時間の外  ~since 2006~

気ままな雑記帳です。話題はあれこれ&あっちこっち、空を飛びます。別ブログ「時代屋小歌(音楽編)(旅編)」も、よろしく。

尾崎・・といえば、紀世彦だった。

2012年06月02日 | 音楽全般

歌手の尾崎紀世彦さんが、亡くなられた。

正直、相当ショックで、私は落ち込んでいる。

少年時代の私の青い日々の一部が失われたような気分でいる。

以前、尾崎さんのことをこのブログで取り上げたことはあるが、普段私はあまり声高には自分が尾崎紀世彦が好きであることをアピールしていない。

それは自分が尾崎さんのファンであるにもかかわらず、コンサートには一度も行ったことがないという引け目があったからだった。

正直、今年の秋ごろに、尾崎さんのコンサート情報があれば、絶対行こうと思っていたのだ。去年行こうとして行けなかったぶんだけ。

それがまさか・・・かなわぬことになってしまうとは・・。

 

幼い学校時代、クラスで私の席の前の席に座ってたE君は、歌がうまい奴だった。そのE君は尾崎さんの大ファンで、尾崎さんのモノマネがうまかった。

尾崎さんの仕草、声質、歌い方などを、よく私の前でマネしてみせていた。

E君は私に出した年賀状に、尾崎さんの似顔絵を描いていたりした。E君は、特別絵がうまかったわけではなかったが、そんな彼が、私に出す年賀状に時間をかけて、一生懸命に尾崎さんの似顔絵を描いたのを見て、私の心がほころんだことを覚えている。

かく言う私も、誰かに出す年賀状に、尾崎さんの似顔絵を描いた覚えがある。

また、当時私は漫画i家志望だったので、ノートにあれこれ漫画を描いていたのだが、その中の一つの「SF野球漫画」に尾崎さんをモデルにした登場人物を出していたりした。まあ、チョイ役ではあったけど(笑)。

「また逢う日まで」の頃の尾崎さんといったら、極めて特徴のある容姿だったから、描きやすかったんだと思う。

独特の、はねるような横分けヘアー。そしてなんといっても、あのもみあげ。

その他、太い眉、不敵で精悍ながらもややタレ気味な目、歌ってる時の大きな口とその近くのシワ、男っぽく野性味あふれる雰囲気・・などなど。

特に、ヘアスタイルともみあげさえ似せて描けば、尾崎さんの顔っぽくなった。

そんな、分かりやすい容姿、歌のうまさ、楽曲の良さ、そしてE君の影響などもあって、私も尾崎さんの大ファンになった。

アイドルの甘さや可愛さがもてはやされていた当時の歌謡界に、甘さとは無縁の彼の媚びないキャラクターは、すごくカッコよかった。

色々な芸能人が当時、尾崎さんのボーカルをほめたたえていた。なにやら、それを聞くと、自分のことでもないのに、なぜか私は誇らしかったし、尾崎さんが頼もしく思えた。

 

で、私の前の席に座ってたE君は、当時私に尾崎さんのLPを貸してくれた。

それは「マイ・フェイバリット・ソングス」・・そんなタイトルのアルバムだったと思う。収録されていたのは、すべて洋楽のカバーだった。

「シーズ・ア・レディ」「太陽のあたる場所」「ラバーズ・コンチェルト」などなどの、ポップスのスタンダードナンバーばかりのカバーアルバムだった。

それを聴いて、ビートルズによって開かれた私の洋楽趣向は、更に広がったと思う。

 

尾崎さんは、当時「和製トム・ジョーンズ」みたいな売られ方をしていたように思う。

実際に尾崎さんは、トムの「シーズ・ア・レディ」をレパートリーに入れていたし、彼自身トム・ジョーンズは大好きだったであろうし、影響も受けていただろう。

尾崎さんの歌唱のスケール感、熱さ、爽快感などが私は大好きだった。

彼の歌というと、どうしても「また逢う日まで」ばかり取り上げられがちであるが、どっこい私は「さよならをもう一度」の方が好きだった。

「また逢う日まで」のレコードは買わなかったけれど、「さよならをもう一度」のレコードは買ったのが良い証拠かもしれない。

もちろん「また逢う日まで」は名曲だし、大好きな曲ではあるが、単にそれ以上に私は「さよならをもう一度」が好き・・それだけのことだ。

当時少年だった私は、毎日風呂に入るたびに「さよならをもう一度」を風呂場で歌っていた覚えがある。それは日課のようでもあった。

惚れこんでいたんだね。

それともう1曲。「さよならをもう一度」のシングルのB面に入っていた曲「夕やけの誓い」は、A面と同じくらい好きで、このシングルは私にとって両A面であった。

昔、私が珍しく弾き語りでライブをやった時、本番前のリハで「声出し」のために、「夕やけの誓い」を練習曲として歌ってたことがあるぐらい、思い入れの深い曲。

 

以前私はこのブログで尾崎さんのことを取りあげた時にも書いたことだが、尾崎さんがテレビに頻繁に出ていたころの映像で、今も忘れられないシーンが私にはある。

それは歌謡大賞だったか、レコード大賞だったかを彼が受賞した時のこと。

当時、そういう賞を受賞した歌手は、嬉し涙を流して、歌ってる最中に感極まって歌えなくなる・・そんなシーンが多かった。

だが、尾崎さんは違った。

泣く代わりに、満面の笑みを浮かべ。

そして両手をあげて、高らかにVサインをして見せたのだ。

湿っぽくならない、最高の受賞シーンだったと思う。

そんな受賞シーンの、なんと新鮮だったことか。そんな歌手、当時は他にいなかった気がする。

見ているこちらが、解放感を感じ、なんといっても痛快だった!

この瞬間、私はますます尾崎さんのことが好きになったのを覚えている。

 

以前の日記で書いたことをもう一つここで。

私が思うに、日本には、最高に気持ちよさそうに歌う歌手が少なくても2人いる。その2人の歌唱を聴いてると、こちらまで気持よくさせてくれる歌手だ。

それは、演歌では北島三郎さんであり、そしてポップスでは尾崎さんだ。

この2人ほど、気持ちよさそうに歌を歌う人は、そうそういるもんじゃない。

で、その気持ちよさは、聴いてるこちらまでしっかり「伝わって」くるのだ。あの爽快感を出せる歌手は稀だろう。

 

以前、私の縁者が地方で尾崎さんが出演するステージを見た時のことを、熱く語っていた。

そのステージは、歌謡ショーみたいなものだったのかなあ。私は見てないので、はっきりとは分からない。

ともかく、そのショーは、芝居と歌がミックスされたものだったらしい。

で、尾崎さんの他にも、名前をあげたら誰でも知ってる超有名歌手も共演してたらしい。その超有名歌手は、日本の歌謡界において、スーパースターでもある。

その超有名歌手は、ことヒット曲の多さでは、尾崎さんに圧勝する実績があった。

で、ステージでは、その超有名歌手が歌ったのだが、その後に今度は尾崎さんの歌の出番がきた。

そうしたら・・・なんというか、尾崎さんの歌のうまさは、もう次元が違うものであったとのこと。

たとえ尾崎さんのことを知らない人が見ても、感動しただろうとのことだった。

誤解しないでほしいのだが、その超有名歌手は人気も圧倒的で、歌もうまいし、しかもヒット曲の多さや知名度で、大受けだったのは言うまでもない。

だが、そのあとに尾崎さんが出てきて歌ってしまうと・・・・たとえ超有名歌手であろうとも、歌の実力の次元の違いに、会場のお客さんは圧倒され、一瞬静まりかえり、その直後に感動の渦で大拍手をかっさらっていってしまう。

縁者は、それを実際に見て、尾崎紀世彦の歌のうまさは別格で突き抜けており、共演する歌手が尾崎さんの後に出番をもらったら可愛そうなことになる・・とまで言っていた。

 

それほど、尾崎さんの歌唱力は、並はずれていたということだ。

 

尾崎さんは、自分で作詞作曲して歌うシンガーではなかった。

当時私は、自分で歌を作って歌うシンガーしか認めていない時期があった。

拓郎しかり、ビートルズしかり、ディランしかり、陽水しかり。その他色々。

そんな私の価値観を、尾崎さんはぶち壊してくれた。自分の価値観は、なんて狭い了見だったんだろう・・と思った。

自分で作詞作曲しなくたって、歌唱で曲をクリエイトできる人だっているのだ・・・今となっては当たり前の考えだが、それを教えてくれたのが尾崎さんだった。

 

ともあれ。

私にとって尾崎紀世彦さんは、私の少年時代の学校生活の日々でのヒーローの1人であった。

甘ったるい歌や歌手が多かった歌謡界に、一喝を与え、新風を吹き込んだから。

 

ある意味、尾崎さんは、私の学校生活の日々の・・・・一部でもあった。

だから

尾崎さんの喪失は、私にとって、自分の学校生活の日々の一部そのものを喪失したような気分だ。

 

あえて言いたい。

尾崎紀世彦は、一世一代の孤高のスーパーボーカリストであった、と。

そして、素晴らしくカッコよかったとも。

晩年になってからの容姿も、なにやらサムライとカウボーイを足して2で割ったような雰囲気があり、あんなカッコイイ爺さん中々いないと私は思ってた・・・というのは、今初めて明かすことである。

 

やはり私にとっては・・・

 

尾崎といえば、紀世彦なのである。

 

でも

 

今は

 

合掌・・・・・。

 

 

 

泣けて仕方ない・・・。

 

 

 

 

 

 


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