2005-11-23 15:42:04
大阪府立大教員の酒井隆史さんから『ドレスタディ』第48号(2005年10月1日)に掲載された「1970年代の『ネットワーク』―『柔らかさの分岐点』」という文章を紹介してもらいました。
酒井さんが、天野正子の『「つきあい」の戦後史』やそのもとになっている思想の科学研究会「サークルの会」の共同研究を参考に、サークルのもつ「柔らかさ」を現代においてどのように捉えることができるのか論じた短い文章です。
68年を起点として問われた中央集権型組織やヒエラルキーに代わり、それを破壊する「柔らかさ」をもった集団性こそサークルの意味であり、そのポテンシャルを捉えようとしたのが『思想の科学』などであった。
しかし、1970年代は、その「柔らかさ」を支配者の側が利用していく時期にもあたり、現代のネオリベラリズムに繋がっていく。
硬直性と柔軟性という対立軸の設定は、この「柔らかさ」(「ゆうずう性」とも言われる)の破壊性の側面と「服従」と結びつている側面をごっちゃにしてしまっている。
そこに1968年世代の「転向」の動因もあると。
酒井さんは、そこに質的区別の線を引く必要があるとする。そして、服従と結びついた「柔軟性」ではなく、「ゆうずう性」の破壊と創造の面を生かすには「可塑性」が重要だとするマラブーの議論を紹介してこの文章を終わっている。
☆
以下、簡単な感想と疑問点を列挙する。
・「柔らかさ」の捕獲とネオリベラリズムの問題を結びつける点は相変わらず同意できる。
・しかし、「柔軟性」と「服従」の関係はイマイチ分からない。マラブーの議論は確かに刺激的だが、日本における70年代の「柔らかさ」が「服従」と結びつく「柔軟性」に収斂していく過程はもう少し詳細に追う必要がある。
・それと絡む点としては、支配の論理が「柔らかさ」を捕獲する過程が、消費過程や生産過程、それぞれの年代と少し混在して論じられているきらいがあり、その具体的プロセスが見えないので検討が必要。
・天野正子の本ではサークルが中央集権型組織とは違うかたちで(あるいはそれに対する破壊性を持ちながら)抵抗のポテンシャルを生かしていくかという試みはあまり説得的ではなかった。この点、酒井さんの議論はそこから少し前に出ているところがある。
・あとは細かい点。天野がネットワークを支配の側が言うようになったことと、サークルからネットワークという変化を重ねて論じていたかどうかということ。確認必要。そうであれば、酒井さんは明示していないが、『思想の科学』の共同研究それ自体にある方法論が現在においてもこの「柔らかさ」の捕獲に無自覚であるということであり、この点は『思想の科学』研究を進めていく上で一つのポイントであるだろう。
・もう一つは全共闘的な作風とサークルの「柔らかさ」を結びつける酒井さんの議論は少々ミスリードな気もした。
☆
尻切れだが、以上。随時、補足する可能性あり。
(Y)
大阪府立大教員の酒井隆史さんから『ドレスタディ』第48号(2005年10月1日)に掲載された「1970年代の『ネットワーク』―『柔らかさの分岐点』」という文章を紹介してもらいました。
酒井さんが、天野正子の『「つきあい」の戦後史』やそのもとになっている思想の科学研究会「サークルの会」の共同研究を参考に、サークルのもつ「柔らかさ」を現代においてどのように捉えることができるのか論じた短い文章です。
68年を起点として問われた中央集権型組織やヒエラルキーに代わり、それを破壊する「柔らかさ」をもった集団性こそサークルの意味であり、そのポテンシャルを捉えようとしたのが『思想の科学』などであった。
しかし、1970年代は、その「柔らかさ」を支配者の側が利用していく時期にもあたり、現代のネオリベラリズムに繋がっていく。
硬直性と柔軟性という対立軸の設定は、この「柔らかさ」(「ゆうずう性」とも言われる)の破壊性の側面と「服従」と結びつている側面をごっちゃにしてしまっている。
そこに1968年世代の「転向」の動因もあると。
酒井さんは、そこに質的区別の線を引く必要があるとする。そして、服従と結びついた「柔軟性」ではなく、「ゆうずう性」の破壊と創造の面を生かすには「可塑性」が重要だとするマラブーの議論を紹介してこの文章を終わっている。
☆
以下、簡単な感想と疑問点を列挙する。
・「柔らかさ」の捕獲とネオリベラリズムの問題を結びつける点は相変わらず同意できる。
・しかし、「柔軟性」と「服従」の関係はイマイチ分からない。マラブーの議論は確かに刺激的だが、日本における70年代の「柔らかさ」が「服従」と結びつく「柔軟性」に収斂していく過程はもう少し詳細に追う必要がある。
・それと絡む点としては、支配の論理が「柔らかさ」を捕獲する過程が、消費過程や生産過程、それぞれの年代と少し混在して論じられているきらいがあり、その具体的プロセスが見えないので検討が必要。
・天野正子の本ではサークルが中央集権型組織とは違うかたちで(あるいはそれに対する破壊性を持ちながら)抵抗のポテンシャルを生かしていくかという試みはあまり説得的ではなかった。この点、酒井さんの議論はそこから少し前に出ているところがある。
・あとは細かい点。天野がネットワークを支配の側が言うようになったことと、サークルからネットワークという変化を重ねて論じていたかどうかということ。確認必要。そうであれば、酒井さんは明示していないが、『思想の科学』の共同研究それ自体にある方法論が現在においてもこの「柔らかさ」の捕獲に無自覚であるということであり、この点は『思想の科学』研究を進めていく上で一つのポイントであるだろう。
・もう一つは全共闘的な作風とサークルの「柔らかさ」を結びつける酒井さんの議論は少々ミスリードな気もした。
☆
尻切れだが、以上。随時、補足する可能性あり。
(Y)