石ころ

霊にも魂にも体にもたまわる印 (マタイ17章)




イエスさまがやがて起こる十字架のことを話されたとき、ペテロはそれを受け入れることができなかった。彼の心にある祝福の計画とは、あまりにも話しが違っていたからである。
そこはサタンの足台となる。たしかにサタンは人の計画に罠を設けようする。だからイエスさまは「下がれ。サタン」と一喝して彼の計画を退けてくださった。

神の祝福はいつも人の計画とはあまりにも違う。だから、祝福を受けるためには、心の中の計画を捨てることから始めなければならない。空っぽにして、人が見たことも聞いたこともない、真っ新な永遠の計画を注いで頂くために・・。

それから六日たって、イエスは、ペテロとヤコブとその兄弟ヨハネだけを連れて、高い山に導いて行かれた。
そして彼らの目の前で、御姿が変わり、御顔は太陽のように輝き、御衣は光のように白くなった。

見よ、光り輝く雲がその人々を包み、そして、雲の中から、「これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ。彼の言うことを聞きなさい」という声がした。(マタイ17:1~2.5)


ペテロたちには、十字架を通った先にあるイエスさまの勝利の姿を目に焼き付けてくださった。父なる神さまの御声も聞かせて、みことばに聞き従うことの保証を与えてくださった。
人は、先祖代々あまりにも狭い魂に閉じ込められて来たので、神のご計画の大きさは想像することさえできなくなっている。

主によって霊が開かれ、魂も新しくされ、体に焼き付けられるほどの印が与えられることによって、平安のうちに神のご計画を受け入れ、信頼して働くことができるのである。
主はペテロたちの必要を備えて導いてくださる。そして私たちにも・・。

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