見出し画像

石ころ

「安息日の主」マルコ2章から



 中風の病人を、4人の人たちが担いでイエスさまの所にやって来た。群衆のために近づくことができなかったので、彼らは屋根を破って病人をイエスさまの前に吊り降ろすという、奇想天外な手段でイエスさまに病人の癒しを求めた。
此処でイエスさまは「彼らの信仰を見て」と言われた。彼らとは運んできた人々の信仰であって、中風の人の信仰ではない。彼はただ、なされるままに身を任せていただけである。
私は、「あなたの信仰が癒した。」というような箇所と比べて考えてしまった。

 中風という病人の意識はしっかりしており、イエスさまの癒しを受けるために運ばれることや、他所の家の屋根を剥がすという行為を理解しつつも、止めることはなかった。
普通に考えるなら、少しでも自分の病に妥協しておれば「もう、そんなにしなくても良い。」と言うだろう。
彼は手段を選ばないほど熱心に、癒しを求めていたのだと思う・・。だから、イエスさまがほめられたほどの4人の信仰に賭けたのだろう。彼は「良くなりたかった」のだ。


「あなたの罪は赦された」
とイエスさまが言われたとき、律法学者の「神を汚している」というつぶやきは、日本ではあまり理解出来ない。この国では神々は人によって作られ、それをなんとも思わないのだから・・。この国の神のレベルはそのようなものなのだから・・。
しかし、罪の赦しを宣言する権威は造り主にしかないのである。

イエスに神を見いだすことが出来なかった律法学者は、
「起きて寝床をたたんで歩け」という、イエスさまの証の言葉によって病人が歩いたとき、まことに神にあってつぶやいていたのであれば、ひれ伏しただろう。
イエスさまは、彼らにそのチャンスを与えられたのだ。

イエスさまはご自身を証して下さるお方である。私たちの生活の中の卑近な事柄にみわざを現してくださる。それは私たちが、身近なことを通しても神をあがめるためである。
この病人のイエスさまへの信仰はまったくわからない。でも、主は癒された。イエスさまは小さな信仰をも、「あなたの信仰」とほめて育ててくださるお方だけれど、罪の赦しを受けるに価する何ものも私たちにはない。

それは本人の信仰でもなく、連れてきた人の信仰によるのでもなく、ただ、キリスト・イエスの権威による癒しであった。
私たちの生活の中で働いて下さる主の助けを、「私の信仰」によると勘違いすることは恐ろしい。ただ、神の御名が崇められるために、イエスさまの権威によるのであるから、主の御前に信仰を持ってひれ伏し、造り主なるお方を喜びあがめるのみである。

神の御子イエスさまが来られ、十字架によって救いのみわざを完成してくださった今は、イエスさまを主とする生きた信仰によって、イエスさまの権威を身近に味わい、いよいよ主を知って成長することが赦されている。
何時でもイエスさまのことばを食することが出来るし、いのちの水を飲むことができる。

その人は新しい葡萄酒であり、古い人間の宗教にはとどまれない。もし、留まろうとすると中から破壊し、それを裂く存在となるだろう・・。
新しい革袋であるイエスさまの中に住み、イエスさまにあれば成長することができる。
人はすべてただで受けたことであり、なんの対価も払っては居ない。


「わたしを愛する者を、わたしは愛する。わたしを熱心に捜す者は、わたしを見つける。」箴言8:17

ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!

コメント一覧

石ころ
イチゴさんコメントありがとうございます
「彼らにそういう行為を思い起こさせて実行させたことの根本には 父なる神の御心が働いているのだと思う」

アーメン。
すべて良きことは、神より発し神によって成り神に至るのですね。

その神の導きに対して応答するのは、霊の感受性それと、主イエス以外の邪魔者が私の中に座を占めていないことだと思います。
イチゴ 
主を崇めます
病人を運んできた「彼ら」の信仰が イエスの言葉「彼らの信仰を見て」を言わせたのであるが、彼らにそういう行為を思い起こさせて実行させたことの根本には 父なる神の御心が働いているのだと思う。当然 運ばれる病人の思いの中にも。それなら どんなことも神が計画されないなら起こらないということになる。が そうなのだ。神は地上の出来事 全てに関わっている。只 人は 信仰が確かなものとなってるときだけ それを感受し 理性を超えて行動となるのだと思う。聖書に書かれるためには この「彼ら」というのが必須だったのだろう。時折 私も尋常でない考えが あの人のために これをすることが出来る と湧いてくることがある。状況が整って実際となることは少ないが そういう時は その場の空気が神によって守られているので 尋常でないことがハレルヤ!で打ち消されてしまう。しかし人生で そういうことは多く起こらない。起こった時に備えて普段は 葡萄が熟成するごとく静かに待ち望むのです。
いつも分かりやすい文章のお分ちに感謝します。
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

※ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「Weblog」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事