私はあなたがたを惑わす者たちについて、以上のことを書いてきました。
しかし、あなたがたのうちには、御子から受けた注ぎの油がとどまっているので、だれかに教えてもらう必要はありません。その注ぎの油が、すべてについてあなたがたに教えてくれます。それは真理であって偽りではありませんから、あなたがたは教えられたとおり、御子のうちにとどまりなさい。(26~ 27)
神は三位一体の神である聖霊を、キリスト者のうちに住まわせてくださり、守りとし、導きとして、みことばを生きて神の計画を行なわせてくださる。その方は「真理であって偽りではありません」とわざわざ書いてある。
イエスの御わざを、ベルゼブルのわざと言わせるような、サタンや悪霊の偽りの世に在って、聖霊はキリスト者の砦であり、身の避け所であり、平安をたまわるお方である。
聖霊は日々のみことばを解き明かして確信を与え、疲れた者には安心して休む余裕を与え、永遠の望みに満ち足らせて、健やかな信仰を守っていてくださる。
信仰の初めに教会に行って聖書を開いてから、多くのメッセージに聴き入ってイエスを救い主と信じるようになった。
福音を繰り返し繰り返し聴き続けたのは、渇き切って求めていた真理に出会った喜びのゆえであった。
罪の赦しと解放をたまわったイエスに、時にひれ伏し、時に喜び踊りつつ、聴いたみことばに励まされたり、戒められたりして主に在って生きることを学んだ。
信仰は聞くことから始まります。聞くことは、キリストについてのことばを通して実現するのです。(ローマ10:17)
何時しか、自分で自由に聖書を読むようになって行き、聖書が誤りなき神のことばであることを確信していた。それは聴いた言葉を生きて行くうちに、信頼したみことばが生きて働かれることを、世で経験して行ったからである。
自分で聖書を読むうちにみことばの奥深さ、新しい出会いに感動するようになり、それはかってない甘い経験である。分からないみことばに出会うことは、新しく主を知るときであり、主が解き明かしてくださるのをわくわくと待つことになる。そのようなときに、耳にあるのは「真理であり偽りではありません」という言葉である。
今も、ユーチューブでメッセージを聴かせて頂いているのは、主をもっと知りたくて、みことばをもっと味わっていたいからであり、主を喜ぶことが嬉しいからであり、すべてを知っている人は無く、それぞれに主を知ることを分け与えてくださっている。
それは神のご計画が、個々のたまものに拠って世に福音が宣べ伝えられ、一人でも多くの人が救われることであり、救われた人が成長してみことばが広がって行くためである。
その時、ほめたたえられるべきは創造主なる神である。すべてについて教えるのは主イエスのことばであり、イエスのことばを経験させるのは聖霊なる神である。人は聴く者であり、聴いたみことばに信頼し従順し救いを得る者である。
それが可能なのは、聖霊に導かれる幼子の心であり、学者や研究者ではないのは救いは単純で「はい」か「いいえ」しかないからである。
さあ、子どもたち、キリストのうちにとどまりなさい。そうすれば、キリストが現れるとき、私たちは確信を持つことができ、来臨のときに御前で恥じることはありません。(28)
キリストの内に留まることは、自分の悟りによることではなく聖霊の働きであり、救いはイエス・キリストの御わざである。聖霊によって霊は絶えず祈って居り、うちに蓄えられたみことばを、時に応じて思い出させて導いてくださる。
キリスト者は、忙しい世に在ってもみことばの平安を持っていて、疲れていても、理解されなくても、豊かでなくても、失敗をしても、心の深いところで永遠の望みを喜び、神の子どもであることを楽しんでいるのである。その救いの確信は、聖霊の守りに拠ることである。
キリストの来臨の時も今日と少しも変わらず「ハレルヤ」と叫んで、世のすべてを忘れ主に飛んで行くだろう。昨日も、今日も、朝にもお会いした慕わしい主との永遠に向かって・・。
あなたがたは、神が正しい方であると知っているなら、義を行う者もみな神から生まれたことが分かるはずです。(29)
イエスの救いの御わざは神の愛に発したことであり、ベルゼブルのわざではないことを知っている。それは聖霊がみことばを通して、神であり人となられたイエスを解き明かしてくださったからである。すべては三位一体の神の完全な備えに拠ること。
「聖霊の働きは現在は終わっている。」「聖霊は救われた時に受けていてそれ以上に知る必要はない」と言うような意味の言葉を聞くとき主に哀願して祈る。その方に「聖霊の豊かな臨在があり、みことばが成就しますように」と。
「真理であって偽りではありません」とわざわざ忠告されいるのは、偽物に騙されて聖霊を否定する事実があるからである。それは偽キリストを見てキリストを否定するようなものであろう。
人は聖霊の導きに拠らなければ神の義を行うことはなく、それこそサタンの勝利となる。
生涯共に居てくださる聖霊なる神は、ひとり一人のすべてをご存じで、人生の道々にみことばを解き明かして信仰を守り、御国に導き続けて生まれつきがどうであろうと、育ちがどうであろうと、みこころを行う勇気や力を与えてくださる。また、自分では思いもつかないような知恵も与えて、今も世から守っていてくださるお方である。