石ころ

神の臨在を見ずに信じる(申命記8章)

 

あなたが食べて満ち足り、立派な家を建てて住み、
あなたの牛や羊の群れが増え、銀や金が増し、あなたの所有物がみな豊かになって、
あなたの心が高ぶり、あなたの神、主を忘れることがないように。(12~14)

 

主は信頼して従順する者たちを祝福してくださる。いのちの必要を満たして生かして下さる。しかし、たまわった財産や金銀に目を止めて数えて暮らすなら、その心に主の祭壇はなく、感謝にあふれる礼拝は絶える。主の恵みを忘れると何時の間にか自分を誇って居る。

 

主はあなたをエジプトの地、奴隷の家から導き出し、
燃える蛇やサソリのいるあの大きな恐ろしい荒野、水のない乾ききった地を通らせ、硬い岩からあなたのために水を流れ出させ、(14~15)

 

世の荒野で疲れはてた者に、およそ相応しくない聖霊の恵みをたまわり、その堅い岩が打たれて、豊かに聖霊の恵みが流れ出して地を潤すのは、主の子供たちのために備えられた恵みである。
岩は、初めは打たれて水を出し、次は聴いただけで水を出すように主が成長させてくださる。

 

あなたの父祖たちが知らなかったマナを、荒野であなたに食べさせてくださった。それは、あなたを苦しめ、あなたを試し、ついにはあなたを幸せにするためだったのである。(16)

 

荒野の養いの奇跡は貧しさの中で経験するものである。それは信仰の貧しさであり、魂の貧しさであり、貧弱な体の弱さでもある。
聖霊は私たちの霊に留まって共に働き、魂も体をも、世では見たことも聞いたこともない、キリストの平安によって主に安息させ、嵐の中で強めて主への信頼を導き、生きて働くみことを経験させてくださる。

 

あなたは心のうちで、「私の力、私の手の力がこの富を築き上げたのだ」と言わないように気をつけなさい。
あなたの神、主を心に据えなさい。主があなたに富を築き上げる力を与えるのは、あなたの父祖たちに誓った契約を今日のように果たされるためである。(17~18)

 

心の中心に主がいて下さる者の礼拝は、御救いに安息し、お交わりを楽しみ、満足して生きており、日々に契約のいのちを喜んでいる。世のものには拠らずただ主が嬉しいのである。

 

もしもあなたが、あなたの神、主を忘れ、ほかの神々に従って行き、それらに仕え、それらを拝むようなことがあれば、今日、私はあなたがたにこう警告する。あなたがたは必ず滅びる。
主があなたがたの前から滅ぼされる国々のように、あなたがたも滅びる。あなたがたが自分たちの神、主の御声に聞き従わないからである。(19~20)

 

御子をたまわるほどの神の愛を拒絶して、人手による偶像を愛することは、それが誰であっても神への裏切である。なぜなら全ての人は神に愛され母の胎で組み立てられた命だからである。

 

イエスは彼に言われた。「あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ないで信じる人たちは幸いです。(ヨハネ20:29)

 

イエスはみことばなる方。聴いたみことばをそのままを受け取ることは信仰である。復活のキリストは、信仰を導いて成長させる聖霊を信じる者におくってくださった。

聖霊は何時もキリストを指し示して、救いはすでに成就している平安を与えてくださる。キリスト者は自分の手で得たものではない、この神の臨在という奇跡の中で生きるのである。


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