吉祥院在住知明日記

京都人による知る人ぞ知るたいしたことない大学生日記!!を経て、社会人日記!!!

法事で考える

2006-10-08 23:15:07 | 日記
昨日の飲み会は朝まで続き、始発で家に帰ってきたわけやけど、とんでもなく眠たくて朝からある法事にあやうく寝坊のち遅刻しそうになった。

お寺は東寺の近くやから遠くはないんやけど、車に5人はしんどいからって俺はチャリで行かされた(笑)

そんなわけで朝帰ってきてギリギリまで寝て遅刻の危機にさらされたんやけど、今日はもっとシリアスな感じで書いていこうと思います

いつもバカみたいなことばっかり書きません(笑)

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7回忌。じーちゃんが死んで6年ってことになる。

色々な事起こった。まぁ自分の家がどーなったとかはないけど親戚は良い事も悪い事もあったみたいや。俺んちで言うならばーちゃんが弱くなったことかなぁ・・・。


坊さんがお経を唱える背中を見つつ、そんなことに想いふける。それはまだ続く。


「死」だけでなく「宗教」ってもんについて考え出した。


なんで宗教なんてもんがあるんやろうって。


誰しもが小さい頃からお墓参りには行ってるやろう。親は決まって「じーちゃんにあいさつしー」とか似たような表現のことを子どもに伝える。

それは今も変わらんし、お盆になれば「ご先祖様が帰ってきたはんでー」と仏壇の電気をその期間点けっぱなしにしてる。

つまり、何が言いたいって俺らのやってることって自己満足やなってこと。


別に何の宗教でもいいけど、故人を偲ぶっていうより生きてる人間が定期的に思い出してるだけな気がする。

忘れないんじゃなくて思い出す行為


俺は信心深い人間ではない。やから新興宗教にはまる人間の気持ちは全く理解できん。それこそ生きてる人間のために作られたものやろう。

都合のいいように。


宗教を信じないし、もちろん占いも信じない。占いは深く考えんといてほしいんやけど、「本気」で信じないってだけで朝のニュースで占い1位とかやとテンションは上がる(笑)

俺が言うのは仰々しい占いのことやで。

正直手相もどうかと思うような人間やねん、俺は。運命が手で決まるか、ボケって思ってしまう。

なんとか星人のやつだって前ブログでネタにしたけどあくまでネタで信じる気なんてサラサラない。占い師より断然手品師の方が価値あるとか思ってる。


って話がずれてしまった


坊さんはお経を唱えてる。・・・俺らの満足のために。

南無阿弥陀仏ーと言われても俺は死んでたらあんま嬉しくない。いや、全然嬉しくない。むしろ官能小説を朗読してくれた方がありがたい(笑)成仏っていうより昇天やな(笑)


冗談が交じってしまったけど、誰が南無阿弥陀仏と言われて嬉しいんかはわからん。てか死人に口なしいうくらいやのになんで死んでる人間が南無阿弥陀仏と唱えて欲しいって事実を知ったんやろか。

確実に生きてる人間が勝手に決めたことやろ。


・・・宗教って生きてる人間への慰めにしかなってへん。
別に俺の生きてく道を教えてくれなくていいから亡くなった人に何ができるかを知りたいもんや・・・と緑色の袈裟を着た坊さんの頭の真一文字のハゲを見つつ思ってた。


宗教について否定的になりたくはないけど、宗教の教祖は今だって、たぶん昔だって同じ気持ちで開祖したんやろう。

「人々に光を」とか、「みんなを引っ張っていく」とか、結局は人をまとめるツールの一つとして宗教が生まれただけなんやろな。本当の目的は大いに異なるやろうけど。


俺がじーちゃんにできることなんてない。望みがわからんから。

でも自分と言う人間のためにじーちゃんを絶対忘れない。

俺は思い出すことなんかより大切にしたい。


だからあえて法事はいらない。やるなら月1でもしたらいい。


そんなことを考えた1日。