石ころ

なぜひれ伏しているのか ①(ヨシュア記7章)

 

主がヨシュアとともにおられたので、彼のうわさはこの地にあまねく広まった。(6:27)

しかし、イスラエルの子らは聖絶の物のことで主の信頼を裏切った。ユダ部族のゼラフの子ザブディの子であるカルミの子アカンが、聖絶の物の一部を取った。それで、主の怒りがイスラエルの子らに向かって燃え上がった。(1)

 

アカンの盗みは主を烈しく怒らせた。主の聖絶を汚したからである。多くの命を奪わなければならないほどの神の聖さを侮ったのである。

聖なる神のうちに在るには、完全な従順拠らなければ身を守るものはない。アカンの裏切りは、イスラエル全体を汚して主の怒りをかってしまった。

 

キリストを信じている者には、過去、現在、未来すべての失敗や罪を、御子キリストが十字架で贖ってくださった故に、信頼する者に神との平和と永遠のいのちを頂いているのである。すべては一方的な神の憐みによることである。

 

ヨシュアは部下をエリコからベテルの東、ベテ・アベンの近くにあるアイに遣わし、彼らに言った。「上って行って、あの地を偵察せよ。」部下たちは上って行って、アイを偵察した。
彼らはヨシュアのもとに帰って来て言った。「民をみな上って行かせるには及びません。二、三千人ぐらいを上らせて、アイを討たせるとよいでしょう。彼らはわずかですから、民をみな送って骨折らせるには及びません。」(2~3)

 

ヨシュアは主の怒りに気付いていなかった。成功体験が彼のうちに満ちていたからである。好調の時に恐ろしいことは、神の沈黙に気付かなくなることである。

危機の中では主に絶えず耳を傾けてみことばを求め、主の臨在のうちに在ることを確認し続けるものであるが、一つの成功によって主を忘れるなら、その一事によってすべての成功を覆して神の民の恥をさらすことになる。

 

この時、ヨシュアはみことばを聴いてはおらず、此処に偵察を導く主も居られなかった。

彼は主から発していない偵察が危険であることを、かってカレブと共に経験していたのであるが役立たなかった。
人はすぐに主の経験を忘れる者であり、それゆえ日々に聴き続けることが失敗を繰り返さないために必要なのである。                                                      

そこで民のうち、およそ三千人がそこに上って行ったが、彼らはアイの人々の前から逃げた。
アイの人々は彼らの中の三十六人を打ち殺し、彼らを門の前からシェバリムまで追って、下り坂で彼らを討った。民の心は萎え、水のようになった。(4~5)

 

異邦人はイスラエルに居られる神の勝利を聞いて恐れていた。しかし神の居られないイスラエルの敗北によって、恐れるものがないことを悟ったとき彼らは力づくのである。

 

ヨシュアは衣を引き裂き、イスラエルの長老たちとともに、主の箱の前で夕方まで地にひれ伏し、自分たちの頭にちりをかぶった。(6)

 

この敗北が何処から起こったことなのか、彼らはわからないままに嘆き悲しみ、塵をかぶってひれ伏している。神の祝福が続かず突然止んだことに驚き、ただ、後悔してひれ伏しているのだ。

 

ヨシュアは言った。「ああ、神、主よ。あなたはどうして、この民にヨルダン川をあえて渡らせ、私たちをアモリ人の手に渡して滅ぼそうとされるのですか。私たちは、ヨルダンの川向こうに居残ることで満足していたのです。(7)

 

此処にヨシュアの信仰が暴露される。主はその人の信仰が立派なので選ばれたのではなく、神のご計画のために選んだ者を育てて用いられるのである。アブラハムもモーセも主が育てられ、彼らがどんな時も主に信頼して離れなかったことで、事を成し遂げさせてくださったのである。

 

それゆえ、誰であっても自分が何ものであるかを心配する必要はなく、主が私たちのうちに計画を完成させてくださる。信頼して主に留まっているなら・・。

 

ああ、主よ。イスラエルが敵の前に背を見せた今となっては、何を申し上げることができるでしょう。
カナン人やこの地の住民がみな、これを聞いて私たちを攻め囲み、私たちの名を地から断ってしまうでしょう。あなたは、あなたの大いなる御名のために何をなさるのですか。」(8~9)

 

人は不都合なことが起こると神をなじる。しかし悔い改めのために、まず罪を教えてくださいと求めるべきである。人は何が神の御前に罪であるかを悟ることがないからである。

 

聖霊は罪に対する身の守り方を教えて、神の嫌われるものに嫌悪する感覚を与えてくださる。

だから、すでにキリストに赦されているのだから、何をしても良いなどとは決して思うことはないのである。

 

ヨシュアはアイに踏み込んだことが、神から出ていなかったことに未だ気付いていない。みことばをたまわっていないことに気付いていない。みことばこそが拠って立つ所であり、主に在る者の保証なのである。


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