南米・アルゼンチンは釣り愛好者にとってまたとない絶好の場所である
最南端の島、ウシュアイアもそうであるが
川でのsports fishingといえば
ドラード釣り
が有名。
アルゼンチン北部のコリエンテスやミショネスの川で釣れる。
餌はドジョウなどの魚
ボートで葦などが生い茂る川の水路に入り、ドラードがいそうな場所に釣り糸を垂れる
しばらくしてグイッと手ごたえがある
ここで慌ててはいけない
しっかり釣竿をもって、ドラードの動きをみる
そして口にかかった針を取ろうとドラードが空中に飛び上がる瞬間
釣竿を手前にぐっ引く
すると針の先が口に深く入り、もうドラードは逃げることが出来ない
ゆっくりボートまで引き寄せ、近くまで来たら網ですくってボートに引き上げる
規制で60cm以下のものはすぐさま川に放流しないといけないのでほとんど持ち帰ることは
出来ないが、あの手ごたえは病みつきになりそうな快感がする
最南端の島、ウシュアイアもそうであるが
川でのsports fishingといえば
ドラード釣り
が有名。
アルゼンチン北部のコリエンテスやミショネスの川で釣れる。
餌はドジョウなどの魚
ボートで葦などが生い茂る川の水路に入り、ドラードがいそうな場所に釣り糸を垂れる
しばらくしてグイッと手ごたえがある
ここで慌ててはいけない
しっかり釣竿をもって、ドラードの動きをみる
そして口にかかった針を取ろうとドラードが空中に飛び上がる瞬間
釣竿を手前にぐっ引く
すると針の先が口に深く入り、もうドラードは逃げることが出来ない
ゆっくりボートまで引き寄せ、近くまで来たら網ですくってボートに引き上げる
規制で60cm以下のものはすぐさま川に放流しないといけないのでほとんど持ち帰ることは
出来ないが、あの手ごたえは病みつきになりそうな快感がする
アルゼンチンのカウボーイのことを
ガウチョ(=Gaucho)
と呼ぶ。主に放牧された牛を飼い、大草原パンパを馬にのり走り回っているのである。
彼らが常にもち歩いているものがある。
それが マテと呼ばれる瓢箪で作られたコップと
ボンビージャと呼ばれる銀製のストローである。
これを常に愛飲して、体の疲れをとるのだ。
ブエノスアイレスのオフィスでもこの風習を続けるビジネスマンもいる・・・
ガウチョ(=Gaucho)
と呼ぶ。主に放牧された牛を飼い、大草原パンパを馬にのり走り回っているのである。
彼らが常にもち歩いているものがある。
それが マテと呼ばれる瓢箪で作られたコップと
ボンビージャと呼ばれる銀製のストローである。
これを常に愛飲して、体の疲れをとるのだ。
ブエノスアイレスのオフィスでもこの風習を続けるビジネスマンもいる・・・
今日の夜9時からのフジテレビにて放映のラプラタ河とパンタナルの自然の番組は懐かしいアルゼンチンでの生活を思い起こさせてくれた。ちょうどラプラタ河が見えるマンションの26階に暮らしていたが、対岸のウルグアイ・モンテビデオが見えそうであった。
ラプラタ河をさかのぼっていって支流のパラグアイ川に沿ったパラグアイの原住民の生活はパラグアイの国の貧しさを思いおこし胸が痛んだ。パラグアイでの生活から既に14年がたとうとするがいまだ文明社会から遠い生活をしなければならない・・・。魚が自然体系の崩れで採れなく数日食事も出来ない人々がいることは飽食の国、日本で暮らす限りは決して実感できないだろう。
またこういったテーマの自身のHPやメル・マガで扱っていこう!!
ラプラタ河をさかのぼっていって支流のパラグアイ川に沿ったパラグアイの原住民の生活はパラグアイの国の貧しさを思いおこし胸が痛んだ。パラグアイでの生活から既に14年がたとうとするがいまだ文明社会から遠い生活をしなければならない・・・。魚が自然体系の崩れで採れなく数日食事も出来ない人々がいることは飽食の国、日本で暮らす限りは決して実感できないだろう。
またこういったテーマの自身のHPやメル・マガで扱っていこう!!
(1)旅行(リゾート/メキシコ)
イスラ・ムヘーレス(カンクン)の歴史
この地にスペイン人がたどり着いたことが記録として残っているのは1517年、フランシスコ・ヘルナン・デ・コルドバがこの地を踏んだ時であり、彼は、征服者たちが出会った多数の土の女性の形をした像からイスラス・ムヘーレス(女性の島)として洗礼した。
ヘルナデス・デ・コルドバ以前他のスペイン人の到達と関連した歴史の話で興味深いものの一つが1511年のことである。この地へ座礁した冒険家の名前は、ペドロ・デ・バルディビアといい、「サンタ・マリア」号の船長であった。彼は岩礁にぶつかり座礁してしまった。遭難で20名の船乗りが生き残った。その中には船長のバリディビア、司祭のヘロニモ・デ・アギラル、軍人のゴンサロ・ゲレロがいた。最後の二人は他の少数の船乗りと一緒に難船で生き残り、オルボックス、ホムオム、コントイ、ブランカ、ムヘーレス、カンクン、コスメル、シルアを支配するマヤの族長の領地であるエカブに定住した。そしてマヤの戦士の集団により囚われの身となった。
歴史によれば彼らはエカブの族長、ハルク・ウニックの前に連れ出され、族長は外国人を生贄にすることに決めた。ゲレロとアギラルはどうにか逃亡し、密林の中に分け入った。そしてその後しばらくしてとらわれ、サマンアの族長の奴隷となった。
ゴンサロ・ゲレロは強大で恐れられていたチャクテモルの族長、ナチャン・カンに贈られ、彼の信頼を得て、スペイン人との戦いの訓練に加わった。1514年ゲレロは既に軍隊長として認められていた。ゲレロのその文化への完全なる同化したことで高貴な身分の女性、おそらくナチャン・カン自身の娘であったかもしれないが、と結婚することになった。彼らの子孫が最初のメキシコのメスティーソ(混血)であったに違いない。
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お役立ちサイト
メキシコ・カンクン :http://www.cancun.com/
イスラス・ムヘーレス :http://www.islamujeresonline.com.mx/
イスラ・ムヘーレス(カンクン)の歴史
この地にスペイン人がたどり着いたことが記録として残っているのは1517年、フランシスコ・ヘルナン・デ・コルドバがこの地を踏んだ時であり、彼は、征服者たちが出会った多数の土の女性の形をした像からイスラス・ムヘーレス(女性の島)として洗礼した。
ヘルナデス・デ・コルドバ以前他のスペイン人の到達と関連した歴史の話で興味深いものの一つが1511年のことである。この地へ座礁した冒険家の名前は、ペドロ・デ・バルディビアといい、「サンタ・マリア」号の船長であった。彼は岩礁にぶつかり座礁してしまった。遭難で20名の船乗りが生き残った。その中には船長のバリディビア、司祭のヘロニモ・デ・アギラル、軍人のゴンサロ・ゲレロがいた。最後の二人は他の少数の船乗りと一緒に難船で生き残り、オルボックス、ホムオム、コントイ、ブランカ、ムヘーレス、カンクン、コスメル、シルアを支配するマヤの族長の領地であるエカブに定住した。そしてマヤの戦士の集団により囚われの身となった。
歴史によれば彼らはエカブの族長、ハルク・ウニックの前に連れ出され、族長は外国人を生贄にすることに決めた。ゲレロとアギラルはどうにか逃亡し、密林の中に分け入った。そしてその後しばらくしてとらわれ、サマンアの族長の奴隷となった。
ゴンサロ・ゲレロは強大で恐れられていたチャクテモルの族長、ナチャン・カンに贈られ、彼の信頼を得て、スペイン人との戦いの訓練に加わった。1514年ゲレロは既に軍隊長として認められていた。ゲレロのその文化への完全なる同化したことで高貴な身分の女性、おそらくナチャン・カン自身の娘であったかもしれないが、と結婚することになった。彼らの子孫が最初のメキシコのメスティーソ(混血)であったに違いない。
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お役立ちサイト
メキシコ・カンクン :http://www.cancun.com/
イスラス・ムヘーレス :http://www.islamujeresonline.com.mx/
「ラテンの世界」は日本語のラテンの関するサイトもしくはスペイン語で日本からラテンの世界に発信するサイトを募集しています。URL:http://www.mundolatino-j.com のトップページから
登録できますので(スペイン語版は近日中UP予定)どしどし登録ください!!
貴方のサイトがラテンの世界で大うけするかも?!
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三洋のCMでも登場するメキシコ・テオティワカン遺跡。メキシコで最大のピラミッドといわれるだけ
あってさすがに大きい! 太陽と月のピラミッド。 先般メキシコを歴訪した小泉首相でも話題にのぼった
希望が叶うという その内容は「ラテンの世界」テオティワカンのページにてご覧下さい。
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HP「ラテンの世界」ではメキシコの世界的ボレロ歌手グループ
「トリオ・ロス・パンチョス」のオフィシャル・サイトの日本語バージョンを掲載。
ボレロの歴史、パンチョスの歴史、そして現在とパンチョスを知る貴重な内容となっています。
サイトURLは下記。是非ご覧下さい!!
http://www.h7.dion.ne.jp/~gerardo/index.html
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Webサイト「ラテンの世界」ではコーヒーにかかわるサイトとして、スペイン・バルセロナ発の
世界のコーヒーサイト・日本語版を紹介。スペインのコーヒーサイトとしてはとてもわかりやすいものを今後も紹介していきます。
http://www.h7.dion.ne.jp/~gerardo/
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