gooブログはじめました!

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

5月19日の礼拝の内容です。

2024-05-18 20:06:00 | 日記
5月19日の礼拝の内容です。讃美歌は、58.343.349.405.88です。
オンラインのアドレスはhttps://youtube.com/live/tO6t4rIWtPY?feature=shareです。

礼拝説教     使徒9:20~25「サウロが福音を語る」    2024.5.19

 聖霊とは何でしょう。聖霊が働くとどのようなことが起るのでしょうか。今日の教会暦は聖霊降臨日です。イエス・キリストの弟子たちに聖霊が降った日です。聖霊を受けた弟子たちにどのようなことが起ったのでしょうか。

使徒2:1~4
五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。

 聖霊が降った様子を使徒言行録は、上の聖句のように書いています。イエス様の弟子たちが同じ場所に集まっていました。その時に、突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえたというのです。弟子たちが座っていた家中に響いたとあります。炎のような舌が分かれ分かれに現れて、1人1人の上に留まりました。すると、一同は聖霊に満たされたとあります。聖霊が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話し出したと表現しています。独特な表現で書かれてあります。この聖霊が弟子たちに降った様子をどのように考えればいいのでしょうか。

 この聖霊降臨日の様子を知る時に、なかなか分かりにくい状況が起って、どのように理解すればいいのか迷ってしまいます。私たちは、この聖霊降臨日を起った状況を考えるのではなく、この出来事によって、弟子たちがどのように変化をしたのかをみることがとても大切だと理解します。まず、この出来事が起る前のことです。

使徒1:6
さて、使徒たちは集まって、「主よ、イスラエルのために国を建て直してくださるのは、この時ですか」と尋ねた。

 復活されたイエス様が天に帰られる時に、弟子たちがイエス様に聞いている場面です。それは、イエス様のことを軍事的なリーダーとしてみていることです。これは、十字架につけられる前とまったく同じです。イエス様に弟子たちは、イエスらえるの国の再興を聞いているのです。何も変わっていないことに気づきます。次は、聖霊降臨日後です。弟子たちは、どのように変わっていったのでしょうか。

使徒2:23~24
このイエスを神は、お定めになった計画により、あらかじめご存じのうえで、あなたがたに引き渡されたのですが、あなたがたは律法を知らない者たちの手を借りて、十字架につけて殺してしまったのです。しかし、神はこのイエスを死の苦しみから解放して、復活させられました。イエスが死に支配されたままでおられるなどということは、ありえなかったからです。

 聖霊を受けた弟子たちは、イエス・キリストの十字架の福音を理解することができたのです。それだけではなく、教会が誕生し、弟子たちの行動によって、イエス・キリストの福音が多くの人々に語られていくのです。使徒言行録は、聖霊を受けた弟子たちによって、イエス・キリストの福音が多くの人々に伝えられ、聞いた人々が、イエス様をキリストと信じて、洗礼を受けて、教会に加わっていくのです。その初期の教会の様子を描いています。

 使徒言行録の中で、キリスト教の発展のために大きな働きをしていくのが、伝道者パウロです。パウロの働きによって、キリスト教は大きな発展をしていきます。その理由として、新約聖書の3分の1は、パウロの手紙です。また、当時の地中海世界の中で、半分を伝道していったのです。このパウロなくして、今日のキリスト教はなかったということもできると私は思います。使徒言行録の9章は、この使徒パウロ、この時はまだサウロですが、サウロの回心の出来事が書かれてあります。ダマスコ途上で、サウロはイエス様と出会いました。また。キリスト者アナニアとの出会いもあって、サウロが迫害者から伝道者として回心していく様子が書かれてあります。ここにもイエス様を通しての、聖霊の働きをみることができます。

使徒9:1~2
さて、サウロはなおも主の弟子たちを脅迫し、殺そうと意気込んで、大祭司のところへ行き、ダマスコの諸会堂あての手紙を求めた。それは、この道に従う者を見つけ出したら、男女を問わず縛り上げ、エルサレムに連行するためであった。

 サウロは、使徒22:3によると、キリキア州のタルソスで生まれたユダヤ人です。若い時にエルサレムに留学して、ガマニエルのもとでユダヤ教の律法についての厳しい教育を受けました。熱心なユダヤ教徒でした。そのユダヤ教の熱心さゆえに、キリスト教を迫害し、男女問わず縛り上げて獄に投じ、殺すことさえしたのです。

 そのサウロが、聖霊の働きによって、イエス様との出会い、キリスト者アナニアとの出会いによって、大きく変えられていきました。それが、今日の聖書の箇所です。サウロは数日の間、ダマスコの弟子たちと一緒にいました。すぐあちこちの会堂で、「この人こそ神の子である」とイエス様のことを宣べ伝えていくのです。サウロはイエス様に出会わなければ、このダマスコにある会堂で、大祭司からの許可状を見せて、キリスト者を見つけ出し、男女を問わず縛り上げて、エルサレムに連行していくはずでした。それが、何と、サウロ自身がキリスト者となって、それも会堂で、イエス・キリストを宣べ伝えていくのです。これを聞いた人々は皆、非常に驚くのです。そして「あれは、エルサレムでこの名を呼び求める者たちを滅ぼしていた男ではないか。また、ここへやって来たのも、キリスト者を縛り上げ、祭司長たちのところへ連行するためではなかったか」といいます。しかし、サウロはますます力を得て、イエス様がキリストであることを論証し、ダマスコに住んでいるユダや人をうろたえさせました。

 サウロは、このダマスコにいて、キリスト教の伝道のために働くのでしょうか。使徒9:23では「かなりの日数がたって」と書いています。実際の日数を知ることはできませんが、「また、エルサレムに上って、わたしより先に使徒として召された人たちのもとに行くこともせず。アラビアに退いて、そこから再びダマスコに戻ったのでした。」(ガラテヤ1:17)より、すぐにアラビアに行ったことが書かれてあります。アラビアに退いたとありますが、この期間が、かなりの日数を要したと考えることができるのです。

 イエス様が、その働きを始める前に、荒れ野に行き、40日間断食されたことがありました。荒れ野で悪魔の誘惑を受けたのです。神の働きの前に、準備期間ということです。サウロにもそのような時間が必要だったのです。神との交わり、祈り時が必要だったのです。アラビアにかなりの日数がいて、ダマスコに戻って行き、再び、伝道活動を再開します。ユダヤ人はサウロを殺そうとたくらんでいました。サウロはかつて自分がしていたことを今度は、自分が受けることになることを十分に知っていました。この陰謀はサウロの知るところとなったのです。しかし、ユダヤ人はサウロを殺そうと、昼も夜もダマスコの町の門で見張っていました。そこで、サウロの弟子たちは、夜の間にサウロを連れ出し、籠に乗せて町の城壁づたいにつり降ろしました。このようにして、サウロはユダヤ人の危機を逃れることはできました。

イエス様がアナニアに「行け。あの者は、異邦人や王たち、またイスラエルの子らにわたしの名を伝えるために、わたしが選んだ器である。わたしの名のためにどんなに苦しまなければならないかを、彼に示そう」(使徒9:15~16)といっていることが実現していくのです。まさしく、このイエス様の言葉は、今後のサウロの人生になっていくのです。

聖霊の働きをみてきました。聖霊降臨日の時の弟子たちの変化、また、サウロの変化をみてきました。このように聖霊の働きによって、大きな変化が起っています。イエス・キリストの福音を知ることができるようにしてくださること、神を知らなかった者が、神を知るようになることができるように変えられたこと、この世の命しか知らなかった者が、永遠の命があることを知ることができるように変えられたのです。ここにいる私たちも、この聖霊の働きによって、イエス・キリストの十字架と復活を信じることができるようにしてくださったのです。

祈り 神よ、今日は聖霊降臨日を祝いました。聖霊の働きによって、私たちはイエス・キリストの十字架の死と復活の意味を知ることができました。神の救いを得ることができました。それは、私たちの力によるのではなく、神ご自身の聖霊の働きによるものです。私たち1人1人が、聖霊を受けて、信仰者として歩むことができるしてくださっています。どうか、この信仰を人生の終りまで持ち続けることができますように守り導いてください。この願いを、イエス様のお名前によって祈ります。アーメン。


5月19日の礼拝の内容です。

2024-05-18 20:06:00 | 日記
5月19日の礼拝の内容です。讃美歌は、58.343.349.405.88です。
オンラインのアドレスはhttps://youtube.com/live/tO6t4rIWtPY?feature=shareです。

礼拝説教     使徒9:20~25「サウロが福音を語る」    2024.5.19

 聖霊とは何でしょう。聖霊が働くとどのようなことが起るのでしょうか。今日の教会暦は聖霊降臨日です。イエス・キリストの弟子たちに聖霊が降った日です。聖霊を受けた弟子たちにどのようなことが起ったのでしょうか。

使徒2:1~4
五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。

 聖霊が降った様子を使徒言行録は、上の聖句のように書いています。イエス様の弟子たちが同じ場所に集まっていました。その時に、突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえたというのです。弟子たちが座っていた家中に響いたとあります。炎のような舌が分かれ分かれに現れて、1人1人の上に留まりました。すると、一同は聖霊に満たされたとあります。聖霊が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話し出したと表現しています。独特な表現で書かれてあります。この聖霊が弟子たちに降った様子をどのように考えればいいのでしょうか。

 この聖霊降臨日の様子を知る時に、なかなか分かりにくい状況が起って、どのように理解すればいいのか迷ってしまいます。私たちは、この聖霊降臨日を起った状況を考えるのではなく、この出来事によって、弟子たちがどのように変化をしたのかをみることがとても大切だと理解します。まず、この出来事が起る前のことです。

使徒1:6
さて、使徒たちは集まって、「主よ、イスラエルのために国を建て直してくださるのは、この時ですか」と尋ねた。

 復活されたイエス様が天に帰られる時に、弟子たちがイエス様に聞いている場面です。それは、イエス様のことを軍事的なリーダーとしてみていることです。これは、十字架につけられる前とまったく同じです。イエス様に弟子たちは、イエスらえるの国の再興を聞いているのです。何も変わっていないことに気づきます。次は、聖霊降臨日後です。弟子たちは、どのように変わっていったのでしょうか。

使徒2:23~24
このイエスを神は、お定めになった計画により、あらかじめご存じのうえで、あなたがたに引き渡されたのですが、あなたがたは律法を知らない者たちの手を借りて、十字架につけて殺してしまったのです。しかし、神はこのイエスを死の苦しみから解放して、復活させられました。イエスが死に支配されたままでおられるなどということは、ありえなかったからです。

 聖霊を受けた弟子たちは、イエス・キリストの十字架の福音を理解することができたのです。それだけではなく、教会が誕生し、弟子たちの行動によって、イエス・キリストの福音が多くの人々に語られていくのです。使徒言行録は、聖霊を受けた弟子たちによって、イエス・キリストの福音が多くの人々に伝えられ、聞いた人々が、イエス様をキリストと信じて、洗礼を受けて、教会に加わっていくのです。その初期の教会の様子を描いています。

 使徒言行録の中で、キリスト教の発展のために大きな働きをしていくのが、伝道者パウロです。パウロの働きによって、キリスト教は大きな発展をしていきます。その理由として、新約聖書の3分の1は、パウロの手紙です。また、当時の地中海世界の中で、半分を伝道していったのです。このパウロなくして、今日のキリスト教はなかったということもできると私は思います。使徒言行録の9章は、この使徒パウロ、この時はまだサウロですが、サウロの回心の出来事が書かれてあります。ダマスコ途上で、サウロはイエス様と出会いました。また。キリスト者アナニアとの出会いもあって、サウロが迫害者から伝道者として回心していく様子が書かれてあります。ここにもイエス様を通しての、聖霊の働きをみることができます。

使徒9:1~2
さて、サウロはなおも主の弟子たちを脅迫し、殺そうと意気込んで、大祭司のところへ行き、ダマスコの諸会堂あての手紙を求めた。それは、この道に従う者を見つけ出したら、男女を問わず縛り上げ、エルサレムに連行するためであった。

 サウロは、使徒22:3によると、キリキア州のタルソスで生まれたユダヤ人です。若い時にエルサレムに留学して、ガマニエルのもとでユダヤ教の律法についての厳しい教育を受けました。熱心なユダヤ教徒でした。そのユダヤ教の熱心さゆえに、キリスト教を迫害し、男女問わず縛り上げて獄に投じ、殺すことさえしたのです。

 そのサウロが、聖霊の働きによって、イエス様との出会い、キリスト者アナニアとの出会いによって、大きく変えられていきました。それが、今日の聖書の箇所です。サウロは数日の間、ダマスコの弟子たちと一緒にいました。すぐあちこちの会堂で、「この人こそ神の子である」とイエス様のことを宣べ伝えていくのです。サウロはイエス様に出会わなければ、このダマスコにある会堂で、大祭司からの許可状を見せて、キリスト者を見つけ出し、男女を問わず縛り上げて、エルサレムに連行していくはずでした。それが、何と、サウロ自身がキリスト者となって、それも会堂で、イエス・キリストを宣べ伝えていくのです。これを聞いた人々は皆、非常に驚くのです。そして「あれは、エルサレムでこの名を呼び求める者たちを滅ぼしていた男ではないか。また、ここへやって来たのも、キリスト者を縛り上げ、祭司長たちのところへ連行するためではなかったか」といいます。しかし、サウロはますます力を得て、イエス様がキリストであることを論証し、ダマスコに住んでいるユダや人をうろたえさせました。

 サウロは、このダマスコにいて、キリスト教の伝道のために働くのでしょうか。使徒9:23では「かなりの日数がたって」と書いています。実際の日数を知ることはできませんが、「また、エルサレムに上って、わたしより先に使徒として召された人たちのもとに行くこともせず。アラビアに退いて、そこから再びダマスコに戻ったのでした。」(ガラテヤ1:17)より、すぐにアラビアに行ったことが書かれてあります。アラビアに退いたとありますが、この期間が、かなりの日数を要したと考えることができるのです。

 イエス様が、その働きを始める前に、荒れ野に行き、40日間断食されたことがありました。荒れ野で悪魔の誘惑を受けたのです。神の働きの前に、準備期間ということです。サウロにもそのような時間が必要だったのです。神との交わり、祈り時が必要だったのです。アラビアにかなりの日数がいて、ダマスコに戻って行き、再び、伝道活動を再開します。ユダヤ人はサウロを殺そうとたくらんでいました。サウロはかつて自分がしていたことを今度は、自分が受けることになることを十分に知っていました。この陰謀はサウロの知るところとなったのです。しかし、ユダヤ人はサウロを殺そうと、昼も夜もダマスコの町の門で見張っていました。そこで、サウロの弟子たちは、夜の間にサウロを連れ出し、籠に乗せて町の城壁づたいにつり降ろしました。このようにして、サウロはユダヤ人の危機を逃れることはできました。

イエス様がアナニアに「行け。あの者は、異邦人や王たち、またイスラエルの子らにわたしの名を伝えるために、わたしが選んだ器である。わたしの名のためにどんなに苦しまなければならないかを、彼に示そう」(使徒9:15~16)といっていることが実現していくのです。まさしく、このイエス様の言葉は、今後のサウロの人生になっていくのです。

聖霊の働きをみてきました。聖霊降臨日の時の弟子たちの変化、また、サウロの変化をみてきました。このように聖霊の働きによって、大きな変化が起っています。イエス・キリストの福音を知ることができるようにしてくださること、神を知らなかった者が、神を知るようになることができるように変えられたこと、この世の命しか知らなかった者が、永遠の命があることを知ることができるように変えられたのです。ここにいる私たちも、この聖霊の働きによって、イエス・キリストの十字架と復活を信じることができるようにしてくださったのです。

祈り 神よ、今日は聖霊降臨日を祝いました。聖霊の働きによって、私たちはイエス・キリストの十字架の死と復活の意味を知ることができました。神の救いを得ることができました。それは、私たちの力によるのではなく、神ご自身の聖霊の働きによるものです。私たち1人1人が、聖霊を受けて、信仰者として歩むことができるしてくださっています。どうか、この信仰を人生の終りまで持ち続けることができますように守り導いてください。この願いを、イエス様のお名前によって祈ります。アーメン。