「手」。手はものをつかみ、仕事をし、人を愛する時に使う。そこから入る感覚はものの質感であろう。やわらかさ、かたさ、重さなどを感じている。
そして「手」はその人のくせ、人格、性格をあらわにする。
手を口元に持っていって話していたり、なにかするときに鼻を触っていたり、ジェスチャーのようなものをしていたり、なにかをする前準備で手が動いたりもすることもある。そんなことを見ていると頭脳と身体は違う気がしてくる。
脳がものを考える前よりも、身体はなにか私たちの意識下で考えているのではないか。
それは人間が使う言語とはまったく違う言語で考えている。
頭とはまったく異なる次元で、身体は頭が考える理屈とは関係なく、何かを考えている生き物のように感じないだろうか。
私というものの入れ物のなかの別の場所に身体は生息しているように思えて仕方がない。
身体は快感を求める傾向があるように考えているが、案外そんなに執着していなくて無頓着な面があるような気もする。
身体と自我はある部分は共有しているが、そのもの自体は別ものだと私は考えている。
今感じている感覚は、私本体の身体は受けてくれているのか。わかったふりをしているだけで案外他のことを考えているかもしれない。
そうした思いにふと襲われることがある。
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