電話にて
A 「私はお酒なんて飲んでいないのに、交わりの後とかに酔っ払ったようになることがあって、以前教会の床に酔っ払いのようにへたり込んでしまって、ひんしゅく?を買ったことがあったよ。」
k 「それは良い霊、悪い霊?」
A 「それが私にははっきりしないから、身を任せる事はしないようにしている。『主よ。今は困ります』って言うと解放されるから、悪い霊ではないと思うけれど・・、この現象の意味がわからないので警戒することにしている。主が意味のないことをされるとも思えないので・・」
k 「主の訓練かも知れないわ。
そして神は、「われわれに似るように、われわれのかたちに、人を造ろう。そして彼らに、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配させよう。」と仰せられた。(創世記1:26)と書かれているでしょう。
魚はより分けられるもの、鳥は良いものではないとあるし、はうものは良くないもの。
それらを支配せよと言われていますよね。だから、支配するための訓練かもしれないわね。」
A メールにて
そして神は、「われわれに似るように、われわれのかたちに、人を造ろう。
そして彼らに、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配させよう。」と仰せられた。
神はこのように、人をご自身のかたちに創造された。
先ほどはありがとうございました。ねえ、ねえ、重大なことがわかりました。
「神のかたち」が、もう一つよく分からなかったのですが、25節から26節への流れの中で、「神のかたち」とは神の権威という意味じゃないかと思いました。
k メールにて
黙示録2-26
勝利を得る者に、私の業を終わりまで守り続ける者に、私は、諸国の民の上に立つ権威を授けよう。
28節で、主は父からその権威を受けたと仰っています。
同じように私達にもその権威が与えられている?・・としても、それを本当に自分のものとして得るには信仰が必要だし、行使するには主に似た者とされる必要がありますよね。
(主が成し遂げてくださいます)
あれ?主に似た者?
そうだ!そのように神様は私達をお造りになったんだ!
権威の事ですよ!!
後に、清算の時が必ず来る事をわきまえて謙遜に生きていきたいですね。
年齢や格好や性格や好み背景など、見えるものには全く影響されず
御霊による交わりが出来ることを感謝しています。
いつもありがとうございます。
A メールにて
救われた者は、祭司としてどのような権威を持たされているのか、すべての働きはそれを知ることから始まるのではないかと思います。
知る時、つまらない世のことに囚われて、未信者のような生き方はしないでしょう。
なんだか、そのことを語ることは、高ぶりや思い上がりのように、思わせるもの、それは悪いものの働きではないかと思います。
主の祭司が変な謙遜をするのは、主を貶めていることになるのではないかと思います。
それでも、この世でごくごく普通な、世の人が見てもまっとうな生き方をするのですが、内に居られる方は聖霊です。ただの人とは全然違うのです!
ただ、おっしゃるとおりに、その権威を用いるお方は内に居られる主です。
絶対に私ではありませんが・・。
でも、主はいつでも私のためにも用いて下さいます。・・。ハレルヤ!!
k メールにて
謙遜とは、この世的な謙遜見せかけの謙遜ではなく主の権威に服する謙遜であり、主イエスのくびきを負わせて頂き主と共に生きること。
謙遜について
コロサイ2-18
あなたがたは、ことさらに自己卑下をしようとしたり、御使い礼拝をしようとする者に、ほうびをだまし取られてはなりません。
コロサイ2-23
そのようなものは、人間の好き勝手な礼拝とか、謙遜とか、または、肉体の苦行などのゆえに賢いもののように見えますが、肉のほしいままな欲望に対しては、何のききめもないのです。
コロサイ3-12
それゆえ、神に選ばれた者、聖なる、愛されている者として、あなたがたは深い同情心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。
権威について
詩編68-36(新共同訳)
神よ、あなたは聖所にいまし、恐るべき方。イスラエルの神は御自分の民に力と権威を賜る。神をたたえよ。
ダニエル7-27(新共同訳)
天下の全王国の王権、権威、支配の力は/いと高き方の聖なる民に与えられ/その国はとこしえに続き/支配者はすべて、彼らに仕え、彼らに従う。」
を読んでみました。ふむふむ って・・。
先のメールに書こうと思って書かなかった事。
テトス2-15
「あなたは、これらのことを十分な権威をもって話し、勧め、また、責めなさい。だれにも軽んじられてはなりません。」(新改訳)
「十分な権威をもってこれらのことを語り、勧め、戒めなさい。だれにも侮られてはなりません。」(新共同訳)
主に委ねられたことを語るのは高慢でもなんでもなく主に対する謙遜だと思います。
サタンの惑わしに乗らず、雄々しくありたいものです。
今日は、主イエスの下で 御言葉を思い巡らせたりしながら一日中いい日でした。
一緒に、ありがとうございました。おやすみなさい。
電話にて
k 「アダムはその権威をもっていたのかな・・」
A 「もう少し思い巡らせてみます。」
A メールにて
そして神は、「われわれに似るように、われわれのかたちに、人を造ろう。
そして彼らに、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配させよう。」と仰せられた。
神はこのように、人をご自身のかたちに創造された。
このことばの流れから、やはり治める権威を持っていたのではないかと思います。
アダムもその権威を持っていたのです。だから、神の怒りをかったのです。
治める権威を持っていなかったら、叱られることはなかったではないでしょうか。
だってしかたないといえるでしょう。
私たち救われた者は、治めるべき神の権威を持っているのですが、それを用いることもなく、みすみすサタンの手に落ちるとは、いったいどういうことだと叱られるのだと思うのですが・・。
k メールにて
ええ ええ そうですとも!私もそう思っていました。
人。神様がお造りになった「人」。人って何だ?と考えていたんです。
そして今、メールをしようとPCを開いたところです。
詩編8編4~10節を見て下さい。やはり治める権威が関係しています。
あなたの天を、あなたの指の業を/わたしは仰ぎます。月も、星も、あなたが配置なさったもの。
そのあなたが御心に留めてくださるとは/人間は何ものなのでしょう。人の子は何ものなのでしょう/あなたが顧みてくださるとは。
神に僅かに劣るものとして人を造り/なお、栄光と威光を冠としていただかせ
御手によって造られたものをすべて治めるように/その足もとに置かれました。
なんかスッキリしました。
羊も牛も、野の獣も
空の鳥、海の魚、海路を渡るものも。
主よ、わたしたちの主よ/あなたの御名は、いかに力強く/全地に満ちていることでしょう。
ハレルヤ!ハレルヤ!御名が崇められますように。
主にある姉妹と共に、互いの言葉を反芻し吟味しつつ、みことばを思い巡らせることはなんと楽しいことでしょう!
求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。
だれであれ、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。(マタイ7:7~8)
「だれであれ」このみことばの箇所は素晴らしい希望です!
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