
私の好みにパーマを当ててくださるお店だった。でも、ほとんど出来上がったとき「お体大丈夫ですか?」と聞かれた。
「エッ、なぜ・・確かに今はめちゃくちゃですけど、昨夜もあまり寝てないし・・」
「やっぱり・・、パーマがあたらないのです。いつもと同じようにしているのに、あて直しますからまた来てください。体調が悪いときにはあることなんです。」繰り返し何度も言われた。
でもこれで良いのだ。今は何もかも思い通りにはならない。それは当然で半身失ったような状態で、何時も通りに行くことなど何ひとつ無いのは当たり前。
正常な判断も、まっとうな生活もどこか少しおかしくても「これでいいのだ」って・・そんなとこに最近ようやく辿り着いた。
指先を切ったときは瞬時に激しく痛むけれど、腕や足が千切られるような時には、瞬時の痛みは感じないという・・。
時間が経つた後に、無くなったはずの足の痛みを感じる話を聞いたことがある。人の心と体の不思議さ・・。
これも神さまの備えてくださった守りなのだろう。耐えることの出来ない苦しみを与えることはない、真実なお方だから・・。
私はできるだけ日々忙しくしている。静かに服喪の期間を過ごせる人はなんと強い人なのだろう・・。
午後から医大へ診断書を頂くための手続きに行って来た。主人と歩いた道を避けて、一駅先まで乗ってバスで引き返した。電車の中では1時間ほどフリーズしていたから何も感じなかった。
信仰に入ったとき、イエス様だけに頼る証のために、個人保険をすべて解約したことがあった。結婚前から主人が入っていた個人年金だけは、流石に勝手なことはしなかったけれど・・。
その後、息子が会社の入院保険に入れてくれたことで助けとなったことがあり、今は何もそこまでする必要はないと思うけれど・・、
ただ、あの時私は自分の心の在りかをはっきりさせたかったのだと思う。
しかし、保険を止めたことの祝福は頂いた。主人を80歳までとても元気に守っていてくださったから・・。そうしてその恵みを私が一番頂いてきたから・・。