
さて、今度読んだ藤沢周平は「闇の穴」。
これも短編集ですが、やや猟奇的・民話的なものも含んでおり、内容的にはこれまで読んだ2作よりバラエティに富んだものとなっていました。
その中でもオープニングの「木綿触れ」には泣かされます。
あらすじは・・・、
生後たった3か月でわが子を病気で失い悲嘆にくれる妻とそれを見守る下級武士の夫。
妻が絶望の淵がらようやく立ち直るきっかけは、下級武士の妻の身分では高嶺であった「絹の着物」をこしらえて着ることであった。妻が立ち直るためならと夫は奮発して妻に絹を買い与える。
ところが、折悪しく藩は財政難で倹約令を発し、下級武士とその家族は木綿しか着てはならぬとのお触れ(「木綿触れ」)が出された。そんなころ妻の実家で法事がが行われることとなった。夫は妻を不憫に思いせめて、絹の着物を実家に持っていって見せてきてはどうかと勧める。「しかし絶対に着てはならぬ」と戒めた。ところが妻は禁制をやぶり、たった一度絹を着てしまった。下級武士のところへ嫁にやるのを厭い、かつて結婚を反対した実家(裕福な百姓)に対して自分が絹の着物を着ているところを見せたかったのももちろんあるが、やはりせっかく作った絹の着物を着てみたい、そして人に見てもらいたいという純粋な“女心”だろう。今も昔も女性にとって『着るもの』は内面と直結しているようだ。ところが、それを藩の悪玉高官に見られてしまったのだ。この高官は、かつてイヤがるこの女に手を出そうとしたことがあり、このとき今の夫(まだ結婚前だが)はこの高官の部下であったが、体をはって上司の高官からこの女(今の妻)を守ったという過去があった。このことを高官はしつこく憶えていて恨みを持ち続けていたようだ。こうして高官は「禁制破り」というこの女の弱みを握ったわけだ。そして、この女を別邸に呼び、禁制(お触れ)を破ったことを見逃して欲しければ・・・と脅して体を求めた。
女は自分の軽率さを悔やんだが、お家に罪科が及ぶことを恐れ、絹の着物を着たことも、高官に弄ばれたことも夫に告げず数日後自殺を遂げた、という悲劇だ。
このあとも物語は続き、自殺の理由がわからない夫はいろいろ調べすべてを知るに至る。しかし、妻が弄ばれたこと以外の高官の過去の一切の悪事(収賄等)を丹念に調べ、大目付に訴え出るが結局取り合ってもらえず、かえって誹謗の罪で謹慎命令まで受けてしまう。謹慎明けに夫は直接高官に会いに行った。高官に詰め寄ると「あの女は勝手に死んだのだ」と責任逃れいう。夫は高官に「あなたは人間の屑」と言って斬る。そして自分も腹を切った。
というのがあらすじです。
「高官にもてあそばれてから自殺までの数日間、女は夫に異常にやさしく、うるさいほど付きまとって夫の世話を焼いた」ことを夫が思い出すシーンがあるのですが、私はこのときの女心に胸を打たれました。いったいどんな心情でその数日間夫に尽くしたのか。
このときの妻の気持ちはどんなであったでしょうか?自分は自殺するしかないとすでに心に決めているが、夫にはこのような状況に至った成り行きを一切話さず、それまでのほんの数日間夫に尽くした。それは夫の戒めにも関わらず禁制を破ってしまったことへの自責と夫への申し訳なさももちろんあったでしょう。しかし、より本質的には、自分がこのような形で夫のもとを去らねばならないことで夫が不憫で不憫で仕方がなく自然の感情として優しくせずにはいられなかったのだと私には思えます。そして、ある意味、妻は夫にこれ以上できないほど優しく尽くし、夫にその優しさ・献身を受け入れてもらうことでいわば夫に甘えたかったのではないでしょうか。自分は死ぬのだからもうこの夫と過ごすこともないと思いながら夫に優しくせずにはいられない、そのような妻の心がまた痛々しく心打たれるものがありました。
幼子を失うという人生最大級の悲しみに遭い、ようやく心が癒えかけたところで、思わぬ事件に巻き込まれ、死に追い込まれるという悲劇・薄倖。そういう話にドップリ浸かって心が清められる、これも藤沢文学の特徴でしょう。しかしこの作品は最後夫が高官を討って自害するというもので、極めて悲劇的で救われない終わり方です。この点は藤沢文学の中では珍しいかもしれません。
余談ですが、我が家もかつて妻が切迫流産を2度経験し、生まれるはずの子供2人を失っています。まだお腹も大きくならないうちに命が終わったのだから、小説とはだいぶ事情が異なります。しかし、そのころの妻の落胆ぶりは尋常ではありませんでした。普通に快活に過ごしていたかと思うと、突然悲しみに襲撃され、電車の中だろうがスーパーの中だろうが泣きだすのでした。特にお腹の大きな妊婦さんを偶然見たときなどが顕著でした。また、スーパーの子供服売り場をひたすら避けていました。こども服売り場のことを妻は「凶悪ゾーン」と称していました。このようなとき夫(男)というものは無力なもので慰めの言葉ひとつも持ち合わせていません。夫としては妻が泣きやむまでじっと見守る、それしかできませんでした。2回目の流産の後、気分転換をと思い、二人で千鳥が淵の夜桜見物に行ったのですが、その帰り妻は「私はもう泣かない。強くなったでしょ、褒めてね。」と私に言いました。けれどもやっぱりその後も泣いてました。そして、その2か月後の今の子(S子)がお腹にいることがわかり、まただめかも・・・という不安がよぎりましたが、なんとか幸運にも生まれてきてくれました。不妊治療のことを考えたり、子供はあきらめるべきかと考えたりしているときでしたので、全く望外の幸でした。
そして、言えることは「人生は予定通りにはいかない。予定より悪くもなり良くもなる。とにかく人間の描いた予定通りことが運ぶほど単純ではない」ということです(「木綿触れ」の小説ほど悲劇的ではないにせよ)。
そしてそこに人生の醍醐味があるのでしょうし、藤沢文学もそこをきっちり突いてくるからこんなにも心に響くのだと思うのです。
これも短編集ですが、やや猟奇的・民話的なものも含んでおり、内容的にはこれまで読んだ2作よりバラエティに富んだものとなっていました。
その中でもオープニングの「木綿触れ」には泣かされます。
あらすじは・・・、
生後たった3か月でわが子を病気で失い悲嘆にくれる妻とそれを見守る下級武士の夫。
妻が絶望の淵がらようやく立ち直るきっかけは、下級武士の妻の身分では高嶺であった「絹の着物」をこしらえて着ることであった。妻が立ち直るためならと夫は奮発して妻に絹を買い与える。
ところが、折悪しく藩は財政難で倹約令を発し、下級武士とその家族は木綿しか着てはならぬとのお触れ(「木綿触れ」)が出された。そんなころ妻の実家で法事がが行われることとなった。夫は妻を不憫に思いせめて、絹の着物を実家に持っていって見せてきてはどうかと勧める。「しかし絶対に着てはならぬ」と戒めた。ところが妻は禁制をやぶり、たった一度絹を着てしまった。下級武士のところへ嫁にやるのを厭い、かつて結婚を反対した実家(裕福な百姓)に対して自分が絹の着物を着ているところを見せたかったのももちろんあるが、やはりせっかく作った絹の着物を着てみたい、そして人に見てもらいたいという純粋な“女心”だろう。今も昔も女性にとって『着るもの』は内面と直結しているようだ。ところが、それを藩の悪玉高官に見られてしまったのだ。この高官は、かつてイヤがるこの女に手を出そうとしたことがあり、このとき今の夫(まだ結婚前だが)はこの高官の部下であったが、体をはって上司の高官からこの女(今の妻)を守ったという過去があった。このことを高官はしつこく憶えていて恨みを持ち続けていたようだ。こうして高官は「禁制破り」というこの女の弱みを握ったわけだ。そして、この女を別邸に呼び、禁制(お触れ)を破ったことを見逃して欲しければ・・・と脅して体を求めた。
女は自分の軽率さを悔やんだが、お家に罪科が及ぶことを恐れ、絹の着物を着たことも、高官に弄ばれたことも夫に告げず数日後自殺を遂げた、という悲劇だ。
このあとも物語は続き、自殺の理由がわからない夫はいろいろ調べすべてを知るに至る。しかし、妻が弄ばれたこと以外の高官の過去の一切の悪事(収賄等)を丹念に調べ、大目付に訴え出るが結局取り合ってもらえず、かえって誹謗の罪で謹慎命令まで受けてしまう。謹慎明けに夫は直接高官に会いに行った。高官に詰め寄ると「あの女は勝手に死んだのだ」と責任逃れいう。夫は高官に「あなたは人間の屑」と言って斬る。そして自分も腹を切った。
というのがあらすじです。
「高官にもてあそばれてから自殺までの数日間、女は夫に異常にやさしく、うるさいほど付きまとって夫の世話を焼いた」ことを夫が思い出すシーンがあるのですが、私はこのときの女心に胸を打たれました。いったいどんな心情でその数日間夫に尽くしたのか。
このときの妻の気持ちはどんなであったでしょうか?自分は自殺するしかないとすでに心に決めているが、夫にはこのような状況に至った成り行きを一切話さず、それまでのほんの数日間夫に尽くした。それは夫の戒めにも関わらず禁制を破ってしまったことへの自責と夫への申し訳なさももちろんあったでしょう。しかし、より本質的には、自分がこのような形で夫のもとを去らねばならないことで夫が不憫で不憫で仕方がなく自然の感情として優しくせずにはいられなかったのだと私には思えます。そして、ある意味、妻は夫にこれ以上できないほど優しく尽くし、夫にその優しさ・献身を受け入れてもらうことでいわば夫に甘えたかったのではないでしょうか。自分は死ぬのだからもうこの夫と過ごすこともないと思いながら夫に優しくせずにはいられない、そのような妻の心がまた痛々しく心打たれるものがありました。
幼子を失うという人生最大級の悲しみに遭い、ようやく心が癒えかけたところで、思わぬ事件に巻き込まれ、死に追い込まれるという悲劇・薄倖。そういう話にドップリ浸かって心が清められる、これも藤沢文学の特徴でしょう。しかしこの作品は最後夫が高官を討って自害するというもので、極めて悲劇的で救われない終わり方です。この点は藤沢文学の中では珍しいかもしれません。
余談ですが、我が家もかつて妻が切迫流産を2度経験し、生まれるはずの子供2人を失っています。まだお腹も大きくならないうちに命が終わったのだから、小説とはだいぶ事情が異なります。しかし、そのころの妻の落胆ぶりは尋常ではありませんでした。普通に快活に過ごしていたかと思うと、突然悲しみに襲撃され、電車の中だろうがスーパーの中だろうが泣きだすのでした。特にお腹の大きな妊婦さんを偶然見たときなどが顕著でした。また、スーパーの子供服売り場をひたすら避けていました。こども服売り場のことを妻は「凶悪ゾーン」と称していました。このようなとき夫(男)というものは無力なもので慰めの言葉ひとつも持ち合わせていません。夫としては妻が泣きやむまでじっと見守る、それしかできませんでした。2回目の流産の後、気分転換をと思い、二人で千鳥が淵の夜桜見物に行ったのですが、その帰り妻は「私はもう泣かない。強くなったでしょ、褒めてね。」と私に言いました。けれどもやっぱりその後も泣いてました。そして、その2か月後の今の子(S子)がお腹にいることがわかり、まただめかも・・・という不安がよぎりましたが、なんとか幸運にも生まれてきてくれました。不妊治療のことを考えたり、子供はあきらめるべきかと考えたりしているときでしたので、全く望外の幸でした。
そして、言えることは「人生は予定通りにはいかない。予定より悪くもなり良くもなる。とにかく人間の描いた予定通りことが運ぶほど単純ではない」ということです(「木綿触れ」の小説ほど悲劇的ではないにせよ)。
そしてそこに人生の醍醐味があるのでしょうし、藤沢文学もそこをきっちり突いてくるからこんなにも心に響くのだと思うのです。