時間の外  ~since 2006~

気ままな雑記帳です。話題はあれこれ&あっちこっち、空を飛びます。別ブログ「時代屋小歌(音楽編)(旅編)」も、よろしく。

埋もれてゆく池

2012年06月12日 | 

上高地に行ったのは、かれこれ十数年前。

上高地は私が子供時代から憧れてた場所だった。

幼い頃に上高地の風景に魅せられた私。それは雑誌か何かで、当時の大正池の写真をみたのがきっかけだったと思う。

大正池と、そのはるか後方にそびえる穂高岳が写っている写真だった。

その風景に魅せられて、中学の頃にお小遣いをためて、上高地の写真集を買った。

その写真集は私の宝物で、もう何度見返したか分からないぐらいだ。

上高地が、埋もれていこうとしている観光地らしい・・というのは、現地に行って説明を聞いて分かった。

いやなに、話題性として埋もれていこうとしてる・・というわけではなく、文字通り地形として埋もれていってるらしい。

そのことは・・現地に行って、説明を聞いた後に、あれこれ自分自身で散策していて、痛感した場所があった。

それは田代池という場所に行った時。

十代の頃に買った写真集に映っていた田代池と、その後長い年月の後に大人になって実際に自分が行って、この目でみた田代池は、まったく様子が違ったからだ。

古い写真集の中の田代池は、けっこう大きな印象があった。

だが、実際に自分が行った時の田代池は・・・だいぶ埋もれてしまい、小さくなっていた。

けっこうびっくりした覚えがある。

その時、つくづく・・・上高地は埋もれていってるのだなあということを実感したものだった。

 

ここで紹介する写真は、上高地の田代池の写真ではない。

ある自然公園の中の池である。

その池も、昔自分が行った時より小さくなっている気がした。

だが、その池は、上高地みたいに渓谷の中にある池ではない。

上高地は渓谷にあるので、長い年月の経過と共に、渓谷として埋もれてゆくのだから、それがいいか悪いかは別として、埋もれてゆく理由はわかる。

だが、この池は・・・。

 

なぜ埋もれていってるのだろう。

それとも、埋もれていってるように見えるだけだろうか。

 

考えてみれば、子供の時に、自分の住んでた町の中にも「消えそうな沼」みたいなものがあったが、それもいつしか消えてしまっていた。

それは小さな沼だったから、再開発の時に、工事で強制的に埋め立てられたのかもしれない。

 

人工的であれ、あるいは自然現象の経過であれ、池や沼にも寿命みたいなものがあるのだろうな。

寿命があるということ・・それは、なにも生物に限ったことではないのだろう。建物がそうであるように。

 

 


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