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『信長考記』

織田信長について考える。

意訳「斎藤利三宛 長宗我部元親書状」

2014-08-13 13:17:07 | 信長
天正10年5月21日付「斎藤利三宛 長宗我部元親書状」を、8/6発売「歴史街道」9月号掲載の桐野作人さんの解釈と、こちらのサイトの高村さんの解釈を参考に意訳してみました。

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(追記)
なお、頼辰へ残らず申し述べた上は内々の書状を書くまでには及ばないのですがには及びませんが、私の思いはほぼ以上の通りです。お考え過ぎありませんように。

(前記)
書状拝見しました。私の身上についていつもお世話いただき、生涯のご恩と思うばかりです。それについてはとても書き尽くすことができません。

(本文)
一 この度ご要請に応じることが、とかく今に至るまで遅れたことに、ことさら他意はありません。進物による挨拶も考えが及ばず疎かにしておりました。時節や都合を理由に先延しにすることは、もはやどうしようもないことでしょうか。ただしこの秋に準備を整えた上で申し開きすれば、赦されることもあるかと望みを持っています。①

一 一宮を始めとし、夷山城、畑山城、牛岐の内、そして仁宇、南方からは残らず退去しました。信長公の御朱印状に応じたこのような次第をもって先ず光秀殿にご披露いただきたいのですが如何でしょうか。それでも信長公へのご披露は出来難いだろうと頼辰も言われるので、いよいよあとはないのかと思っています。結局、その時が来たまでということでしょうか。それにしても、多年に渡り抜きんでて働き、他に秘めた考えなど毛頭ないのに、突然のなされ様はこのような事態になるとは思いもよりませんでした。②

一 そのうえでも、信長公に対する逆心などない私の気持ちは固いのでお礼申し上げるものです。ただしどのようなことあろうとも、海部・大西の両城を手放すわけにはまいりません。それは阿波・讃岐を望むためでは絶対ありません。ただ当国の守りとしてこの両城を確保しなければならないのです。それによりご成敗あろうとも致し方ありません。③

一 東国が平定された今、信長公が安土に帰陣されたので仰せに従います。④

一 何事もよく頼辰と話し合って下さい。ご分別が大事です。また良い知らせがありますように。⑤


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本文の第5条で「分別が大事」とし、さらに追記で「考え過ぎるな」と重ねて述べている点に、同年1月11日付け「空然(石谷光政)宛て書状」で利三から自重を求められた元親が、逆に利三に自重を説いているように思えるのは考え過ぎでしょうか。

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