くもりときどき思案・2

アイウエオ順に思い出すあのひとのこと。
あのころのこと。

195 まつはしさん

2008-07-16 08:08:28 | あのひと
朗読教室でであったまつはしさんは
秋田出身の色白でカリンとしたべっぴんさんだった。

硬質な感じとでもいうのだろうか。
まじめで律儀で目的にむかってひとりでもまっすぐ歩き続けられるひとで
溶け合ったり交じり合ったりがあまり得意ではないというふうに見えた。

こちらが何かの折に袋をあげるといたく感激したらしく
仲良くしてねという手紙がきたことがあった。
仲良くという言葉が型抜きのようにこころに残った。

いつもきっちり読み込んできていて
まつはしさんの朗読はきれいだった。
だれもが声をそろえてそう評価した。

が、それはバスガイドさんのようでもあり
だんだん名調子になって自分で酔っているようだ、と
教室のベテランさんはこっそり言っていた。

登録制でベビーシッターの仕事をしているので
子供に読み聞かせるためにえらくかわいくもあった。

いささか媚びるような声が気になるというひともいた。


秋田の言葉から離れること。
そんな命題が体の芯にあって
柳に飛びつく蛙のように熱心に練習する。
関西弁のイントネーションをもてあますわたしにも
彼女の思いがすこしばかりわかる。

そうやってだんだん生まれ育った土地から遠ざかる。
そうやってそことここが交じり合った
どこにもないような言葉が生まれる。


数年前教室だけでは飽き足らない面々が
自分の好きなものを持ち寄って読みあう
「声で描く会」という自主グループを立ち上げた。

まつはしさんもわたしもメンバーだった。
まつはしさんの朗読はますます磨きがかかっていった。

しかしなおもステップアップを望むまつはしさんは
活動歴30年を超え、幅広く公演活動をしている名のなるグループへ
鞍替えをした。
それ以後会うことはない。

「仲良くしてね」
という言葉がときどき思い出される。





194 まつうら教授

2008-07-11 07:28:03 | あのひと
師である。
卒論の担当教官で、諮問で泣かされた。
文字通りほろほろと涙を流して泣いてしまった。

本来なら卒業できる実力はないのだけれど
卒業後結婚が決まっていたので
お情けであげてもらった、ような気がする。

子供が出来てから
「あなたの卒論が提出されていません」
というメッセージが来て
こどもをおんぶしながらタイプに向かっている
なんていう夢にうなされることもあった。

ことほどさように
まつうら教授は怖かった。
硬そうな髪をオールバックにして
リリーフランキーに似た顔つきで
眼だけを数十倍鋭くしたような風貌だった。

ディラントマス研究で有名なひとで
ネット検索してみるとその名が出てくる。
ああ、そうだったのかあと今になって思う。

今の年になって昔の自分を思い描くと
ほんとうに教養のない
ものをしらない大学生だったなあとはずかしくなる。

未来を見据えることもなく
その日一日をなんとなくやり過ごしていたようで
まったくもってもったいないことだったと
今のわたしが悔いている。
文学や創造のまそばにいながら
知らぬ間にいねむりをしているような日々。

そんな日々に風穴をあけるように
きびしかったのがまつうら教授で
それまでの学生生活のなかで
あれほどの叱責はほかになかったようにも思う。
時にバカにされたりもした。

「あんたらは日常性に埋没している!」
というのが教授の口癖だった。

教授の奥さんも日常性に埋没しているそうで
バスの時刻表なんてのだけしっかり覚えて注意するとか
そんなことも言っていた。

教授は肉うどんがおすき。
出前はいつも肉うどん。
そんなことだけしっかり覚えていたりする。
日常ばかりが蘇る。


193 ドクターまつもと

2008-07-06 00:35:51 | あのひと
≪他所より転載≫

高校の同窓会、2次会のテーブルで私の右側に料理人が座った。
彼は3年のとき、同じクラスだった。

顔の造作が大きくて、
鬼瓦のような、という形容詞が似つかわしい風貌だったが
笑うと童子のようなかわいさがあった。

中学のときから陸上の長距離走で名を馳せ、
どこかの大会の中学記録保持者だったのだと聞いた。

高校でも陸上を続けていたが途中でラグビーに転向した。
進学に有利だったからだ。

そして体育大学に進み先生になろうと思っていたが
料理屋を営んでいた父親が亡くなり後を継いだ弟も病気になった。

それで彼が家業を継ぐことになったのだが
時代の流れなのか彼の腕が至らなかったのか
立ち行かなくなって店を畳むことになった。

それでも食べていかなければならないので
今は病院の厨房で働いている。

そんな半生を彼は良く通る大きな声で
ああだったらこうだったらという悔いとともに語った。

ただ聴いた。


左側に座ったのは脳外科の医者だった。

高校時代にまったく接触のなかったひとだった。
10クラスもあれば、こんなひといたっけ?という顔がたくさん並ぶ。
むろん、向こうも同じことだ。

困ったなと思ったが、この医者は作家の浅田次郎そっくりだったので
そこから話の糸口が見つかった。

話の流れで神戸製鋼病院の脳外科の医者だとわかったので
往年の名プレーヤー、平尾や大八木の話を聴いていると
ラグビーの話を聞きつけて、料理人が割り込んできた。

ひとしきりラグビーの有名人の話で盛り上がったあと、
相手が医者だと聞いた料理人は
中学のとき自分も医者になりたかったんだ、と言い出した。

初恋の相手が歯医者の娘だった。
その子が好きで好きで、じっとしていられなくて
千日回峰やお百度のように毎晩その子の家まで走っていた。

家まできて何をするわけでもなく
明るく灯がともるその子の部屋を見上げて
安心して帰ったのだった。

そんな思いが叶ってその子の家に遊びに行くことができた。
天にも昇る気持ちだった。頭のなかが真っ白になった。
なにをどうしたのかもはっきりは覚えていない。

しかし、その次の日、
その家の前でおばあさんが待ち構えていて
「もう来ないでくれ」と言われた。

たった一日限りの夢が終わって
その時なにかが自分のなかで折れた。

通っていた進学塾にも行かなくなった。
もう医者になることもないんだと思った。

まっすぐだった走路が曲がり始めた。

「俺、塾のなかでも結構成績よかってんで」
という料理人に医者がうなづく。
「そうや、知ってる。カイ塾やろ?僕も行ってた」

料理人は自分の思い出に酔っていて
医者の言葉に注意を払わない。

わたしが「こちらは脳外科のセンセイやし」というと
料理人は笑顔になった

「それはありがたい。なんかあったら、頼むわ。
ああ、これでなんか命拾いしたような気分や。
名刺もらえるか?」

医者が差し出した名刺の名前を見て料理人は驚いた。

「お、おまえ、あの松本なんか?卓球部やった松本か?」
「そうや、わかってへんかったんか?」

「おまえ、えらい変わってわからへんかった。
おまえやったんや・・・ああ、松本や・・・」
そういうと、料理人は立ち上がって医者に抱きついた。

「そうや、僕や」
「ああ、よかった~。会えてよかった~。来てよかった~」

スキンヘッドにそり上げた料理人と
浅田次郎のように禿げ上がった医者の頭が並ぶ。

すっと顔を離して
戸惑う医者の顔を見つめている料理人の表情が
次第に崩れていった。

そして天井を睨んで泣き出した。
よくラグビーのボールを掴み損ねた小さな手の短い指が
その顔を覆う。

こみ上げてくるものを抑えきれず、嗚咽が漏れる。

周りの視線が集まるなか
その肩を医者があやすように軽く叩く。

事情はよくわからないが
料理人の素直な思いが伝わってきた。

同時にその裏側に抱えている屈託も胸に迫った。
その手はたくさんのものを
掴みそこねてきたのかもしれないと思ったりした。

その後落ち着いた料理人は照れくさそうにもう一度名刺を眺め
押し頂いてから財布の中にしまった。
医者はだまってそれを見ていた。

192 まつもとさん

2008-07-05 16:27:22 | あのひと
エッセイの教室で出会ったまつもとさんは
すらりと長身でスリムで
すこしかなしげに見える大きな眸の持ち主だった。

リタイア前にカルチャーにでも行って文章を書こう
なんて志すひとには
才能だとか環境だとかとは違う次元で
きっと何かしら秘められた不幸があるのだと
わたしは思っている。

まつもとさんの眸の奥にも
そんな時間が閉じ込められているように思った。



混沌としている自分の思いを紡いで
糸巻きに巻きつけるようにして言葉に変えていく。

通り過ぎた時間のなかに
自分自身を解く鍵がある。

文章を書くことを学びながら
自分の輪郭をくっきりとさせていく。


まつもとさんが読書を重ね
こつこつと精進していく過程の文章を目にしながら
わたしはそんなことを感じていた。

眸の奥で揺れていた思いの切れ端が
そんなふうに形になってみると
それはなんとも切なく読み手に響いてくるのだった。


しかし
オジギソウのように感じやすいこころのなかには
椿の葉のような分厚い箇所もあった。

そこから生まれた不用意な言葉は
なにげなく見えてもひとのこころを深く引っ掻いた。

それがまた新たな亀裂を生むこともあった。



191 まつもとくん

2008-07-04 02:53:19 | あのひと
それはもう擦り切れてしまった記憶のようで
小学校一年生のときの同級生だったまつもとくんのことは
ほとんど覚えていない。

一年生が終わらないうちに転校したのだったろうか、
たぶん、わずかしかいっしょにいなかったはずだ。

いや、ひょっとしたらまつもとくんなんて
最初からいなかったのかもしれない。
そんな気もしてくるほどだ。

そう、以下のこともわたしの記憶違いが多くあるかもしれないだが
それでも、辿っておきたい道筋がある。


まつもとくんの色白で
坊ちゃん刈りの輪郭だけは
遠くにぼうっと浮かんでくるのに
むじなのようにその顔立ちが思い出せない。
背の高い育ちのよさそうな子、
なんて思いが湧いたりはするのだが。

なのになぜまつもとくんがここに現れたかというと
彼の祖父母が小学校の用務員さんだったので
その思い出が彼を引っ張り出してきたからだ。

わたしの記憶のなかでは
用務員さんは校内の用務員室が住まいだった。

ひろびろとしているがためにとっつきにくく
居場所を見つけにくい学校のなかで
そこだけが生活感のあふれるぬくぬくとした場所だった。

わたしはその部屋でまつもとくんのおばあさんに
かわいがってもらったような気がするのだ。
いや、そういう言葉は語弊があるな。
親切にしてもらった気がする。

おばあさんの顔も朧なのだが
すごい出っ歯でそれを丸出しにして笑った顔だけ
妙に鮮やかに蘇る。

我が家の事情を飲み込んでいたから
不憫に思ってくれたのかもしれない。

夏休みの学校でまつもとくんと遊んだ。
築山にある池の水を掛け合って
その時着ていた黄色いワンピースが水浸しになった。
おばあさんがあきれながら笑っていた。

ワンピースが乾くまで
用務員室で何をしていたのだろう。

もうほとんど思い出せないのだけれど
時々、その日の白っぽい日差しと
池に反射した眩しい光が
おばあさんのあったかな気持ちを照らし出す。

ありがたかったなと思い出に感謝する。

190 まさなくん

2008-07-03 09:02:04 | あのひと
今になってみるといい名前だなと思うけれど
高校時代「まさな」という名を聞いて、かわってるな、と思った。

小柄で色の白い男の子で
サッカー部だった。
正選手だった記憶はない。
それでも明るいムードメーカーだった。

2年3年と同じクラスで
なんというのか、ストーブを囲んでのワイダン仲間で
女の子とは話せないことを
冗談だとかしゃれに混ぜこんでやりとりしていた。

他のときでも目が合うと
その時の話を思い出してにやっとしてしまい
すましていても「目が笑ってる」らしかった。

よほど記憶にのこっていたのか
「あのころ女子でシモネタの話ができるのは
あんただけやった」
などと後の同窓会で言われたりする。

まったく何を考えていたのやら。
耳だけはずいぶん年を重ねていたようだ。


これまでに何度も書いている、高校3年の文化祭の劇「かぐやひめ」で
まさなくんもわたしも村人役で
ずいぶん長く彼と一緒にいた。
そんな話ばかりしていたような気もする。

わたしは彼の頬を打つ設定だった。
本番では思いっきり打って申し訳のないことだった。


今年の春のクラス会で十数年ぶりに会ったまさなくんは
色はやっぱり白いのだが、なんだかふっくらして
おつむが少しさびしくなっていた。

きつくなった背広の前を気にしながら
自己紹介する言葉のなかで
子育ての難しさを語った。

理解しようとしてしきれない思い
深く案じる親心
何かしてやりたいのに、
なにをどうすればいいのかわからない
ただ生きていてくれ、と願う日々。

そんな思いはまさなくんだけのものではない。
年月はわたしたちをこんなところまで運んできてしまう。
刻まれた皺の数だけ屈託がある。


189 まっつぁん

2008-06-30 11:16:24 | あのひと
まっつぁんの顔をずっと覚えている。

さかさにしたラッキョウのような輪郭に黒縁めがね。
そのめがねのしたの腫れぼったい目。
こんもりした鼻、ぷっくりした唇。

感情があまり表情に出ないタイプで
一見するといつも不機嫌そうな感じだったが
うちに秘める闘志が時々あふれ出た。

同じ軟式テニス部の後衛だった。
夏の日、強烈な日差しのなかで
よくまっつぁんと乱打したものだった。
まっつぁんは重たい球を打った。

あの頃はお肌のことなど頓着なくて
みんな見事に日焼けして
裏表がわからない、などと言われたものだった。

まっつぁんはそう機敏なタイプではなかったが
それでも黙々と粘り強く球を拾った。
ふくらはぎに重たそうな筋肉がついていた。

プレースタイルはなんとなく
まっつぁんの地味で生真面目な性格を表していたような気もする。

わたしはずっとへたっぴいのまま2年で辞めてしまったが
まっつぁんはずっと続けた。

その勲章のようにまっちゃんの腕には
くっきりと土方焼けの日焼けが残っていた。

そののち年頃になると
まっつぁんはえらくおしゃれになって
彼氏に夢中らしい、と風の噂に聞いた。


188 mayumiさん

2008-06-30 10:37:38 | あのひと
ミクシィで知り合ったmayumiさんは音楽関係のかたで
実はそれ以外でもここでは書けないくらい
それはそれはすごいひとで
で、なにを書けばいいのか思案にくれたりするのだけれど・・・

一度二人きりのオフ会をしたことがある。
尾山台の田園で呑んだ。

なにしろ、このひとは豪快に笑う。
その笑い声がいい。
ぶっちゃけ!という言葉が浮かんでくる。

お互いのことをそんなに知らなくても
美味い酒と旨い料理と笑顔があれば
たのしいひとときとなる。

他に客がいなかったこともあって
名物店主とともに語り合った。
店主の戦争体験や
やんごとなき人々とのつながりなど聞いて
ふふふ、ふふふと笑っていた。

オリーブオイルを送ってもらったことがあった。
イタリアから来たというエクストラバージンオイルは
日向の匂いがした。
フランスパンにつけて食すと
豊かな心持ちがした。




187 まゆみさん

2008-06-30 09:56:43 | あのひと
まゆみさんは小学校の同級生だ。
考えてみれば、幼稚園も中学も高校も大学も同じだった。

だが、中学も高校もクラスが同じになったことがなく
大学では学年も違っていた。

小学校はひとクラスしかなかったせいもあって
やはりもっとも思い出深い。
行事の思い出もさることながら
女子たちの日々の小さないさかいや意地の張り合いが
妙に懐かしい。

おさないころのまゆみさんは
けっこう気が強くて同じ地区の女子との派閥争いがよくあった。

たがいが口をきかないものだから
地区の違うわたしなどが伝言を伝えたりして
やきもきしたものだった。

彼女のことについては小学校の同窓会のことを書いた
「会いに行くよ」のなかの
「九 反面教師」 http://plaza.rakuten.co.jp/bunsanti/5005#
に少し書いた。

そこにも書いたように、まゆみさんを思い出すと
恵まれて育ちまっすぐに伸びていく美しい植物のイメージとともに
正義感という言葉が浮かんでくる。

その後結婚してご主人が最高裁にお勤めと聞いてなんとなく納得したりもした。

結婚して東京に住み、教職は退いたのだが
子育てを終えて最近、塾の仕事を始めたと聞いた。

颯爽とした後ろ姿が浮かんでくる。

186 まゆみちゃん

2008-05-15 07:23:00 | あのひと
ふたりめのまゆみちゃんはね、大学のクラスメート。

小顔のべっぴんさんで、スタイルが抜群によかったの。

足が細くて長くてモデルさんみたいだったな。


横断歩道を渡っていくまゆみちゃんの後姿はいまでも思い出せるよ。

水色のふわふわしたミニスカートから伸びる足がかっこよかったな。

まゆみちゃんのこころ弾みを教えるようにそのスカートが揺れていたよ。

きっとだいすきなひとに会いに行くんだろうって思った。


大勢のひとのなかにいると

まゆみちゃんは時々その輪郭を自ら淡くするようにも見えた。

誰かが捕まえようとするとふっと透明になってしまうような感じかな。


きっとこころねがとっても優しいから、

たくさんのことを感じすぎるとオジギソウのように

静かに閉じていくみたいな感じだったんでしょうね。



卒業して30年近く経って会ったけど

過ぎた時間はまゆみちゃんの外側をまったく変えることができなかったみたい。

まゆみちゃんは横断歩道を駆けていったあの時のまま

今へたどり着いたような感じだった。

感じやすいこころもそのまま携えて。


30年がやすやすと流れたはずはなく

その美しい眉が曇ったこともあるはずなんだけど

まゆみちゃんは変わらずきれいで、ふわりとしていた。


そして相変わらず、どこか捕らえきれない空気を

その身に纏っていたよ。

わたしはそれがなんだかうれしかったな。