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デクパージュ理論と自由間接話法

2016-01-16 21:43:13 | 日記
デクパージュとは、切り取る事。世界は、時間を通して、連続している。そんな世界の一部分をカメラで撮る。デクパージュである。これが一画面となる。これらの画面の編集、モンタージュする事で、映画作品となる。デクパージュが上か、モンタージュが上かと論じ合っても、結論は出ないと思う。ただ、連続している世界をデクパージュした時点で、撮られた被写体は、現実でなくなる。専門用語として、アフィルミックは、デクパージュされて、フィルミックとなるという。フィルミックは映画的世界の意味。
ここに一本の映画がある。不細工な男が、五時間寝ている。それだけを描いた映画、題名は、「スリープ」。もうひとつ、八時間、エンパイアステイトビル写しただけの映画、題名は、「エンパイアステイトビル」。この様な映画をじっと見る事は、余りにも辛いと思われる。禅寺で修行していると思っても、やってられない。が、この両作品には、深い意味がある。それは、共に、連続している世界から切り取られた、映画的世界にのみ、存在し有り続けるモノと言えよう。これらの映画を見る時は、切り取られて、映画の中だけに存在している、個物の様態の鑑賞という名目で見る事が求められる。
次に、自由間接話法について。これは、登場人物や状況表現を、自然物を通して表現するもの。アントニオーニやゴダールが得意とする。「赤い砂漠」のモニカ・ビッティの無味乾燥な心理を、工場の煙突から出る白煙で表現。黒澤明の「わが青春に悔いなし」の、原節子が、苦労しつつ田植えしているところに、木々の葉が風で揺れる。同時に、人々の嘲笑いの音。まるで木の葉が、嘲笑っている様だ。黒澤は、人の噂等、木々の葉を揺らす風に等しいと、訴えている様に思われる。この様に、自然物を通して、心理表現を成す手法を、自由間接話法と呼ぶ。そして、自由間接話法も、デクパージュ理論を強める手法である事が、伺える。
ちなみに、「わが青春に悔いなし」の原節子には、青春感等無い。壮春感は有る。


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