死ぬ直前に「いい奴」になる悪役
コミックの中には、それまでさんざん悪役っぽく描かれてきて、主人公にとっては「たおすべき相手だった敵」だったのに、主人公と戦って死ぬ間際に、読者に「実は、いい奴」だったと思わせるキャラがけっこういる。
分かりやすいのは、「北斗の拳」に出てきた「サウザー」「ラオウ」などは、そのいい例ではないか。
ラオウにしろ、サウザーにしろ、主人公ケンシロウと戦うまでは、物語の中でずっと「悪役」みたいに描かれていたのに、死ぬ間際の散り際のかっこよさや、悪役にならなければならなかった「正当性」や「悲しい過去」が明かされ、「実はいい奴だった」という印象に変わる。
ラオウなどは、散り際のカッコよさもさることながら、なぜ悪役っぽい生き方をしてきたかの過去や動機が徐々に明かされていき、死後はある意味ケンシロウに勝るとも劣らぬヒーローとして人気がウナギ登りだった覚えがある。
個人的にはラオウに勝るとも劣らないぐらいサウザーも好きになった覚えがある。
メイン級のキャラのうち、レイやジュウザ、トキなどは、生きてる頃からも「いい奴」だったので、死んだ時は読者としては寂しかったし、悲しくもあった。
その分、死後にいきなり人気急上昇という感じではなく、生前の良いイメージのまま、死後にも一定の人気を保った。
だが、ラオウやサウザーなどは、生前「悪役」だったぶんだけ、死ぬ間際の姿と、悪役にならなければならなかった理由の正当性(?)ゆえ、悪役時代とのギャップがあったぶん、余計に死後に人気があがった。
これって、実はかなりおいしいキャラだよね。
サウザーにしろ、ラオウにしろ、なぜ悪役っぽい生き方をしなければならなかったかというその理由が、もし生前にも明らかにされていれば、死後にこれほど人気があがったりすることはなかった気はする。
まあ、その分、生きてる頃にもっとイメージが良くて、ケンシロウが戦うべき正当性が薄らいだ気はするし、だいいちケンシロウ自身も戦い辛かったに違いない。
その理由や正当性が、死ぬ間際や死後に明らかになったからいいんだね。
生きてる頃に悪役を演じることで、ケンシロウに戦う正当性を与え、死んだ後には「実は」という事実が明らかにされ、「実はいい奴」になり、物語そのものに「深み」を与える。
考えてみれば、物語上では、得難い役回りだったと思う。
悪役にはいくつかのパターンがあるが、徹底的に悪を貫くキャラもいれば、最初は良い奴でも実は悪い奴だったというキャラもいれば、最初は悪役でもだんだん良い奴になるキャラもいるし、今回のネタのように生前は悪役でも死後に良い奴になるキャラもいる。
悪役というのが主人公に倒される役どころであるなら、生前は悪役でも死後に良い奴になるキャラというのが一番読者の記憶に残ると思う。
徹底的に悪を貫くキャラは、それはそれなりに一定のファンもつく場合もあるが、多くのファンから好かれるケースはそれほど多くはない。
最初は良い奴でも、実は悪い奴だったというパターンは、一番好かれにくい役どころではないか。
最初は悪役でも、だんだん良い奴になるキャラは、良い奴にだんだんなっていく過程で存在感が薄れていったり、出てきた時の迫力はなくなっていったりする。
そう考えると、やはり悪役としては、生前は悪役を演じ続け、強いまま迫力が薄れることもなく持続し、死後に「生前の事情」があかされてどんどんイメージが良くなっていくキャラが一番人気を集めると思うし、場合によっては主人公に負けないぐらい魅力的になったりする場合もある。
しかも、すでに死亡してる場合、はかなさや追悼や悲しみも増加される。
そんな悪役は、理想のおいしい悪役ではないか。そんな気がする。
終わりよければ、すべて良し・・・みたいな?
時間の外にようこそ。
サウザーの考え方、ペットに例えるのは思いつきませんでした。
言われてみれば、確かにそんな感じですね。
ペットに関しては、そういう考え方の方、確かにいます。
私の出会った人のなかにも、そういう人いましたから。