勘違い野郎だと言われるとは思うが書くと,うむ,
女性という存在について自分の思いを書くときに
慎重に言葉を選んでは,いる。
しかし,要するにスケベジジイなだけだろ,と
そんな風に見透かされてるんだろう,とは思うッス。
見透かされてる?・・・,う,う~ん,同意していいのかどうか,
それは本音を含めて,なのだが
多分,多くの人は,俺の本音を聞くと
それは建前ではないのか,と
本気で戸惑うと思う。
うむ,自分にとって,エロが大事なのではない,と言ってしまうと
それはウソになる。
エロは大事である。
だが,そこにエロはあるのかい?という問い掛けの前に
実は俺にとって大事なのが
うむ,この言葉には苦戦しているのだが
共感,である。
カーペンターズの
Rainy Days and Mondays
には
♪Nice to know somebody loves me
というフレーズがある。
俺は,誰かに,俺を愛して欲しいとは
言えない,うむ,言う立場にはない男だが
でも,自分が相手から共感を得ている,と感じることで
自分が励まされて,次にまた頑張る気持ちになる
それは,ある。
子どもじみている,と笑って貰っていいが
俺は共感をして貰えることこそを,望んでるんだろう,と自分で思う。
て,実際には,
TVを観てて,自分は共感を社会から得られない存在なんだろう
と頻繁に繰り返し繰り返し打ちのめされる日々が続いてる
そんな気持ちになる。
だが,もし,自分が他者からの評価で
決してダメを出されない立場になったりするとすると
それは,自分が完璧であることを示すのではなく
もう,世の中にとって,別にどうでもいい存在になり下がったことを
意味するんだろう,と。
どうせ生きてるなら,本物の前向きの評価を
やっぱ受けたい。
ダメなのにダメが出ないような
そんなどうでもいい人生を生きたくは,ない。
その思いは強く持ってる。
だから,ダメが出続けることが
嬉しいはずはないので反発はするが
しかし,それを,ダメの連続を,否定しない。
俺にダメを出したい人は,ダメを出す資格がある,と
容認しておく。
て,一応申し上げておくと
俺に対する評価ではなくって,実は
中には,社会に対する立ち位置の表明を,うむ,
実はされてる方々も,いる,
だが,それはその方々の人生なので
俺はダメ出しを,しない。
YOASOBIの皆さんの
舞台に立って
をTVでNHKをつけてて拝聴したが
ホントにいい歌だとは思ったが,俺自身がその歌に
奮い立たせて貰う文脈は,ほぼほぼ一切含まれてない,
この歌が応援する相手の中に
自分は含まれてない,と感じた。
て,だから?
自分がたまたまYOASOBIの方々に
評価されない人生を生きてしまってるとしても
それはそれで,どうにもならないことだと思う。
そして,その楽曲には俺を奮い立たせてくれる何かはなかったが
そのことと
YOASOBIの各位の評価は
また別のナシである。
世界中の若者の間で支持が広がってることを
当然と思える方々だと思える。
実は,俺は,こういうブログを書いてるだけあって言うと
評価,というモノに拘りを持ってる。
俺のことを,いい面もダメな面も,ホントに正しく評価してくれた人に
まだ俺は,人生で出会ったことが,ない。
そういう意味で,俺は北杜夫さんの
怪盗ジバコ
が好きである。
そして,他者を評価することにも,拘りを持っている。
そんじょそこらの何某かの方々よりも
人を評価する,人を見る目が,あるという自信が,ある。
だが,そんなことを胸を張るのは
下らない,全く以って下らない,としか言えない。
なぜなら,どこかで俺が,正式に,公式に,
誰かを評価することを,任されることってば
ないから,である。
俺は今,とっても鬱屈した思いではいるが
しかし,誰もそのことを,気にしたり,心配したりする必要は,ない。
俺は,正当性のないことは,しない。
今,鬱屈していることで
暴発することも,ない,と,うむ,それも
約束していいと思う。
俺を否定しようと思った方々は
そのことに正当性があると信じるなら
その信じた人生を自信を持って生きて下さい,と申し上げたい。
因みに,どんなに正当性があっても,
それを表出する方法論が間違うことはある。
いや,俺のナシである。
俺の場合,それは差し引き出来ないくらいに間違うことはあるが
少なくとも,問われれば,今の俺の言動が
どういう正当性を持つか
一つひとつ説明することは,出来る。
そこに一切のウソを含めないことを誓える。
但し,説明を受けた人にとって
それは受け入れがたい正当性かもしれないッスけど,と。
それに,誰かが俺を否定して,俺がそれをどうしても許せなくっても
だからと言って,俺が社会全体から否定されても
そして打ちのめされたからと言って
この社会は,世界は,多分,何事もなかったように
今日を終えて明日を迎えると思う。
どうでもいいことを沢山書いてしまった。
て,俺の人生ってば,どうでもいいのだろうと思える,ので
このブログもまた非常に象徴的と言えるッス。
北口さんがやり投げにかける人生を貫いてる中で
俺はどっちかっつうと
人生を投げやりな感じで生きてる^^;
うむ,これはお約束の
昭和のオヤジギャグ的なギャグであった。
て,6/28のLive News αで
競技に臨む北口さんの髪形を
サザエさん風,と紹介してたが
うむ,俺の感じでは,サザエさんっつうよりも
どっちかっつうと,卑弥呼
ではないか,と思ったッス^^;
追伸
正当性のないことはしない,と書いたが
うむ,その書いた日本語で
言葉を弄んでも仕方ないので
フォローしておきます,
訂正します。
そんなこと,言い切れるはずない,かと思います。
その部分の記述を取り消します。
間違いだらけの人生でした。
すみません。
追伸
今日の自分の投稿を見返して
やっぱ,自分が苦しんでるなあ,と。
でも,自分が苦しむことを否定しないッス。
むしろ,それが,残念ながら,それこそが
この社会に於いて正当性を持っている,と。
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