
わたしたちの戦いの武器は肉のものではなく、神に由来する力であって要塞も破壊するに足ります。わたしたちは理屈を打ち破り、
神の知識に逆らうあらゆる高慢を打ち倒し、あらゆる思惑をとりこにしてキリストに従わせ、
また、あなたがたの従順が完全なものになるとき、すべての不従順を罰する用意ができています。(Ⅱコリント10:4~6)
キリスト者の完全な従順こそが宣教の力である。
完全な従順とは、すべての事柄に対して単純に「アーメン」とみことばを受け取り、そこに愚かに留まり続けること。
酔っ払って裸で寝ていたノアを覆った者は祝福され、ノアの姿を暴露した者は呪われた。神が祝福する者を祝福し、その弱さを覆って仕えることは主への従順である。
私たちはそこで自分の肉性に誘惑されるが、打ちたたいても従わせるべきである。主が準備してくださっている祝福を受け損なってはならない。それは神様を悲しませることである。
何処ででも主の権威を認めることはすべてに勝ることであり、何事にも示されたみことばに「アーメン」と言うなら、その事柄は完了したのだ。
みことばに対して、どんな理屈も付け加えないことこそ聖さである。