新婚の妻に恥ずべき事を見つけたために気に入らなくなり、離縁状を渡して去らせたとあり、その女が再婚して再び嫌われたり、死別したりしてその家を出た後、
彼女を去らせた初めの夫は、彼女が汚された後に再び彼女を自分の妻とすることはできない。それは、主の前に忌み嫌うべきことだからである。あなたの神、主が相続地としてあなたに与えようとしておられる地に、罪をもたらしてはならない。(4)
女が汚されたのは去らせた夫に拠ることであり、彼女の何を恥として嫌い去らせたのか分からないが、再婚したいと思うほどの事柄であれば、初めの判断は身勝手なことであって、主はそのような経緯を忌み嫌らわれるとある。それは夫の権利の乱用であり、彼は神が結び合わせた結婚を汚したのである。
結婚は神の祝福であるが、このような再婚は汚れとある。ただ一度、主が結び合わせてくださった人と共に、死が二人を分かつまで労苦を共にすることは、主に選ばれた者がその人生の良い時も悪い時も、主にのみ信頼しつつ従順して生きる信仰に通じる。
時代によって結婚の形が変わることが許されることではなく、神の定められた祝福の形は不変であり、様々な理屈や人間の好みを重んじてその形を変えて行くなら、神の祝福はその家族には無く、それらの集合体である国は滅びに向かっているのである。
神の選びの民イスラエルは、キリスト・イエスが気に入らずにこの地から去らせた。何時の時代も何処ででも肉は霊を嫌悪して迫害するのである。
主の民イスラエルは武器には拠らず、知恵や力にも拠らず、試練の中で死を経るまでに弱くされて、イエスをキリストと悟り主であることを学ぶ。クリスチャンが学んだのと同じように・・。
その時彼らは造り主の御前に平伏し、謙って礼拝をするまでにきよめられ、十字架の愛を受け入れて新しく生まれた者とされて、イスラエルに御約束が成就するのである。
初めにことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。
この方は、初めに神とともにおられた。
すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもなかった。(ヨハネ1:1~3)
誰であっても、世で依って立っていた所が根底から覆されて、身に付けて来た権威をも剥ぎ取られ、援軍を失い、完全に無力となることが出来た時、神の良き御計画と一方的な憐みによって、キリストの御わざにより、永遠の相続地に迎え入れられるのである。