こんばんわ
突然だけど、皆さんは1番に拘りますか?
僕は1番に拘らない。
出来れば2番と言う位置が好き。
このように書くと、特定の人民は不思議に思う。
つまり、金より銀の方が好きだと言うことであり。
「沈黙は金、雄弁は銀」との違い。
これは、どちらが良いのか?一概に言えず、その時の状況だと言うこと。
これを一言で「空気を読む」と言う。
要するに、1番も2番も変わりが無く、その時の状況の価値だと言うことだ。
(「沈黙は金、雄弁が銀」と言う言葉が作られた時には「銀の方が価値があった」ようだ!)
(ここで、余談です。)
では、3番の銅は何を考える?
俺は色的には、金に近いし、銀と同じように、しばらくすると黒くなる。と考えるでしょ?
しかし、金との色の違いは、捏造して知らない方に思わせるしか無いけれど。
黒くなる性質は事実であり、誰もが知るところ。
この性質だけで、手の届かない金を目指すより、より性質の近い銀に見せようとするし。
表面だけを変えれば(整形)性質は銀と同じだから、銀に見せることが出来る。
しかし、銅は酸化して黒くなるけれど。
銀は硫化をして黒くなる。
そして、銀になりかわった銅は次に何を考えるのか?
それは、金だって酸化しにくいだけで、俺たちと同じ酸化をするのだ!
だから、俺らは金になれるんだ!などと考えるでしょ?。Lol
これを、特定の国にシンクロさせると面白いほど当てはまるから楽しいと思います。
そこで、【表面だけを変えれば(整形)性質は銀と同じだから、銀に見せることが出来る。】と書きましたが。
金や銀も、表面だけを変えれば(整形)その種に見せることは出来る。
しかし、性質として違うし。
その時の状況の価値だから、見せる必要もない。と言うことです。「沈黙は金」
けれど、銅の企みから「沈黙は金」と余裕をぶっこいていると、それは成り代わってしまう可能性を秘めているということ。
これが、「雄弁は銀」です。
このバランスから、金は何もしなくても、金であり続けることが出来るし、銀と銅の抗争だけで、金であり続けられる。
しかし、銅が銀に成り代わった時には、金は必死にならなければ、銅と言う名前になってしまう。
なぜなら、金は銀との色も違えば、性質も違うからです。
つまり、金は1番 or 3番
その時、銀は2番に復活する。
(余談ここまで)
と言うような、僕は様々なことを応用して考える。
この応用が、見方によれば「妄想」に見えてしまうけれど。
これは、「想像」なのです。
この微妙な違いを知らなければ、誰かが「妄想だ!」と騒げば。
そうだよね、「妄想」だよね!と信じてしまうから、これも一興として面白いし。
マンネリな「言った者勝ち」の行動はバカすぎて、ある意味で大笑いしてしまう。
また、先に言った者勝ちのように「妄想だ!」と言った方は、この法則を知っているから述べているため。
信じ込んで騙された方に対しても愉快だし。
その状況した、相手に対しても愉快になれる。
その上、信じ込んだ方を容易く騙せると言うことは明らかになっているから奴隷として扱いやすい。
どぉ?
理解出来る?
難しい?
と言うところで、簡単に脳の体操をしたから寝ようっと
ぢゃねー