のコントラストなどもよく考えられていると思います。それらは全体の構成を分かっていないと表現できないと思いますが、それも理解して演奏していることがうかがえます。
ベートーヴェンは音楽の建築家ですから、初めから終わりに向かって一方通行のように見ていく(聞いていく)だけでなく、全体を上から俯瞰して(楽譜を眺めること、構成を把握すること)考えて読み解いていく必要があります。つまり、第3・4変奏の短調の部分は、第29・30・31変奏を暗示しているわけですが、ポリーニの録音は、あちこちにそういった構成についても意識されているように思います。

2002年ころだったと思いますが、初めてポリーニのコンサートに行きました。サントリーホールでした。リストのソナタとクライスレリアーナの日と、ショパン・プログラムの日、どちらも聞きました。
リストのソナタは何回も弾き直しをしたり、ぐしゃっと誤魔化したりする演奏でしたが、その代わりにものすごい数のアンコールを演奏していました。木枯らし、沈める寺などの小曲で難曲をたくさん演奏してくれました。
ショパンの日は、隣のオッサンが最悪でした。知ったかぶりをするのと、ピアノに合わせて鼻歌を歌う。コンサート会場から消えて欲しい人種ナンバーワンです。おそらく妻だと思われる女性に、色々語っていましたが、一番おかしかったのが、ポリーニはステージ上に客席を設けて客がステージにも座るのですが、指が見えるからそこが一番良い高い席だと言ったことです。ピアニストを見に来るのではなく、陸上の大会に行った方が楽しめる人です。そもそもあそこは響の調整などの理由で席を設けており、学生などが安く買うのです。最悪な隣人でした。鼻歌など言語道断。叩き斬りたい。ちなみにSS席でした。

その後、何回かポリーニの演奏会には行きましたが、どれも結構良かったです。
しかし、最後の演奏会は大変残念でした。本来はハンマークラヴィーアだったのが、曲目の変更でショパンのソナタになり、当日行ってみたら、ショパンの小品やドビュッシーばかり。指の痛みが原因とのことでした。それが最後になってしまいました。おそらく来日自体が最後だと思います。

良い意味でも、そうでない意味でも、時代を作ったピアニストが亡くなってしまいました。

音楽の昔話 小学生の頃

2024-09-28 00:35:00 | 音楽
伯母はショパンが好きでした。
幻想即興曲やノクターンなどのわりとポピュラーなものが好みでしたが、私の周囲には他にクラシック音楽を聞く人はいませんでした。
伯母に影響を受けたから、ということは特にありませんが、小学生の時は私もショパンのそういったポピュラーな曲を集めたCDをよく聞いていました。伯母はたまにしか会いませんでしたが、唯一話ができる人でした。
最初のショパンのCDは、モレイラ・リマ、アンナローゼ・シュミットなどのオムニバスでした。ずいぶん昔のもので、もう我が家にはありません。先ほどヤフオクで調べてみたら出てきました。幻想即興曲が一曲目に入っています。それはよく聞いていました。
当時はCDだけでなく、まだカセットテープも残っていましたので、カセットテープのショパンの方が好きでした。ピアニストの名前は分かりませんが、赤いテープだったと思います。モレイラ・リマに比べて派手な演奏です。
たまに我が家のクルマに伯母が乗って遠出をすることがありましたが、その時にカセットテープを流して一緒に聞いていたのを覚えています。

カセットテープが世間から姿を消して、MDが一気に出てきて、私もカセットテープは捨ててしまいました。MDプレーヤーも買いましたが、あっという間に消え去りました。そのMDプレーヤーは、結構高額なものを買ってもらったのですが、故障で何度も修理に出して、いよいよダメになってしまいました。いわゆるナントカタイマーでしょうか。

時は戻って小学生の時ですが、モレイラ・リマではなく、他の演奏を聞いてみたいと思うようになり、もう一枚ショパンの小品集を買ってもらいました。サンソン・フランソワ。なんかそれまでのイメージと全然違うショパンが現れて、最初は完全にひきました。なにこれ、、、という感じです。しかし諦めずに何度も聞いていくうちに、好きになっていきました。英雄ポロネーズなどが特に好きでした。全くもってクセが強すぎるのですが、今でもショパンやラヴェルなどの演奏をよく聞いています。シューマンも面白い演奏ですが、引き込まれます。シンフォニック・エチュードなど、ものすごく面白いです。

その後、家庭や親戚の中で色々あり、伯母とは疎遠になってしまいました。おそらく15年くらい音信不通のような状態だったと思います。
次に会ったのは祖母が亡くなった時。
それからまた10年。伯母が病気を出して、今はコンスタントにお見舞いに行くようになりました。ショパンなどの好きそうなCDを持っていったりしています。

音楽の昔話 続きの続き

2024-09-27 00:38:00 | 音楽
ハンマークラヴィーアのCDは、アシュケナージの演奏が初めてでした。
ベートーヴェンのピアノソナタの最高傑作というのは分かりますが、イマイチ良さが分かりません。何も感じません。長大な作品ということは分かりましたし、難曲であることも特にフーガを見れば分かります。
しかし、魅力は感じませんでした。
ポリーニの演奏も聞きましたが、興味がわきませんでした。ものすごく上手いんですけどね?

そんな中、市立図書館でソロモンの演奏を借りてきて、これが結構面白い曲だと思うようになり、何度も聞き返すようになりました。おそらくテンポの痛快さ、緩徐楽章の深淵さ(遅いだけ)というのを中学生なりに感じたのだと思います。
高校時代に1ヶ月ドイツに行っていた時、ハンマークラヴィーアを聞きたいと思ってCDショップに行ってみましたが、もちろんソロモンの演奏などは無く、代わりにBBCのリヒテルの演奏を手に入れました。これがソロモンの演奏よりも面白い。フーガのテンポなどはソロモンの方が快調に進むのですが、リヒテルの演奏は感情も一緒に持って行かれます。ライブレコーディングなので、あちこち外していますが、そういうのはどうでも良いのです。3楽章は特に素晴らしいです。Largoの広がりは、平面的ではなく立体的です。

ベートーヴェンが作曲した当時、ベートーヴェンは1・2楽章だけで出版しても良いと出版社に伝えたとかいうウワサもありますが、ハンマークラヴィーアの真髄は3楽章と4楽章にあります。1楽章は大変大きなソナタ形式ですが、3楽章に入っていくと、まるで1楽章は序章であったかのようです。
ベートーヴェンのソナタを見ていくと、時代によって楽章のウエイトが変化していくのがよく分かります。
それが顕著なのが、作品27でしょうか。それまで、1楽章ソナタ形式で後半の楽章よりもウエイトが大きかったのを(4番などの例外はあるが)、クライマックスを完全に終楽章に持って行きました。テンペストのように、全楽章ソナタ形式というのもあります。
そういった試行錯誤があり、ヴァルトシュタインや熱情ソナタのような、1楽章と同等の大きさの終楽章を持つソナタを書くようになりました。
それが後期にかけても、27・28番のように、作品27のような試行錯誤をしました。緩徐楽章とソナタ形式の位置関係を動かしていますが、28番の特徴の一つはソナタ形式の中にフガートを挿入したことです。ベートーヴェンは、ソナタの中にフーガを入れようと試みたのです。その結論がハンマークラヴィーアです。やはりソナタは巨大な1楽章を必要としましたが、熱情ソナタと少し違うのは、それよりも大きな緩徐楽章や終楽章を作ったことです。その構成は、続く3つのソナタにも大きく影響を与えています。そして、1楽章の中間部(すでに呈示部で展開されているのに、展開部と呼ぶことには疑問があります)にフガート(またはフーガ)、終楽章はフーガになったことも大きいです。
作品27や作品101などの試行錯誤の時代とは、まさにベートーヴェンの人生の試練の時代であったのです。それらは、ハイリゲンシュタットの遺書、不滅の恋人の事件の時期と一致します。そうした大きな試練を克服する手段として、新たな音楽の世界を切り開こうとしたようです。
その一つが、ソナタの構成でした。楽章内の構成もそうですが、全楽章通しての大きな流れを組み立てていったようです。
もう一つが、フーガの研究です。ちょうどどちらの時代にも、バッハの平均律を弦楽四重奏曲に編曲するなど、フーガを深く研究した様子があります。変奏曲作品35にもフーガは登場しますが、フーガに関しては後期に花開きます。それがハンマークラヴィーア、作品110、ディアベッリ変奏曲、第九交響曲、大フーガなどに繋がっています。ベートーヴェンの数ある魅力の中の1つです。

今もリヒテルのハンマークラヴィーアを愛聴していますが、プラハリサイタルを1番よく聞くかもしれません。
また、大学時代にはアニー・フィッシャーを教えてもらいました。リヒテルが絶賛するだけのことはあります。ものすごく素晴らしい演奏です。芯の強い演奏です。一つだけ難点を挙げるとすれば、ベートーヴェンのソナタ全集の中でもリピートしない演奏があることくらいでしょうか。とても勿体無いですが、リヒテルもアニー・フィッシャーがリピートを省くことで素晴らしい演奏を台無しにする、というようなことを書いています。
現在はこの2人の演奏を特によく聞いていますが、シュナーベル、ゼルキン、チッコリーニ、ペーター・レーゼルなどの演奏も好きです。シュナーベルのフーガは速すぎてめちゃくちゃになっています。

音楽の昔話 続き

2024-09-26 00:26:00 | 音楽
中学1年のときに「ホロヴィッツの夕べ」という本を買いました。晩年のホロヴィッツの様子が描かれています。

ホロヴィッツの考えや彼の周りの人間のとの関わり、彼以外の様々な人間の考え方。レコーディングのことなど、大変面白い本です。

例えば、モーツァルトのコンツェルトのレコーディングまでの様子。23番のオリジナルのカデンツァが気に入らずブゾーニのカデンツァを手に入れて初見で弾くところなんかは、とても興味深いです。そのレコーディングを知ったので図書館で探して聞きました。それにまつわるエピソードを知っていると、聞いていても面白さが違います。

ディアベッリ変奏曲を弾いたときのシュナーベルの不平について書いてありました。聴衆は金を払って苦しみ、自分だけが金をもらって楽しむと言った。というエピソードを私の恩師に話したら、聴衆も苦しみ、自分も苦しむ。みんな苦しむとおっしゃっていました。
私はシュナーベルのディアベッリ変奏曲が生で聞けるなら、全く苦しみませんけど。喜んで聞きに行きます。弾くのは苦しみます。

昔のピアニストのこともその本で知りました。
パデレフスキ、ヨゼフ・ホフマン、ソフロニツキー、ギーゼキング、ブゾーニ、ゴドフスキー、コルトー、イグナツ・フリードマンなどなど。
現在ではもしかしたらあまり受け入れられないのかもしれませんが、大変個性的で情緒にあふれた演奏です。

その時期、フィリップスから20世紀の偉大なるピアニストというシリーズが発売されていました。ブレンデルが選曲に携わっているということで、変なものもたくさんありますが、市立図書館がそのシリーズの多くを収集していました。本で読んだピアニストのものもありました。そういった演奏を聞くことができました。
また、ソロモン、リヒテル、エドヴィン・フィッシャー、チェルカスキーなどもそのシリーズで初めて聞きました。
当時はソロモンを頻繁に借りていました。しかし今聞くと、そんなに良いとは思わないです。不思議なものです。テンポは威勢がいいですが、高揚感のようなものはあまり感じません。魅力的ではないような気がします。
ブレンデルは最初から好きではないです。なんか変。言ってることも変だし、演奏はもっと変です。しかし、生で聞いたことが無いので、本当に良くないのか分かりません。ディアベッリ変奏曲のライブレコーディングは聞きましたが、変でした。
エドヴィン・フィッシャーは何が入っていたか記憶に無いのですが、モーツァルトがとても好きだったと思います。もしかしたら違うCDで聞いたかもしれません。戦時中にベルリンフィルと録音したブラームスの第2番も好きです。なんかすごい演奏。

チェルカスキーは、その頃来日するというのを何かで知って、ベートーヴェンの28番がプログラムに入っていたと思うのですが、結局来日せずに亡くなったと記憶しています。もし来日していれば聞きに行ったと思うのですが、残念です。

またその頃は新聞の懸賞?で、しょっちゅうコンサートが当たっていました。8割くらいの確率で当たってコンサートに行っていたように思います。

とにかく、ホロヴィッツの夕べという本で様々な人物を学び、図書館で借りてきたCDなどで色々な演奏を知りました。同じ曲でも、人によって様々であり、好きなものもあれば、そうでもないもの、ニ度と聞きたくないものなど、生意気にも解釈というようなモノを意識していたように思います。

続くかも。