亡き次男に捧げる冒険小説です。
どこかで彼が読んでいることを願い、第一話を五分割して、まとめて読めるようにしました。
その5までで合わせて26000文字以上の物語なので、読み切るまでに45〜55分程掛かります。一編あたりは10分程度で読めると思います。
と、ここまで書いて恐縮ですが、字数制限が厳しくてデータが全く貼れませんでした。ブログ未掲載の第1話冒頭を掲載しますので、ご興味が湧きましたらリンク先にある物語の続きを読んでいただけたら幸いです。
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ハテナの交竜奇譚
【第一話】その1
『素っ裸の出会い〜ハテナ義兄弟の契り〜』
〇一
心臓の鼓動を一際大きく感じ、朦朧とした意識がわずかに覚める。少年のあどけなさを残すその青年は、静かに薄目を開く。仄暗く揺らいで見える川底には、一面に泥と翠に光る小石が見える。皮膚にまとわりついた穢れを一枚一枚剥がすように、緩やかで冷たい流れが肌を刺激する。青年はうつ伏せになっていた身体をゆるりと半転させると、水面(みなも)に視線を移した。曙が瞳を焼くかのように、視界が一瞬真っ白になる。青年はそんなに深くもないなと、朧げな意識で自分の漂う深さを確かめていた。
静かな渓流の澱みの中。川底近くに青年は身を委ねていた。体側に沿ってなびく両腕を、大きく弧を描くように広げてみる。ゆっくり、なるべくゆっくりと。合わせて両足も大きく広げる。こちらもゆっくり、できる限りゆっくりと。その気持ちの良さに、目覚めつつあった意識がまた遠のいていく。どれくらいの時間潜っていたのか定かではないが、逃れ難い睡魔にも似た安寧に、青年は心を奪われる。耳に籠る泡を纏った水音。幻想的に揺れる銀の腹を見せる川魚。このまま息が続かずとも、この川の流れの一部となることに何の不満があるのだろうか。青年はそう考えると目の前に迫る「死」を容易く受け入れられる気がした。何事もなかったように、青年は命の灯火を消そうかと静かに目を瞑る。意識はますます遠のいていった。
テー…。テー…。死な…ないで…。
自分の名前を呼ぶ声に俄かに覚醒する。青年の名前はテーリといった。語尾までは聞き取れなかったが、確かに自分の名前を呼ぶ声が谺(こだま)した。途端に息苦しさと「死」の恐怖がテーリを襲う。心地良かった水音は、いまや命を吸い込む奈落からの轟音に変わった。はっきりとした意識の中で、死にたくないと強く思ったテーリは、力を込めて大きく水をかいた。水面の白い光が急激に眼前に迫る。思った通りさして深い川底ではなく、ほんの三かきで水面から頭を出すことができた。自分が本来住む世界、空気の満ちた水上に顔を出したテーリは肺に命の素を流し込む。空気と共に《織》が身体中に満ちていくヒリヒリとした感覚。たちまちテーリの「死」への欲求は消え失せた。短く刈り上げた襟足。少し長めに揃えた前髪。ほのかな金を差した黒髪は艶やかで、水を振り払おうと首を振る様からは、生命力に満ちた若さがほとばしっている。黒い瞳を輝かせ、大きく口を開けたテーリは、大きめな前歯を剥き出しにして笑った、腹の底から大声で。
ふとテーリは我に返った。
「ここは、どこだ。僕は、何をしているんだ。」
周りの様子を確かめようと両手で顔の水を拭った。ぼやけていた視界が晴れると、テーリは自分を覗く真っ赤な双眸と目が合った。なんの感情も湧かず、テーリはただその二つの真紅の輝きを見つめるだけであった。その赤い瞳の持ち主は、川べりから首を伸ばし、テーリを睨みつける四つ脚の魔獣であった。せっかく「生」にしがみついたのに、また「死」に引き戻されるのか。目前に迫った「死」の恐怖は、たちまちテーリの感情を揺さぶった。
テーリが水中に頭を引っ込めると同時に魔獣の牙が空を切った。すんでのところでテーリは命拾いをした。テーリは無我夢中で対岸に向かって泳ぎ出した。後ろからは、水に何かが飛び込む鈍く響く音がした。同じような振動が数回、テーリを襲った。魔獣が川に飛び込んだのだ。魔獣は群れで狩りをする。これはとんでもないことになった、なんでこんなことになったんだ。テーリは急に痛み出した頭を抱えることもできず、ひたすらに水をかくのだった。
〇二
対岸までの十数メートルが恐ろしく遠く感じた。テーリは泳ぎに自信があったが、それは人間相手の話である。競う相手は魔獣。魔獣は人間を遥かに凌駕する肉体と能力をもつ、野生の狩人だ。長い距離を競い合って、泳ぎ勝てるわけもない。いつ追いつかれるかもしれないという恐怖と闘いながら、テーリは一心不乱に岸を目指した。足先に魔獣の爪が掠ったのか、それとも浅瀬の砂利を踏んだのか。つま先に走る疼痛の正体を確かめる余裕もなく、陸に上がったテーリは駆け出していた。
開けた場所、または小高い場所はないか。少しでも自分が有利になれる地形はないかと、テーリは走りながら周囲に目を走らせる。次々と魔獣が川から跳び出る水音が聞こえた。そして、大量の水飛沫が宙を舞い、必死に逃げるテーリにも降りかかる。テーリを追跡する足音と低く唸る息遣いから、振り返るまでもなく魔獣の数が三匹であることをテーリは確信した。川底に沈んでいた我が身は全裸である。魔獣に抗うための弓矢も短剣もない。故郷の森で隊商から偶然手にすることができた金属の弾を撃ち出す近代兵器、ご自慢の《銃》もない。森で育ち森の中で生きる術を叩き込まれたテーリでも、丸腰どころか丸裸では魔獣から逃げ延びれる可能性は零に等しかった。目をやるとそこかしこに手頃な枝が散乱している。手近な一本を、ないよりマシと速度を落とすことなく拾い上げた。眼前に迫る森の前には、2メートルばかりの高さの岩場があった。テーリはこれ幸いと魔獣の方に向き直るや否や、後ろ向きのまま器用に岩肌を駆け上がった。岩の天面は滑らかで3メートル四方の広さがあった。前面と左右を見下ろすことができ、背面は鬱蒼とした森を背負う形となった。窮地においてこの上ない立地に陣取れた。
岩に飛び乗ったテーリの肉体は美しかった。少年のか細さから青年の逞しさへと変貌する、正に一瞬の変化を留めた痩身。まだ筋肉がつき切らない身体のためか、手足はその175センチメートルという身長以上に細く長く見える。均整の取れた肉体とはいえずとも、魅惑的な身体付きが中性的な美のベールをまとっていた。
テーリにも多少の近接戦の心得はあった。しかし手にした武器は、カラカラに干からびた流木の枝である。枝を構えて魔獣に相対したものの、武器の心許なさから、冷静にはいられなかった。追い縋る魔獣をまじまじと見やると、その巨体と禍々しさに気圧されてしまった。テーリはこの魔獣をよく知っていた。オオカミに似た容貌をしている魔獣《ウォーグ》だ。自分より弱い者を嬲りながら食い殺す醜悪な捕食者。狡猾な狩りを好み、腕っこきの狩人も時折策略にハマり、森の奥に連れ去られることも珍しいことではなかった。その《ウォーグ》が三匹、目の前に迫っている。《ウォーグ》の眼は、テーリを追い詰めた悦びに醜く歪んでいた。不意に襲った激しい頭痛と現実味を帯びた「死」の恐怖から眩暈を覚え、テーリはこめかみに手をやった。
「ここまでか。」
最期を悟ったテーリは、大きく息を吐くと天を仰いだ。
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第1話 『素っ裸の出会い〜義兄弟の契り〜』続き