くもりときどき思案・2

アイウエオ順に思い出すあのひとのこと。
あのころのこと。

(84) 路傍のひと

2005-02-28 02:50:11 | あのひと
チラシを配っていると道端でよく会うおじいさんがいる。

入れ歯を外したような口元は老いたポパイのようにふてぶてしいのだか、その目はシイの実の形にくぼんで気弱そうだ。通りがかったわたしと目が合うとその目はふわふわと視線を空に泳がしてしまう。

いつも薄いジャンパーを着てつるつるてんのズボンを履いて黒っぽい野球帽をかぶっているおじいさんは早足で歩く。歩いて歩いて止まる。

止まると電信柱を指差してからおもむろに頭を下げる。顔つきは真剣だ。しばらくうつむいたままでいる。それからウンと頷いて「ヨシ!」と声にだして、また歩き出す。

歩き出すのだか5歩も言ったところで今度は気をつけをする。そして他所の植え込みに向かって深いお辞儀をする。

お辞儀が済むと帽子を取って、白髪交じりの髪を数回なでて帽子をかぶりなおす。

そしてまた歩き出す。

坂の下に立つときは両手をおへその下に組んで頭を下げている。結構長くうつむいている。

そのあとふっと顔を上げて、わたしと目があったことがあった。すると今にも泣き出すかのような困りきったような顔になり、逃げ出すように歩き出した。

なんだかよくわからない。わからないからいろいろ考える。

わたしなんかには理解できない決まりがあって、その通りにしなければ具合が悪いのだろうか。

あるいはわたしには見えない何かがそこにいるのだろうか。おじいさんはその全てに挨拶してまわっているのだろうか。

辻辻にあやかしがいるのかもしれないし、どこにもいけない地縛霊がうごめいているのかもしれない。

ひとによくないものをそのおじいさんがなだめてくれているのだと思うと、どうだろう。

おじいさんは町内のまもりびとなのかもしれない。

(83) 憎まれ役

2005-02-24 01:32:59 | あのひと
今日も今日とて待合室でおばあさん達の四方山話が続く。

「○○銀座もさびれちったねえ。不景気なんだねー。風呂屋までつぶれちまったよー」と赤い目をしたおばあさんが言う。

「どこもそうよ。みんなヨカドーみたいなおっきなスーパー行くもんね。風呂だってみんな自分ちにあるんでしょ」と真ん中の眼鏡のおばあさん。

もうひとりのおばあさんは補聴器を外しているのでちょっと聞こえが悪いらしくウンウンと頷いてばかりいる。

「ほんと風呂屋も大変だよ。4時ごろ行くとガラガラでさー、こないだなんてあっちひとりだったからさー、わるいけど、気持ちよかったよー」赤目さんが難聴さんに聞こえるような大きな声で言う。

「それはいいことダア、歌でもうたったノ?」難聴さんは訛りがきつくてちょっと語尾が不明瞭だ

「ああ、そうだ、歌えばよかったよー。でもさあ、今の若いひとはほんともったいないってことしらないねー。それに片付けるってことができないねー。洗面器なんてほっぽりぱなしでさー」


「ホントに不心得もんが多いのよ。親が教えないからいけないんだよ。体洗いもしないで上がり湯ばっかりジャージャーかかけっぱなしでさ。誰かが止めなきゃずっとやってんだから。あれじゃあ風呂屋もたまんないよ」

「つぶれるわけだねー」


「若いもんだけじゃないよ。こないんだなんてさ、ばあさんがさ、湯船に杖ついて入って来たんだよ」眼鏡のおばあさんが憤懣やるかたない口調で言う。

「へー杖ーナノ?」難聴さんが驚いた。

「そうよ、平気で入ってくるのよ。だからわたし言ってやったのよ、そんなもん入れられたら迷惑だって。誰も言わないからいいと思ってるのよ。わたしが憎まれ役買ってやったのよ」

「えらいよー、そういうひとはきっぱりゆってやんないよわかんないんだよー」

「でもそしたらそのばあさんたら、今度は小さい方の湯船に杖ついてはいんのよ。わたしまた言ってやったのよ。こっちだっておんなじだよ、って。よく考えなさいよって。ほんと年寄りにはこまったもんよ」

「ほんとだねー」「ウンウン」聞いていた二人が大きく頷いた。

(82) 大丈夫!

2005-02-17 20:36:31 | あのひと
処方箋薬局で順番を待っていると杖をついた老婦人とそれより少し若そうなそのひとがやってきた。

若いといっても60代はじめという感じだ。きちんと髪をまとめてすっきりした顔立ちの女性だ。

このふたりとは耳鼻科でもいっしょだった。待合室で、のべつ幕なしに老婦人が喋る話のあれこれにそのひとはふんふんふんと耳を傾けていた。

老婦人はずっとふたりの共通の知り合いである井上さんというひとの悪口を言っていた。

なんでも井上さんがそのお隣さんから大根の煮物をもらったのだが、その家では猫を飼っているから、きっとその大根の上を猫が跨いでいったに違いないんであって、井上さんは「わたしはそんなものは食べられないからあなたにあげる。食べてちょうだい」と言って老婦人にその大根の煮物を押し付けたらしいのだ。

「普通、そんなこと言う?あのひとはほんといつもひとこと多いんだから!」

わたしが耳にしただけでも老婦人はそのいきさつを3回は言った。

また言ってる、などとわたしは思うのだが、そのひとは3回とも「そういえばそうですねえ」と言いながら頷いていた。そのさばき方が実に堂に入ってて感心した。老人を扱いなれているにちがいない。

つれだって現れた薬局でも話は途切れない。こんどはそのひとのほうから話し始める。

「地震がありましたでしょ。どうされてました? わたし、本当に怖くて主人の手を握っておさまるのを待ってましたわ」

「ええ、ええ。ほんと長い地震でしたよ。ほら、わたし、一人暮らしでしょ。こわかったわよ」
「そうでしょう?」

「でも、どうせ死ぬときは死ぬんだからって思って布団かぶってましたよ」
「そうねえ、慌てて転んで怪我でもしたらたいへんですものね」

「わたしなんてもういい年だし、体のどこそこ傷んできてるんだから、いつ死んでもいいんだけどねえ、天命ていうのかしらね。死ぬまでは生かされてるってことだから、なんとかやってきなかなくちゃね。でもさあ、ほんとのところ、長く患って寝付くのだけはいやだわ。まわりに迷惑かけたくないしね」

その言葉にそのひとはにっこりして答えた。

「大丈夫ですよ、きっとぽっくりいけますよ」

(81) ♪それが人生さ~

2005-02-15 15:28:32 | あのひと
なにやら気配を感じて本から目を上げると小山のように大きなひとがわたしの前のつり革を握っていた。

空いた京浜東北線は横浜を出て大宮を目指すがわたしには車窓が見えない。そのひとの黒い上着ばかりが目の前に広がっている。

と、意味の汲み取れない間延びした言葉が聞こえてくる。彼がお経を唱えているのかと思うがそうでもないようだ。

電車の揺れとは別に、彼の大きな身体はシェイクしていた。だぶだぶのズボンが小刻みに揺れている。首も縦に振っている。

ノリのよくなったところで「ああ~、そうさ~それが~それがそれが人生さ~」と口を大きく開けて歌う。ああ、歌を歌っていたのかあ。

見上げると上の前歯が一本抜けているのが歯の裏側から見える。ちょっとトトロを連想する。

体格がいいので声量はありそうだし、こぶしもよく回っているのだがちょっと空気が漏れるような声になって歌詞が聞き取りにくいのは、その歯抜けのせいだ。

「しゅびしゅびしゅび~おまえ~」という歌詞で歌は続くがどうも聴いたことがない曲だ。どうやら彼のオリジナルを即興でうたっているらしい。機嫌のよさそうなにこにこした顔つきだ。

いよいよノッてきたのか「しゅびしゅび~いつかいつかいつか」と歌いながら今度は左右に揺れながら歩き始めた。空いた車両を行きつ戻りつして最後にドアの前に立ち「風が~ふーくー」と続けた。

そうしてしばらく「風が~風が~」と繰り返し、開いたドアから降りていった。風と共に去りぬだと苦笑した。

(80) 物干し台で語るひと

2005-02-06 02:31:05 | あのひと
黄昏が近かった。家路を急いでいると頭の上から言葉が降ってきた。かなり大きな声で語られたその言葉はかなり直線的に耳に飛び込んできた。

「あなたはあくまでそういうのね。いつものように言い逃れようとしているのね。もう、騙されないわよ。わたしにだって考えがありますから」

それは聞いてもよい言葉なのだろうか、と気まずい思いになる。事情はわからないが、その言葉のから察すると物干し台ではなにやら修羅場が展開しているような気配だった。

「もうたくさんよ!あなたの言い訳は。聞き飽きたわ」

またそんな声が聞こえるが、その前の言い逃れの声は聞こえなかった。糾弾しているほうの声が大きく、されるほうは小声になるということか。

「いったい、わたしのどこがいけないというのよ。言えるもんなら言ってごらんなさいよ」

ええー、なんと言うのだろうとドキドキするが答えは聞こえない。しかしそこで立ち止まるものいけないことのように思えたので、少し遠ざかってから振り向いた。

見上げると古い物干し台に、きついパーマをかけた五十歳くらいの女性がいた。そこにいるのはそのひとだけだった。えっと思うが、糾弾されるべきひとの姿がない。

いぶかしく思っていると、そのひとが物干し台の手すりの角に向かって手を差し出しているのが見えた。よくよく見るとその角には襤褸のようなものがくくりつけてあった。

その姿は次第に暮れていく空を背景にした影絵のようで、どこかまがまがしくも映るのだった。

芝居の稽古だったのかもしれない、と思ってみる。しかし、そういう雰囲気のひとではなかった。

あるいはこれから起こる修羅場の予行演習か、とも思ってみるがなんだか説得力がない。物干し台ではやらんだろう、と思うのだ。

その修羅がこのひとの内なるドラマと考えるのが一番近いのではないかと思えた。

私自身の無礼で勝手な妄想だが、そのひとのうちに渦巻く混沌のなかからそんなドラマが生まれたのではないか、そしてその内圧の高まりを外に出さねば、つらくてならんのではないか。

もう一度振り返るとその影はそのままそこに固まったように佇んでいた。

(79) 聞きたくない

2005-02-03 02:16:02 | あのひと
新宿駅の改札から続く通路を行く背広の集団は健康体のサラサラ血液のように足早に流れていく。その速度が世の中でのなにかしらの証明であるといわんばかりに。

その黒っぽい背広の群れの中に白いコートを着た人がいた。そのひとが小さな歩幅で膝から下だけ動かして歩いている姿は黒い流れのなかでは小さな島のようにも見えた。

その島がだんだんわたしに近づいてきた。白髪頭でおじいさんと呼ばれても不思議はない感じの男性だが、なんとなく変な感じがする。

よくよく見てみると指で耳を塞いでいるのだ。鞄を肩から斜めにかけて、脇をしめて手のひらを頬に当てて、人差し指の指先で耳のふたを押さえたまま歩いている。

たしかに新宿の雑踏はうるさい。。どこもここも耳から締め出したい音でみちていて、神経に障るのかもしれない。

しかし、その年齢ではだんだんに聴力は落ちてくるのではないのか、という気もする。

ふっと、自分だけに聞こえてくる声がうるさいのかもしれないという思いが湧いてきた。

もしそうなら、それは理不尽で筋の通らない言葉なのだろうか。一方的に何かを命じてくるのだろうか。自分を貶したり貶めたりするのだろうか。

その指が押さえているのはこっちとそっちの境界線なのかもしれない、という失礼で勝手な妄想を抱いたりする。

通り過ぎてから二度振り返ってみた。小さな白いコートが前かがみになってゆっくりと進んでいた。その背の丸みを見つめた。

(78) 飲むひと

2005-02-01 13:18:18 | あのひと
駅に向かうペデストリアンデッキに自転車が止まっていた。陽射しを浴びてきらきらしていた。何気なく視野に入ってきたが、それがそこにあるためにはどこからきても階段を持って上らねばならないのだと気づく。

なんで?と思いその先に目をやると大柄なアフリカ系アメリカ人がいた。そのひとはデッキの手すりにもたれて下を見ていた。

と、左手にビニール袋を持っている。そのなかには缶ビールのキリン一番絞りが入っていた。ああ、冷たいからビニール袋でカバーしているのだなと納得するが、なんでここで自転車持ち上げてのんでいるのかがわからない。

わかりたいが聞くわけにもいかない。そうこうするうちにこっちに気づいたそのひとが見返してくる。いやいやあやしいものではござらん、なんて思いで頭を下げて行きすぎ、駅に向かった。

ホームに下りると今度はベンチに座ったひとが右手にビールを持っていた。むろん日本人だ。ごま塩頭のおじさんで、ネクタイをしているがそのうえにジャンパーを着ていて足元はスニーカーだ。

なんとも姿勢よくひざをそろえて座っている。背筋を伸ばして缶ビールを口に運ぶ。こっちは発泡酒だ。青いアサヒだ。ごくごくごく。冷たい風がふいているのに、ごくごくごく。寒かろうに、と思う。

そして、ああそうかと気づく。きっとさっきの外人さんは陽射しのあるところで飲みたかったのだ。だから自転車を持ち上げたにちかいない。

おじさんはつまみのスルメを口にほおりこむ。もぐもぐもぐもぐもぐもぐ。メトロノームが振れるような正確なリズムを刻んで顎が動く。視線はあくまでまっすぐ前を見て、動かない。

もぐもぐもぐもぐ、ごくごくごくごく。飲んでも飲んでもおじさんの顔色は白い。

電車を待つひとが多くなっても、電車が来ても、電車のなかからたくさんのひとが見ていても、おじさんは気にも留めずまっすぐ前を見て、もぐもぐもぐもぐと永久に続く運動のようにスルメを噛み続ける。

技術系の仕事をしていて、リストラにでもあったのだろうか。探しても探しても職がないのだろうか。面接でこっぴどくいじめられたのだろうか。自分よりずいぶん若い人に罵られたのだろうか。線路は延びてどこにでもいけそうだが、そこにいながらどこにもいけない自分をかみしているのだろうか。

いや、嫌なこと忘れたいことをすべて噛みしだいているのかもしれない。そうしてなにもかもを発泡酒でぐいっと飲み込んでいるのかもしれない。

閉まる電車の窓からなおも見た。おじさんは誰の視線とも会わない目線で前を見て、やっぱり規則正しいリズムを刻んでスルメを噛んでいた。なかなか屈託がはれない顔つきに見えた。