橆生さんの優しいオカルトな日々

シュタイナーのオカルト知識を日々に活かし、自分らしい世界の愛し方をいろんな人と一緒に考え合いたい

オカルトな梅雨(自己紹介の始まり前日)です

2020-06-30 10:21:37 | 自己紹介
しっかり自己紹介しようと思って、
さぁ、なにを書こう? いつ頃のわたしから書こう?
と考えてたら、ブログが止まってしまいました。

こんなコト書いたら、きっと笑われるよな~
って思いもするけれど、
以前だったら表現してはいけないようなことを
どんどんブログに書いていい時代なんだと感じてるから、
少し勇気が必要だけど、書いていこうと思ってます。


書くのに勇気が必要なのは、
わたしが他の人が感じてないことを感じているから。
スピ系の人はよくそんなことを表現してるけど、
そういうブログなどを読むたびに、なんだかなぁと思う。


その人たちはきっと、本当に何かを見たり聞いたりしてるんだけど、
自分が見たいようにしか見てない気がする。
その愚を冒さないために、そういう行?を伝える人たちは、
まず表現をしないようにと教えているけど、
その言葉も歪んだ解釈をされて、表現する人が排除される。


大切なことは感じ取れるさまざまなことを、
正しく読み取って、行動に移すこと。
でもまず最初は、翻弄されないってことが重要だよね。
そんな試行錯誤と今のわたしの行動との繋がりを
このブログでしっかり書いていこうと思っています。


今日は前置きが長くなっちゃったから、少しだけ。
では、
ハーバルオカルティスト橆生さんの自己紹介の始まり始まり~♬




わたしには線のような、糸のような、
色のような、音のような、輝きのような、何かが見えている。
子どもの頃は自分にだけ見えてるとは知らなかったから、
とても変な子で、ご多分に漏れずコンプレックスいっぱいだったっけ。


わたしは変な子で、わたしの感じてることはいつも間違っていて、
話せば話すだけ、人にバカにされるっていう感触。


たぶんこの子どもの頃のコンプレックスが、
大人になってからのわたしを救ったんだと思ってる。
つまり「見たいように見ない」という訓練を、
自分を守るために自然にやっていた、ということ。


見えているものが何か分かったのは、
大人になって、シュタイナーの著書に出会ってから。
分かって嬉しかったし、ホッとしたし、
見たいように見ない世界は豊潤で、最初はとても楽しかった。




でもね、そこからがわたしの大人としての、本当の始まりだった。
to be continued・・・・