◆『アウラ・インタビュータイム』◆<3>
~“カウンセリング・アーキテクト”山下一寛さん
(アウラ建築設計事務所代表取締役社長)の巻③~
( <前編> のつづき)
●ビッグ・プロジェクト・エネルギー。
「もともと目黒雅叙園は “昭和の竜宮城”
と呼ばれる独特の装飾美が自慢の昭和初期にできた料亭で、
結婚式、披露宴、宿泊と全てまかなえる日本初の総合結婚式場
として人気を博した場所だったんです。
◆そこを80年代の終わりに4年弱かけてリニューアルする、
という絶妙なタイミングに、
大学を卒業して東京の設計事務所に就職したての僕は、
出向先の鹿島建設から、このリニューアル事業に、
プロジェクトチームの一員として関わることになりました。

◆このリニューアル事業は、
いわゆる “ビッグ・プロジェクト” と呼ばれるもので、
1つの大きな事業を成し遂げるのに必要な役割を持つ
様々な業種の企業から選りすぐりの精鋭たちを終結させ、
企業の枠を超えた一つのチームとして目的達成を目指す、というもの。
(例えるなら、経済界の“なでしこジャパン”ですね。笑)
“昭和の竜宮城” に盛り込まれていた様々な作品を
近代建築の中に組み入れ、いかに斬新に調和させるか、
を、建築に関わる一流のプロたちが、
各々の技術と情熱を存分に発揮し
互いに切磋琢磨しがら実現していくという、
それはそれはエキサイティングな現場だったんです。

◆鹿島建設からも、
このプロジェクトのために世界各地の支社から呼び寄せられたメンバー
を含め、各分野のエキスパートたちが計10名ほど集められ、
特別なプロジェクトチームが作られました。
右も左もわからない新人の僕がこんな大事業に関われたのは、
奇跡のような幸運だったと思います。
鹿島の先輩たちは、
さすが選りすぐりの精鋭たちだけあって、
みなさん熱く、温かく、
すばらしい発想・技術・人格の持ち主ばかり。
青二才の僕のことも息子のように可愛がってくださり、
・木材や鋼などの建材
・最高の性能を持つ機材・道具・加工技術、
・彫刻、絵画などの美術品や、
・宮大工などの伝統工芸技術、
・はたまた 火花散る議論の現場や、
・ダイナミックなアイデアなど、
「あらゆる分野の超一流の仕事」 を
毎日惜しみなく目の当たりにさせてくれました。
◆当時の僕にとって非常にハッとさせられたことの一つは、
プロジェクトチームの工場長が
この巨大な建物のことを、「商品」 と呼んでいたこと。
隅々まで技と情熱を注ぎ込み寸分の狂いもなく創られた、
世の中にふたつとない芸術品のような、
または自分の子どものように心血を注いだこの作品を、
チームの責任者でもある工場長が 「商品」 と表現し、
まるで手のひらに載せて 「はい、どうぞ」 と手渡すように、
期日が来たら、潔くお客さんに “納品” する。
今となっては当然のことですが、
当時の僕にとって、それはある種の衝撃でした。
これが “プロの仕事” なんだなぁ……!ってね。
◆と同時に僕は この“ビッグ・プロジェクト”で、
「一つの目標に向かって各分野のプロが
最大限の実力を出し切ることで実現する奇跡」
を、たくさん目の当たりにしたんです。
どんな人にも、本人すら気づいていないような
未知のチカラが備わっている。
各分野の人々が本気でタッグを組み、
時にはぶつかり、火花を散らしつつも
一つの目標に向かって上り詰めて行った時、
思いもよらなかったチカラが互いに引き出され、
それまでの枠を超えた最高が生み出される。
僕にとって “ビッグ・プロジェクト” は、
まさにその事実を見せつけられた体験でした」
●みんなの “本気” を設計したい。
「あれ以来ずっと、僕の目標は、
“どんな仕事もビッグ・プロジェクトにすること”
なんです。
現実はなかなか難しいことも山積みで、
まだまだ修行中ですが、
それでもベースには、常にこの想いがある。
どんなに小さな規模の仕事も、
僕にとっては 「ビッグ・プロジェクト」。
いつもそう思いつつ、取り組んでいます。

◆設計士の僕の仕事は、建て主さんの望みを知って、
それを大工さんや各業者さんたちと共に実現することです。
進めていく段階で建て主さんの意見が変わることも多いので、
交流を深め、望みの本質をつかみ、
プロとしてその本質を満たすためのアドバイスや情報提供を
どこまでできるかが重要だと思っています。
と同時に、大工さんや業者さんたちからは、
いかにそれぞれの人たちの本気を引き出すかが勝負。
そのために、僕も本気でぶつかってゆきたい。
結果的にその “本気の集結” こそが、
“最高の建築” を生み出す原動力になる。
こんなことめったに語らないし照れくさいけど、
心の奥では、いつもそう思っています」
◆*◆INTERVIEW & TEXT By プランナー&ライター はらみづほ◆*◆
~“カウンセリング・アーキテクト”山下一寛さん
(アウラ建築設計事務所代表取締役社長)の巻③~
( <前編> のつづき)
●ビッグ・プロジェクト・エネルギー。
「もともと目黒雅叙園は “昭和の竜宮城”
と呼ばれる独特の装飾美が自慢の昭和初期にできた料亭で、
結婚式、披露宴、宿泊と全てまかなえる日本初の総合結婚式場
として人気を博した場所だったんです。
◆そこを80年代の終わりに4年弱かけてリニューアルする、
という絶妙なタイミングに、
大学を卒業して東京の設計事務所に就職したての僕は、
出向先の鹿島建設から、このリニューアル事業に、
プロジェクトチームの一員として関わることになりました。

◆このリニューアル事業は、
いわゆる “ビッグ・プロジェクト” と呼ばれるもので、
1つの大きな事業を成し遂げるのに必要な役割を持つ
様々な業種の企業から選りすぐりの精鋭たちを終結させ、
企業の枠を超えた一つのチームとして目的達成を目指す、というもの。
(例えるなら、経済界の“なでしこジャパン”ですね。笑)
“昭和の竜宮城” に盛り込まれていた様々な作品を
近代建築の中に組み入れ、いかに斬新に調和させるか、
を、建築に関わる一流のプロたちが、
各々の技術と情熱を存分に発揮し
互いに切磋琢磨しがら実現していくという、
それはそれはエキサイティングな現場だったんです。

◆鹿島建設からも、
このプロジェクトのために世界各地の支社から呼び寄せられたメンバー
を含め、各分野のエキスパートたちが計10名ほど集められ、
特別なプロジェクトチームが作られました。
右も左もわからない新人の僕がこんな大事業に関われたのは、
奇跡のような幸運だったと思います。
鹿島の先輩たちは、
さすが選りすぐりの精鋭たちだけあって、
みなさん熱く、温かく、
すばらしい発想・技術・人格の持ち主ばかり。
青二才の僕のことも息子のように可愛がってくださり、
・木材や鋼などの建材
・最高の性能を持つ機材・道具・加工技術、
・彫刻、絵画などの美術品や、
・宮大工などの伝統工芸技術、
・はたまた 火花散る議論の現場や、
・ダイナミックなアイデアなど、
「あらゆる分野の超一流の仕事」 を
毎日惜しみなく目の当たりにさせてくれました。
◆当時の僕にとって非常にハッとさせられたことの一つは、
プロジェクトチームの工場長が
この巨大な建物のことを、「商品」 と呼んでいたこと。
隅々まで技と情熱を注ぎ込み寸分の狂いもなく創られた、
世の中にふたつとない芸術品のような、
または自分の子どものように心血を注いだこの作品を、
チームの責任者でもある工場長が 「商品」 と表現し、
まるで手のひらに載せて 「はい、どうぞ」 と手渡すように、
期日が来たら、潔くお客さんに “納品” する。
今となっては当然のことですが、
当時の僕にとって、それはある種の衝撃でした。
これが “プロの仕事” なんだなぁ……!ってね。
◆と同時に僕は この“ビッグ・プロジェクト”で、
「一つの目標に向かって各分野のプロが
最大限の実力を出し切ることで実現する奇跡」
を、たくさん目の当たりにしたんです。
どんな人にも、本人すら気づいていないような
未知のチカラが備わっている。
各分野の人々が本気でタッグを組み、
時にはぶつかり、火花を散らしつつも
一つの目標に向かって上り詰めて行った時、
思いもよらなかったチカラが互いに引き出され、
それまでの枠を超えた最高が生み出される。
僕にとって “ビッグ・プロジェクト” は、
まさにその事実を見せつけられた体験でした」
●みんなの “本気” を設計したい。
「あれ以来ずっと、僕の目標は、
“どんな仕事もビッグ・プロジェクトにすること”
なんです。
現実はなかなか難しいことも山積みで、
まだまだ修行中ですが、
それでもベースには、常にこの想いがある。
どんなに小さな規模の仕事も、
僕にとっては 「ビッグ・プロジェクト」。
いつもそう思いつつ、取り組んでいます。

◆設計士の僕の仕事は、建て主さんの望みを知って、
それを大工さんや各業者さんたちと共に実現することです。
進めていく段階で建て主さんの意見が変わることも多いので、
交流を深め、望みの本質をつかみ、
プロとしてその本質を満たすためのアドバイスや情報提供を
どこまでできるかが重要だと思っています。
と同時に、大工さんや業者さんたちからは、
いかにそれぞれの人たちの本気を引き出すかが勝負。
そのために、僕も本気でぶつかってゆきたい。
結果的にその “本気の集結” こそが、
“最高の建築” を生み出す原動力になる。
こんなことめったに語らないし照れくさいけど、
心の奥では、いつもそう思っています」
◆*◆INTERVIEW & TEXT By プランナー&ライター はらみづほ◆*◆