今夜も食事をとりながら、主人が「年々月日の経つのが速ようなるなぁ・・」と言った。それは事実だけれど、「別に速うてもかまへんやん。70歳でも、80でも、もう同じようなもんと思わへんか。」「そらそうやなあ」これは私的ポジティブ。
「さくらの嫁入り姿は、俺らはよう見んやろうなぁ・・」「『さくら嫁に行け』って言いおうか?徳川時代か!」そこで二人で爆笑。
小学生の孫の嫁入り姿を思うなんて・・主人には時々びっくりさせられる。私はそんな暇なことを考えることもないから・・でも、それも愛かなぁ・・。
年を取ると沢山の事柄から解放される。責任がどんどん取れなくなって行って、それは責任を取ることから解き放たれることだとも思う。
究極呆けることも出来るのだし・・呆けた振りという技も振るえる。
年を取るまいと頑張る人の心がよく分からない。神の下さった美味い時間を、わざわざ世の溝に捨ててあくせくするなんて・・まぁ、個人の自由なんだけれど・・。
若い頃に憧れた「時間」を今やっと手にすることが出来た。若い頃に疲れ果てた責任からも解かれた。若い頃に堪え忍んだ世の縛りからも、今では居直って好きに振る舞うこともできるようになった。
自分の体の中ばかり覗き込んで、サプリメント探しや、些細なことに病院通いで命を磨り減らすなんてまっぴら。
だから、夕食の度「今日も元気だったことが嬉しいね」と主人と話す。それは一日一日その日に与えられたものだと知って、その日その日に満足しているから。
「世の人は、我に何とも言わば言え、我がなす事は我のみぞ知る。」
龍馬の意味にはほど遠いけれど、おくればせでも年を取ってこのような生き方に目覚めることはいいかも・・。老人こそが、既成のしがらみを打ち破る環境にいるのではないだろうか。だって失うものがもうないのだから、それはそれだけ自由を手にしているということだと思うから。
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