ラテンの世界

哀愁漂うタンゴ・アルゼンチン、陽気なサンバのリズム・ブラジル、古代文明が眠るメキシコ。ラテンの世界を堪能しよう!!

ラプラタ河・パンタナル

2005-01-22 23:46:54 | Weblog
 今日の夜9時からのフジテレビにて放映のラプラタ河とパンタナルの自然の番組は懐かしいアルゼンチンでの生活を思い起こさせてくれた。ちょうどラプラタ河が見えるマンションの26階に暮らしていたが、対岸のウルグアイ・モンテビデオが見えそうであった。
ラプラタ河をさかのぼっていって支流のパラグアイ川に沿ったパラグアイの原住民の生活はパラグアイの国の貧しさを思いおこし胸が痛んだ。パラグアイでの生活から既に14年がたとうとするがいまだ文明社会から遠い生活をしなければならない・・・。魚が自然体系の崩れで採れなく数日食事も出来ない人々がいることは飽食の国、日本で暮らす限りは決して実感できないだろう。

 またこういったテーマの自身のHPやメル・マガで扱っていこう!!

ラテン旅行(メキシコ・カンクン編)

2005-01-18 00:05:25 | Weblog
(1)旅行(リゾート/メキシコ)

 イスラ・ムヘーレス(カンクン)の歴史

この地にスペイン人がたどり着いたことが記録として残っているのは1517年、フランシスコ・ヘルナン・デ・コルドバがこの地を踏んだ時であり、彼は、征服者たちが出会った多数の土の女性の形をした像からイスラス・ムヘーレス(女性の島)として洗礼した。

ヘルナデス・デ・コルドバ以前他のスペイン人の到達と関連した歴史の話で興味深いものの一つが1511年のことである。この地へ座礁した冒険家の名前は、ペドロ・デ・バルディビアといい、「サンタ・マリア」号の船長であった。彼は岩礁にぶつかり座礁してしまった。遭難で20名の船乗りが生き残った。その中には船長のバリディビア、司祭のヘロニモ・デ・アギラル、軍人のゴンサロ・ゲレロがいた。最後の二人は他の少数の船乗りと一緒に難船で生き残り、オルボックス、ホムオム、コントイ、ブランカ、ムヘーレス、カンクン、コスメル、シルアを支配するマヤの族長の領地であるエカブに定住した。そしてマヤの戦士の集団により囚われの身となった。

歴史によれば彼らはエカブの族長、ハルク・ウニックの前に連れ出され、族長は外国人を生贄にすることに決めた。ゲレロとアギラルはどうにか逃亡し、密林の中に分け入った。そしてその後しばらくしてとらわれ、サマンアの族長の奴隷となった。

ゴンサロ・ゲレロは強大で恐れられていたチャクテモルの族長、ナチャン・カンに贈られ、彼の信頼を得て、スペイン人との戦いの訓練に加わった。1514年ゲレロは既に軍隊長として認められていた。ゲレロのその文化への完全なる同化したことで高貴な身分の女性、おそらくナチャン・カン自身の娘であったかもしれないが、と結婚することになった。彼らの子孫が最初のメキシコのメスティーソ(混血)であったに違いない。

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お役立ちサイト
メキシコ・カンクン   :http://www.cancun.com/
イスラス・ムヘーレス :http://www.islamujeresonline.com.mx/

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2005-01-14 00:52:58 | Weblog
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