
弟子たちは向こう岸に行ったが、パンを持って来るのを忘れた。
イエスは彼らに言われた。「パリサイ人やサドカイ人たちのパン種には注意して気をつけなさい。」(マタイ16:5~6)
イエスさまは「パリサイ人とサドカイ人のパン種」に対して警告をしておられるのだ。パン種が悪いということではない。
イエスは、また別のたとえを話された。「天の御国は、パン種のようなものです。女が、パン種を取って、三サトンの粉の中に入れると、全体がふくらんで来ます。」(マタイ13:33)
福音は豊かな恵みと喜びである。養って余りあるほどに増え広がり膨らんで行く神の豊かさである。それを忘れず奪われないように守るのである。
また、七つのパンを四千人に分けてあげて、なお幾かご集めましたか。
わたしの言ったのは、パンのことなどではないことが、どうしてあなたがたには、わからないのですか。ただ、パリサイ人やサドカイ人たちのパン種に気をつけることです。」(マタイ16:10~11)
イエスさまはパン種のことを二度重ねて注意しておられる。御国はパン種の祝福である。その福音に混ぜものが蔓延って、豊かな喜びが失われてゆくことへの警告である。
ふわふわパンで聖餐式をするなといいうことではない。形式だけ種を除いたパンで安心することはイエスさまの警告に対応していない。
形式を整えるとき実体には鈍感になる。危機感を失うからである。大切な事は福音に混ぜものをしていないか、純粋なキリストの福音がこの場に在るのかという吟味である。
福音というふわふわパンはとても美味しく豊かで人を無限に養うものである。私たちはそれを賜っている。此処に安息しなさいと主は言われる。
どこにも逃げなくてもよい救いの民は、キリストのあがないの内に安住して、主の恵みを謳歌するのである。
ただ、キリストの御救いに混ぜものが持ち込まれないように、日曜日だけでなく常に霊の目を見開いて見張り、美味しい恵みのパンの養いに留まれ。