「物語の始まりには、ちょうどいい季節になったろう?」
詩人は21で死ぬし、革命家とロックンローラーは24で死ぬ。
それさえ過ぎちまえば、当分はなんとかうまくやっていけるだろう、というのが我々の大方の予想だった。
伝説のデッドマンズカーブも通り過ぎたし、照明の暗いじめじめとしたトンネルもくぐり抜けた。
あとはまっすぐな3車線道路を(さして気は進まぬにしても)目的地に向けてひた走ればいいわけだ。
我々は髪を切り、毎朝髭をそったのだ。もう詩人でも革命家でもロックンローラーでもない。
酔っ払って公園の芝生で寝たり、地下鉄の車内で立小便をしたり、
朝の四時に音楽を大音量で聴きながら葉巻を燻らす事もやめた。
付き合いで生命保険にも入った。何しろ、もう30歳だものな・・・。
b.m.minami不動のゴーレイロ、コキ・イーダ。
しかし彼も、知らず知らずのうちに三十路に突入していた。
そもそもの始まりは去年の7月、ある晴れた日だった。
とびっきり気持ちの良い土曜日の午後だ。
芝生の上に丸めて捨てられたチョコレートの包装紙でさえ、そんな初夏の王国にあっては
湖の底の水晶のように誇らしげに光り輝いていた日、
彼はb.m.minamiの初陣にゴールという色を加えた。
入団直後の鮮烈デビュー戦。衝撃のゴールにスーパーセーブ。
試合の立役者はイーダ。誰もが彼を特別視していた。
試合直後のインタビューでは、こんな事を言っていた。
「フットサルの本質は個の表現なんだ。だから俺は、選手にはあれこれ言うべきじゃないと思う。」
チーム関係者は、目の醒めるような思いだったに違いない。
その後もチームには入れ代わり立ち代わり、スターも生まれた。
数多くの敗戦、勝利、絶望、歓喜、迷い、希望・・・ただ、いつもチームにはイーダの姿があった。
――あれから、1年。
「溜息と迷い、そして故郷の風」
コキ・イーダが現れたのは、約束の時間を30分オーバーした5月下旬の昼下がり。
アムステルフェーンの練習場トリゴリアのプールに照り付ける太陽がまぶしい。
「悪い悪い。今朝海に行ってて大渋滞に巻き込まれたんだ。
これって、ブログに載るb.m.minamiのインタビューだよな?」
王様は何食わぬ顔で切り出す。そう、これがコキ・イーダ。
ホクリクの下町に生まれた、生粋のトヤマっ子。発せられるアクセントは先天的トヤマ弁である。
トヤマの街、そしてホクリクを愛する彼はこのインタヴューの直後、b.m.minamiとの契約を大幅に延長した。
契約満了年2028年というこの数字が意味するもの。 しかし、契約書に記された「選手としてではなく」の文字。
彼は何をb.m.minamiに捧げるという事なのだろうか。
「俺の心は常にトヤマと共にあるんだ。」
そう語るイーダの表情にピッチ上の狡猾さは見られず、それはとてもまっすぐに、澄んだプールサイドに響いた。
―さて、今シーズンのb.m.minamiは失望のシーズンに終わりました。それについては?
「確かに失望と表現していいシーズンだった。シーズン中には様々な事が上手く行かずに最後には
残留争いにまで顔を出す羽目になった。でも最後には JPRSカップの出場権を獲得する事ができたし、
Do-sirouto残留も決める事ができた。コッパコウホクの決勝も残っている。
この試合に勝って今シーズン 唯一のタイトルを取りたいね。」
―来シーズンの目標はそのJPRSカップになるのでしょうか?
「そうだね。とにかく重要なタイトルをとりたいと思っている。但し、今は来年の事は考えたくないな。
―というと?
「正直にいうと、人生においてフットサルよりも重要なものが見つかりそうな気がしているんだ。
勿論、クラブとはサインする直前だけどね・・・。」
―フットサルよりも重要なものとは?
「b.m.minamiのユニフォームが欲しい・・・」
―え?
「いや、ああ・・。」
―・・・・?
「ああ、先週、故郷のトヤマへ帰ったんだ。その時、若い頃に随分世話になった友人に会ってね。
彼はトヤマ人で、カミさんはコウホク人なんだが、数年前に家出しちまってね。父子2人暮らしさ。
彼とは久しぶりだったんで、随分遅くまで話し込んでしまったんだ。まだ子供は小さくてね・・・。
もちろん彼の家では、普段の夕食の支度は父の仕事さ。だから、夜遅くまで俺に付き合ってくれた彼と、
父親との団欒を奪ってしまった彼の子供に、何かお返しをしたいと思ってね。
『何か欲しい物はある?』と尋ねたんだ。・・・その答えがね。」
―ユニフォームが欲しい、と。
「消え入りそうな声が、ぜいたくで、わがままな願いなのだと認めていた。トヤマの子供にとっては・・・。 」
「戦士の旅立ち」
今回のW杯の出場を逃したこのトヤマ国の人々も、フットサルには熱狂的だ。
だが、38年に及ぶ内戦は子供に銃を持たせ、貧困を助長する。
コウホクのサポーターが気軽に買う1万5000マサキのユニフォームは、彼等には手も足も出ない。
イーダは、すんなりとユニフォームを子供に渡すのを悩んだそうだ。
「雑誌に載るユニフォームを穴があくほど見つめ、素材や胸のワッペンの意味をすらすらと言う姿を見て、
結局、ユニフォームをプレゼントしたよ。後日、手紙が来た。ベッドで抱き、朝の散歩も手に持って出る。
汚さぬよう、袖を通すことはほとんどない、とさ。」
―トヤマに対して、特別な思いを持ち始めたのですね。
「ああ。実は、昨日もその友人に電話したんだよ。」
例の子供は、まだ見ぬ母の国に『いつか行ってフットサル選手になりたい』と笑い、泣いたと言う。
そんな子供達が、彼の地には大勢いるのである。
あるいは今後、イーダはトヤマへ移るという決断を下すかも知れない。
彼の背中には、スポンサーというトヤマ国を救う天使もついている。
もちろん、そこに特別な気持ちがあるかどうかは、イーダ自身しか知る由はない。
しかし結局のところ、フットサルはフットサルでしかない。
言い換えれば、帽子から飛びだそうが、麦畑から飛び出そうが、兎は兎でしかない。
そして、その時彼は、こんな風に考えるかもしれない。
「俺はもう二度とユニフォームをプレゼントしなくてもいいんだ」とも。
30歳の決断は、秋の雨のように何かしら物哀しく、美しい。
<この項、了>
タケイアキト/Akito Takei
詩人は21で死ぬし、革命家とロックンローラーは24で死ぬ。
それさえ過ぎちまえば、当分はなんとかうまくやっていけるだろう、というのが我々の大方の予想だった。
伝説のデッドマンズカーブも通り過ぎたし、照明の暗いじめじめとしたトンネルもくぐり抜けた。
あとはまっすぐな3車線道路を(さして気は進まぬにしても)目的地に向けてひた走ればいいわけだ。
我々は髪を切り、毎朝髭をそったのだ。もう詩人でも革命家でもロックンローラーでもない。
酔っ払って公園の芝生で寝たり、地下鉄の車内で立小便をしたり、
朝の四時に音楽を大音量で聴きながら葉巻を燻らす事もやめた。
付き合いで生命保険にも入った。何しろ、もう30歳だものな・・・。
b.m.minami不動のゴーレイロ、コキ・イーダ。
しかし彼も、知らず知らずのうちに三十路に突入していた。
そもそもの始まりは去年の7月、ある晴れた日だった。
とびっきり気持ちの良い土曜日の午後だ。
芝生の上に丸めて捨てられたチョコレートの包装紙でさえ、そんな初夏の王国にあっては
湖の底の水晶のように誇らしげに光り輝いていた日、
彼はb.m.minamiの初陣にゴールという色を加えた。
入団直後の鮮烈デビュー戦。衝撃のゴールにスーパーセーブ。
試合の立役者はイーダ。誰もが彼を特別視していた。
試合直後のインタビューでは、こんな事を言っていた。
「フットサルの本質は個の表現なんだ。だから俺は、選手にはあれこれ言うべきじゃないと思う。」
チーム関係者は、目の醒めるような思いだったに違いない。
その後もチームには入れ代わり立ち代わり、スターも生まれた。
数多くの敗戦、勝利、絶望、歓喜、迷い、希望・・・ただ、いつもチームにはイーダの姿があった。
――あれから、1年。
「溜息と迷い、そして故郷の風」
コキ・イーダが現れたのは、約束の時間を30分オーバーした5月下旬の昼下がり。
アムステルフェーンの練習場トリゴリアのプールに照り付ける太陽がまぶしい。
「悪い悪い。今朝海に行ってて大渋滞に巻き込まれたんだ。
これって、ブログに載るb.m.minamiのインタビューだよな?」
王様は何食わぬ顔で切り出す。そう、これがコキ・イーダ。
ホクリクの下町に生まれた、生粋のトヤマっ子。発せられるアクセントは先天的トヤマ弁である。
トヤマの街、そしてホクリクを愛する彼はこのインタヴューの直後、b.m.minamiとの契約を大幅に延長した。
契約満了年2028年というこの数字が意味するもの。 しかし、契約書に記された「選手としてではなく」の文字。
彼は何をb.m.minamiに捧げるという事なのだろうか。
「俺の心は常にトヤマと共にあるんだ。」
そう語るイーダの表情にピッチ上の狡猾さは見られず、それはとてもまっすぐに、澄んだプールサイドに響いた。
―さて、今シーズンのb.m.minamiは失望のシーズンに終わりました。それについては?
「確かに失望と表現していいシーズンだった。シーズン中には様々な事が上手く行かずに最後には
残留争いにまで顔を出す羽目になった。でも最後には JPRSカップの出場権を獲得する事ができたし、
Do-sirouto残留も決める事ができた。コッパコウホクの決勝も残っている。
この試合に勝って今シーズン 唯一のタイトルを取りたいね。」
―来シーズンの目標はそのJPRSカップになるのでしょうか?
「そうだね。とにかく重要なタイトルをとりたいと思っている。但し、今は来年の事は考えたくないな。
―というと?
「正直にいうと、人生においてフットサルよりも重要なものが見つかりそうな気がしているんだ。
勿論、クラブとはサインする直前だけどね・・・。」
―フットサルよりも重要なものとは?
「b.m.minamiのユニフォームが欲しい・・・」
―え?
「いや、ああ・・。」
―・・・・?
「ああ、先週、故郷のトヤマへ帰ったんだ。その時、若い頃に随分世話になった友人に会ってね。
彼はトヤマ人で、カミさんはコウホク人なんだが、数年前に家出しちまってね。父子2人暮らしさ。
彼とは久しぶりだったんで、随分遅くまで話し込んでしまったんだ。まだ子供は小さくてね・・・。
もちろん彼の家では、普段の夕食の支度は父の仕事さ。だから、夜遅くまで俺に付き合ってくれた彼と、
父親との団欒を奪ってしまった彼の子供に、何かお返しをしたいと思ってね。
『何か欲しい物はある?』と尋ねたんだ。・・・その答えがね。」
―ユニフォームが欲しい、と。
「消え入りそうな声が、ぜいたくで、わがままな願いなのだと認めていた。トヤマの子供にとっては・・・。 」
「戦士の旅立ち」
今回のW杯の出場を逃したこのトヤマ国の人々も、フットサルには熱狂的だ。
だが、38年に及ぶ内戦は子供に銃を持たせ、貧困を助長する。
コウホクのサポーターが気軽に買う1万5000マサキのユニフォームは、彼等には手も足も出ない。
イーダは、すんなりとユニフォームを子供に渡すのを悩んだそうだ。
「雑誌に載るユニフォームを穴があくほど見つめ、素材や胸のワッペンの意味をすらすらと言う姿を見て、
結局、ユニフォームをプレゼントしたよ。後日、手紙が来た。ベッドで抱き、朝の散歩も手に持って出る。
汚さぬよう、袖を通すことはほとんどない、とさ。」
―トヤマに対して、特別な思いを持ち始めたのですね。
「ああ。実は、昨日もその友人に電話したんだよ。」
例の子供は、まだ見ぬ母の国に『いつか行ってフットサル選手になりたい』と笑い、泣いたと言う。
そんな子供達が、彼の地には大勢いるのである。
あるいは今後、イーダはトヤマへ移るという決断を下すかも知れない。
彼の背中には、スポンサーというトヤマ国を救う天使もついている。
もちろん、そこに特別な気持ちがあるかどうかは、イーダ自身しか知る由はない。
しかし結局のところ、フットサルはフットサルでしかない。
言い換えれば、帽子から飛びだそうが、麦畑から飛び出そうが、兎は兎でしかない。
そして、その時彼は、こんな風に考えるかもしれない。
「俺はもう二度とユニフォームをプレゼントしなくてもいいんだ」とも。
30歳の決断は、秋の雨のように何かしら物哀しく、美しい。
<この項、了>
タケイアキト/Akito Takei