石ころ

天につなぐ者(マタイ18章)





 十字架ですべての人の罪の代価として、イエス・キリストの血が支払われ信じる者の救いは完成された。それは神さまが付けられた人の値段である。それほどの人をつまずかせる者をイエスさまはわざわいだと言われた。

つまずく者は自分の中にある原因を切り捨てるなら救われる。イエスさまの救いを侮る強い手足、世に釘付けの目、その片手片目を切り捨てても、永遠の火のさばきを免れよとイエスさまは言われる。十字架の愛を受けよと・・。

もし、あなたの手か足の一つがあなたをつまずかせるなら、それを切って捨てなさい。片手片足でいのちに入るほうが、両手両足そろっていて永遠の火に投げ入れられるよりは、あなたにとってよいことです。(マタイ18:8)


 世にそぐわない者をイエスさまは捜していてくださる。九十九匹の羊を置いても、世に迷う一匹の羊を捜すイエスさまにとっては、その時その一匹はすべてなのである。
その一匹を見下す時神さまの御顔が曇るのを、私の天使は見て心を痛める。

あなたがたは、この小さい者たちを、ひとりでも見下げたりしないように気をつけなさい。まことに、あなたがたに告げます。彼らの天の御使いたちは、天におられるわたしの父の御顔をいつも見ているからです。(マタイ18:10)


「地上で繋ぐものは天でも繋がれる」という祈りを持つ者は、自分が何者であるかをいつも覚えて祈り、赦されている者の喜びと感謝を分け合う働きをするのである。

ただ、つまずきの起こることは避けえないと言われている。言葉を尽くしても通じないのは異邦人である。それは創造の時から神さまが備えられた選択の自由なのだから、祈りを終えて離れればよいのだ。

まことに、あなたがたに告げます。何でもあなたがたが地上でつなぐなら、それは天においてもつながれており、あなたがたが地上で解くなら、それは天においても解かれているのです。(マタイ18:18)


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コメント一覧

ムベ
デ某さんコメントをありがとうございます
蝶が人なつこいという言葉は分かる気がします。
確かに・・急いで逃げようとはせずに、からかわれている様な時があります。

黒い蝶にはそんなストーリィがあるのですね。
喪服を着た寡婦のような雰囲気でしょうか・・
迷える小羊デ某さんは、誰を思い浮かべたのでしょう・・ふふふ

懐かしい「ドミニク」ありがとうございます。
楽しませて頂きます。
デ某
黒い蝶
https://blog.goo.ne.jp/00003193

ムベさん

写真にうつる黒い蝶。
黒い蝶は 亡くなった身近な人が 姿をかえて現れると言われます。

蝶を撮ろうとすると ひらひらと なかなか難しいのですが、
撮りながら 蝶がほんとうに人なつこいことがよくわかります。
そして 黒い蝶は 
それほどひらひらとは舞わず 寧ろ寄り添ってきます。
思わず 涙ぐみますね、思う人が思い浮かび・・・。

   迷える小羊のひとりとして・・・。

 1960年代・・・スール・スーリール 「ドミニク」
https://www.youtube.com/watch?v=NehSCv9jf1g
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