怒るエロ惚け爺の過激な発言

日常生活で疑問や腹が立つ事って有るよね
それを感じた時点で書きたいなと思っています

死を見つめて

2011年12月07日 | Weblog
死を見つめて(死が怖くて書くんじゃ無い)
【癌が見つかりました】………ある日、突然に私を襲った言葉
【2年以内です】………………その半年後、息子達が医師から聞いた言葉

もっとも私は癌告知から1週間後に行った骨シンチグラフィーの画像を見て末期状態で有る事を自己判断していました…今!抗癌剤治療の副作用を耐えて感じた事は

末期癌…
生きる事も許されず
     死ぬ事も許されず
          ひたすら笑顔で死を待つ………それは末期癌患者側から見た事で有って
気を遣わない事も出来ず
     気を遣い過ぎる事も出来ず…腫物に触る様で触られない
家族側から見れば~~ストレス因子そのものなのだ~厄介者でお荷物に過ぎないのだが~上記の言葉に患者と家族の【愛と死】が存在します

【諦めれば諦めがつく】とか~【諦めれば気が楽】よって言った馬鹿がいますが~死を受け入れ諦めていても【腹が減る】腹が減れば何々が食べたいってなるのです…分かりますか?

死を受け入れ生きる事を諦めたのだから~食欲も諦めれば良いのに~何々が食べたいになる…諦め切れていない証拠です!…だから~諦める必要は不要で自然体に任せ喜怒哀楽で生きれば良いのです…それが諦めなのです

無から人の生が産まれ死によって無に帰る!無から出て無に帰すだから~死は実家へ帰省する様なモンです…実家へ帰るのだから不安も恐怖も無いのに~腹が減る!生への煩悩が断ち切れないのです

始めよければ終わり良しって言われます様に私の場合は逆の始め悪ければ終わり悪し…なのでしょうか?始め悪しは~生後まもなく見つかった血液不適合による血液の総入替えで人生が始まり
終わり悪しは~多発性に転移した前立腺癌で人生が終わるのでしょうか?

末期症状と自己判断した時(医師から言われる前)に残った家族に迷惑が掛からない様に~と思って取った行動が~出来るだけの名義変更でした

残ってるのは車の名義だけで携帯の名義まで変更しましたが~
情け無い事に人間は自分の躯すら自分で始末出来ない惨めな動物なのです…女房には戒名もお経も要らない密葬でと言って置きました(無に帰するのに何故?戒名が必要なのでしょうか?)

私自身の希望と致しましては~出来ましたら眠るように死にたいのです…骨に転移した癌の痛みや抗癌剤の副作用の苦しみを知っていますから~せめて死する時は眠る様にが切なる願いです

何故?自分が抗癌剤治療をしたのか?摩訶不思議なのです!医師と私との流れでそうなったのでしょうねぇ~完治の希望も無いのに少しでも生き長らえれば家族の負担増です

今!生きてる事自体が奇跡!生抜くって言う希望を持って毎日奇跡を起こせ!って自分に言い聞かせ頑張る事は家に末期癌患者の介護が有るぞって家族の負担を増加させてるだけなのです…完治の保証も無いのに

抗癌剤治療の辞め時のタイミングが何処なのか?って考えています…ワンタキソテールの点滴をして5ヶ月ですが~ソロソロ効果が無くなって来ました…PSAの数値が上がったから?ん~~

PSAの数値って所詮、前立腺癌の数値だけですよね~骨に転移した箇所が少しずつ痛み出して来たのです…痛みの復活ですが~まだ医師には言っていません!言うと~じゃ~今度は~何々~~って言われそうで~言われたら断るのが大変ですから

死を受け入れたからって~医師に治療を辞めて死ぬ準備をしたいって中々言えません!ん~~~私が言うタイミングを逃がしてるだけなのでしょうか???交渉が下手?!_______

女房とは戦敵みたいなモンですから(1番世話になってるのですが~)以外と冷静に死別が出来ますが~子供となれば話は別ですねぇ~非常に悲しいです

今やオッサン化した息子に家庭内LANの設定を記載して最後に【達者で暮せや~】って書いた途端に嗚咽が込み上げました…悲しいね:切ないね:虚しいね:寂しいね:辛いね:苦しいね:悔しいね…別れは嫌だね

始め有れば終わり有りと言います様に生まれたら死が有るのですよねぇ~
末期癌は最初に言いました様に厄介者!お荷物なのですが~裏を返せば幸せ者って事になります…家族に看取られて逝くのですから…看取る側は辛いと思います

そうそう~医師から家族が余命宣告を受けて私はカメラを買いました!女房は『息子はカメラに興味が無いのよ』って言いました…アンタが死んだらそのカメラどうするのよ!ゴミは残すな!が本音でしょうね

2年連続でカメラを買った事になります昨年はミラーレス一眼、今年はネオ一眼:秋も深まり写真を撮る機会が少なくなる頃に買いました(この冬抗癌剤治療の副作用で寝た切り状態になるかな?)

所が~~例年なら春に大輪の花を付けるレッド・ライオンって言うバラが庭に有るのですが~今年は枯れる寸前で花を咲かせる事が出来ませんでした~多分~来春には枯れてるでしょう

が~もうすぐ立冬と言う時に蕾を持ち立冬には花を咲かせました!その姿に感動しました…首部を持上げる力も無いのに…♪庭の花を見るのは最後だよって季節外れの花が咲く♪って私へ挽歌の様に思えました

当然カメラに収めました!初冬の青空に映える様に真っ赤に咲き誇っていました…数日後、再びカメラを構えましたら~私への挽歌では無く散り花(花は咲いても実が成らない花:無駄花)で有ると知りました

何故???が私の頭から離れません!暫くして得た答えが【生有る物の意地!枯れる前の一花!】…希望でした!枯れる寸前の花…それは奇跡の花ですが命有る限りは希望を捨てないと言う希望の花でも有ると知りました

情け無い!花に教えられました!…先程も書きましたが最近は自分の死に様が気になっていたのです!苦しんで逝くのか?眠る様に逝くのか?

…出来たら苦しんで逝きたく無いが本音ですが~そう言うのは未練が有るからでしょうか?全く希望が無かったのです!無駄花でも良い!散り行く者の散り花を咲かせる事に意味が有ったのです…それは~自らの希望と家族の希望のために散り行く者の最後の仕事だったのです

続きはいつか~~