1.海が荒れているのに船出するなら、船乗りの命を危険に晒すことになる。
世論が反発しているのに断行するなら、政権は転覆する惧れがある。
波や風が方角を決めるのではないが、それを無視するのは愚か者だ。
海を恐れていては船は出せないが、海を侮る物は船乗りになれない。
「神は、お前達を陸に海に往来させたもうお方である。お前達が船に乗り込んでいるときでもそうであるが、船が彼らを乗せて軟風を受けて走り、彼らが喜んでいると、忽ち暴風が襲来し、四方から波が来て、彼らは絶体絶命に陥ったと思い、一向神に誠を尽くしてこう祈る、『もしあなたが我々をここからお救い下さったならば、我々は必ず感謝を奉げる者となります』。しかし神が彼らを救い給うと、見よ、彼らは真実を無視して地上で不義を行う。おお、人々よ、お前達の不義の行いは、結局、お前達自身に向けられる。現世の生活を楽しんでおけ。やがてお前達が行っていたことを吾らから告げ知らされることになる(コーラン10:22)」
2.海は意志を持たない、風と重力に従っているに過ぎない。
民は意志を持たない、報道と欲情に従っているに過ぎない。
風を封じれば、航海は大分完全になるが、帆船は前に進まない。
報道を規制しても、方針が間違っていれば、遭難するのは避けられない。
「イエスが舟にお乗りになると、弟子たちも従った。すると、見よ、湖に大暴風が起こって、舟は大浪を被った。ところが、イエスは眠っておられた。弟子たちはイエスの御元に来て、イエスを起こして言った。『主よ、助けて下さい。私達は溺れそうです』。イエスは言われた。『なぜ怖がるのか、信仰の薄い人たちだ』。それから、起き上がって、風と湖を叱りつけられると、大凪ぎになった。人々は驚いてこう言った。『風や湖までが言うことを聞くとは、一体この方はどういう方なのだろう』(マタイ伝8:23)」
3.誰が舵を取るにせよ、底に穴が開いているならば、そっちの修理が先決だ。
誰が政権を執るにせよ、財政に穴が開いているならば、赤字の削減の方が優先だ。
海が騒いで襲い掛かってきたからといって、荷物を捨ててもどうにもならない。
民が騒ぎ出したからといって、無駄な業務を民間に投げても民の怒りは収まらない。
「翁曰く、国家の事を俗に屋台船と云ふ、面白き俗言也。国を実に舟と心得るべし。是を舟とする時は、国中の者は乗り合いにして、世の中は大海也。然る時は、此の屋台船に事有るも、又世の大海に事有るも、皆逃れざる事にして、船乗りは勿論、此の船に乗り合はせたる者は、一心協力して此の船を維持すべし。さて又此の船を維持するには、舵の操り様と、船体に穴の開かぬようにするとの二つが肝要也。此の二つに能く気をつければ、国家の維持疑ひ無し。たとひ大穴ならずとも、少しにても穴が開きたらば、速やかに乗合一同力を尽くして、穴を塞ぎ、朝夕ともに穴の開かざるように、能く能く意を注ぐべし。是れ乗合の者の大切の事也。然るに舵の操り様にも意を用ひず、船体の底に穴が開きても、是を塞がんともせず、主君は働かずして酒を飲み、士官は争いに耽り、民は遊興に溺れ、学者は詩を作り歌を読み安閑として歳月を送り、誰か塞いで呉れそうなものだと、助け船をのみ頼みにして、終に国家を沈没するに至らしむ、嘆息の至りならずや。船中の乗合一同、身命を擲って働かずば、あるべからざる時なるをや(二宮翁夜話/第88章)
4.遠くにそれは望めるが、どこまで漕いでも水平線には辿り着かない。
理想としては描けるが、万人平等の福祉社会などは虚妄に過ぎない。
海と船とが水平になったら、船は沈没したも同然だ。
意識でも待遇でも、民と官の格差が無くなったら、国家は消滅したも同然だ。
「乗組員は船を漕いで陸へ戻そうとしたが、できなかった。海がますます荒れて、襲い掛かってきたからである(ヨナ書1:13)」
5.船が今まさに沈もうとしている時、大きな音と波を立てて、船体は二つに裂ける。
民主国家が今まさに滅びようとしている時、大騒ぎして国家は二つに分裂する。
態々海水を汲み上げて、重さに舵を任せているなら、船が沈むのは当たり前だ。
帝国とは名ばかりで、皇帝さえ世論に支配されているなら、ローマも民主国家と言うべきだ。
「孔子曰く、舟は水に非ざれば行かざるも、水、舟に入らばすなわち没す。君、民に非ざれば治らざるも、民、上を犯さばすなわち傾く。是の故に君子は厳ならざるべからず。小人は整一にせざるべからざる也、と(孔子家語/第15章)」
6.行き先が同じだからといって、他の船と連結するなら、進むも沈むも共にせねばならぬ。
理想を同じくするからといって、他国と同盟を結ぶなら、滅びるときも一緒でなければならぬ。
投げ出された人は助けても、沈みかけた船まで助けようなどと思わぬがよい。
亡命してきた人は受け入れても、破滅した国家の再建などは間違っても請け負うな。
「泣き叫べ、タルシシュの船よ
ティルスは破壊され、住む家もなくなった(イザヤ書23:1)」
7.ネズミから床下の野菜を取り上げると、今後は卓上の果物が齧られる。
売春や闇金融を規制すると、暴力団は詐欺や強盗でしのぎを始める。
ネズミは、食べ物を齧るのを待たずに、見つけたら退治すべきではないか。
ネズミが柱を齧るようになったら、その家はもう長くない。
「汚れた霊が人から出て行って、水のない地をさまよいながら休み場を捜しますが見つかりません。そこで、『出てきた自分の家に帰ろう』といって、帰って見ると、家は空いていて、掃除してきちんと片付いていました。そこで、出掛けて行って、自分より悪いほかの霊を七つ連れて来て、皆入り込んでそこに住み着くのです。そうなると、その人の後の状態は、初めよりもさらに悪くなります。邪悪なこの時代も又、そういうことになるのです(マタイ伝12:43)」
8.蜂に巣箱を提供するのは蜜を盗まんとする者。
蜂に刺されても文句は言えない。
他国に新政府を押し付けるのは、甘い利権を貪らんとする者。
テロに遭っても文句は言えまい。
9.家を建て替えるなら、設計の後、仮の住まいを用意して、それから解体に取り掛かる。
国家を新築するなら、解体する前に人事を終え、仮の政府を設けておかねばならない。
設計も仮寓も周囲への配慮もなく、建物を解体するなら大混乱が起きる。
依頼されもしないのに、他人の家を破壊する者は、大工と呼ばず地上げ屋と呼ぶ、
10.道徳教育は国家の礎、賞罰は屋根の抑えの石。
礎が緩いと家が揺れ、家が揺れると石が増える。
屋根が重くなると柱が傷み、柱が傷めば家の寿命が縮まる。
重荷に家が傾くと、大工たちの頭に瓦礫が降ってくる。
「家を建てる者たちの見捨てた石
それが礎の石となった。
これは主の御業である。
私たちの目には驚くべきこと。
今日こそ主の御業の日
今日を喜び祝い、喜び踊ろう(詩篇118:22)」
世論が反発しているのに断行するなら、政権は転覆する惧れがある。
波や風が方角を決めるのではないが、それを無視するのは愚か者だ。
海を恐れていては船は出せないが、海を侮る物は船乗りになれない。
「神は、お前達を陸に海に往来させたもうお方である。お前達が船に乗り込んでいるときでもそうであるが、船が彼らを乗せて軟風を受けて走り、彼らが喜んでいると、忽ち暴風が襲来し、四方から波が来て、彼らは絶体絶命に陥ったと思い、一向神に誠を尽くしてこう祈る、『もしあなたが我々をここからお救い下さったならば、我々は必ず感謝を奉げる者となります』。しかし神が彼らを救い給うと、見よ、彼らは真実を無視して地上で不義を行う。おお、人々よ、お前達の不義の行いは、結局、お前達自身に向けられる。現世の生活を楽しんでおけ。やがてお前達が行っていたことを吾らから告げ知らされることになる(コーラン10:22)」
2.海は意志を持たない、風と重力に従っているに過ぎない。
民は意志を持たない、報道と欲情に従っているに過ぎない。
風を封じれば、航海は大分完全になるが、帆船は前に進まない。
報道を規制しても、方針が間違っていれば、遭難するのは避けられない。
「イエスが舟にお乗りになると、弟子たちも従った。すると、見よ、湖に大暴風が起こって、舟は大浪を被った。ところが、イエスは眠っておられた。弟子たちはイエスの御元に来て、イエスを起こして言った。『主よ、助けて下さい。私達は溺れそうです』。イエスは言われた。『なぜ怖がるのか、信仰の薄い人たちだ』。それから、起き上がって、風と湖を叱りつけられると、大凪ぎになった。人々は驚いてこう言った。『風や湖までが言うことを聞くとは、一体この方はどういう方なのだろう』(マタイ伝8:23)」
3.誰が舵を取るにせよ、底に穴が開いているならば、そっちの修理が先決だ。
誰が政権を執るにせよ、財政に穴が開いているならば、赤字の削減の方が優先だ。
海が騒いで襲い掛かってきたからといって、荷物を捨ててもどうにもならない。
民が騒ぎ出したからといって、無駄な業務を民間に投げても民の怒りは収まらない。
「翁曰く、国家の事を俗に屋台船と云ふ、面白き俗言也。国を実に舟と心得るべし。是を舟とする時は、国中の者は乗り合いにして、世の中は大海也。然る時は、此の屋台船に事有るも、又世の大海に事有るも、皆逃れざる事にして、船乗りは勿論、此の船に乗り合はせたる者は、一心協力して此の船を維持すべし。さて又此の船を維持するには、舵の操り様と、船体に穴の開かぬようにするとの二つが肝要也。此の二つに能く気をつければ、国家の維持疑ひ無し。たとひ大穴ならずとも、少しにても穴が開きたらば、速やかに乗合一同力を尽くして、穴を塞ぎ、朝夕ともに穴の開かざるように、能く能く意を注ぐべし。是れ乗合の者の大切の事也。然るに舵の操り様にも意を用ひず、船体の底に穴が開きても、是を塞がんともせず、主君は働かずして酒を飲み、士官は争いに耽り、民は遊興に溺れ、学者は詩を作り歌を読み安閑として歳月を送り、誰か塞いで呉れそうなものだと、助け船をのみ頼みにして、終に国家を沈没するに至らしむ、嘆息の至りならずや。船中の乗合一同、身命を擲って働かずば、あるべからざる時なるをや(二宮翁夜話/第88章)
4.遠くにそれは望めるが、どこまで漕いでも水平線には辿り着かない。
理想としては描けるが、万人平等の福祉社会などは虚妄に過ぎない。
海と船とが水平になったら、船は沈没したも同然だ。
意識でも待遇でも、民と官の格差が無くなったら、国家は消滅したも同然だ。
「乗組員は船を漕いで陸へ戻そうとしたが、できなかった。海がますます荒れて、襲い掛かってきたからである(ヨナ書1:13)」
5.船が今まさに沈もうとしている時、大きな音と波を立てて、船体は二つに裂ける。
民主国家が今まさに滅びようとしている時、大騒ぎして国家は二つに分裂する。
態々海水を汲み上げて、重さに舵を任せているなら、船が沈むのは当たり前だ。
帝国とは名ばかりで、皇帝さえ世論に支配されているなら、ローマも民主国家と言うべきだ。
「孔子曰く、舟は水に非ざれば行かざるも、水、舟に入らばすなわち没す。君、民に非ざれば治らざるも、民、上を犯さばすなわち傾く。是の故に君子は厳ならざるべからず。小人は整一にせざるべからざる也、と(孔子家語/第15章)」
6.行き先が同じだからといって、他の船と連結するなら、進むも沈むも共にせねばならぬ。
理想を同じくするからといって、他国と同盟を結ぶなら、滅びるときも一緒でなければならぬ。
投げ出された人は助けても、沈みかけた船まで助けようなどと思わぬがよい。
亡命してきた人は受け入れても、破滅した国家の再建などは間違っても請け負うな。
「泣き叫べ、タルシシュの船よ
ティルスは破壊され、住む家もなくなった(イザヤ書23:1)」
7.ネズミから床下の野菜を取り上げると、今後は卓上の果物が齧られる。
売春や闇金融を規制すると、暴力団は詐欺や強盗でしのぎを始める。
ネズミは、食べ物を齧るのを待たずに、見つけたら退治すべきではないか。
ネズミが柱を齧るようになったら、その家はもう長くない。
「汚れた霊が人から出て行って、水のない地をさまよいながら休み場を捜しますが見つかりません。そこで、『出てきた自分の家に帰ろう』といって、帰って見ると、家は空いていて、掃除してきちんと片付いていました。そこで、出掛けて行って、自分より悪いほかの霊を七つ連れて来て、皆入り込んでそこに住み着くのです。そうなると、その人の後の状態は、初めよりもさらに悪くなります。邪悪なこの時代も又、そういうことになるのです(マタイ伝12:43)」
8.蜂に巣箱を提供するのは蜜を盗まんとする者。
蜂に刺されても文句は言えない。
他国に新政府を押し付けるのは、甘い利権を貪らんとする者。
テロに遭っても文句は言えまい。
9.家を建て替えるなら、設計の後、仮の住まいを用意して、それから解体に取り掛かる。
国家を新築するなら、解体する前に人事を終え、仮の政府を設けておかねばならない。
設計も仮寓も周囲への配慮もなく、建物を解体するなら大混乱が起きる。
依頼されもしないのに、他人の家を破壊する者は、大工と呼ばず地上げ屋と呼ぶ、
10.道徳教育は国家の礎、賞罰は屋根の抑えの石。
礎が緩いと家が揺れ、家が揺れると石が増える。
屋根が重くなると柱が傷み、柱が傷めば家の寿命が縮まる。
重荷に家が傾くと、大工たちの頭に瓦礫が降ってくる。
「家を建てる者たちの見捨てた石
それが礎の石となった。
これは主の御業である。
私たちの目には驚くべきこと。
今日こそ主の御業の日
今日を喜び祝い、喜び踊ろう(詩篇118:22)」