
イエス様は「あなたがたは、神の戒めを捨てて、人間の言い伝えを堅く守っている。」と言われた。彼らの言い伝えやしきたりと、神様の戒めとは何の関係もないと言われた。
善悪の知識の木の実を食べたアダムの血筋を受け継いで、人間の「善」と「悪」は人間中心、時に自己中心で、何が本当に良いことであり、何が悪いことであるのか分からなくなっている。戦争でさえ「良いこと」になりうる。
人の良い考えは、神様のことばを空文にする時さえある。言い訳の材料にみことばを使ってしまうこともあり、自分の計画のためにみことばを利用することもある。神様とは何の関係もないことである。
スロ・フェニキヤの女はイエス様にひれ伏して、自分の娘から悪霊を追い出してくださるように願った。
「まず子どもたちに満腹させなければなりません。子どもたちのパンを取り上げて、小犬に投げてやるのはよくないことです。」
厳しいイエス様のお言葉の前に、ひれ伏して女は願い続けた。
「主よ。そのとおりです。でも、食卓の下の小犬でも、子どもたちのパンくずをいただきます。」その言葉に、「そこまでいうのですか」とイエス様は願いをかなえられた。
私は癒しを求めるとき、こんなに自分をわきまえているだろうかと思った。心の中からでてくるものは「悪い考え、不品行、盗み、殺人、姦淫、貪欲、よこしま、欺き、好色、ねたみ、そしり、高ぶり、愚かさ」とイエス様が言われる。その時「主よ、そのとおりです。」と、心から同意するほど自分を知っているのだろうか。
今、共にいて下さる聖霊は私のどんなところに居てくださるのか・・。朱に交わっても赤くなることのない主。いや、真っ白にしてくださる!自分の心から出てくる「良い考え」には拠らず、助け手なる聖霊に導かれつつ、みことばを空文にすることのない選びの中で平凡な日常を生きていたい。
「たとい、あなたがたの罪が緋のように赤くても、雪のように白くなる。たとい、紅のように赤くても、羊の毛のようになる。」(イザヤ1:18)
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