- FOR WINTER STYLE -
KB42-008 カシミヤ混ムートン裏毛ZIP UPパーカー¥35,000 + TAX
KAZUYUKI KUMAGAIからのオススメブルゾンはムートン裏毛ZIP UPパーカー。
フードの裏から身頃の内側、全体にわたってボアがついている為、保温性がかなり高く、
冬本番を迎える前の軽アウターとしてもすぐに使えます。
また、ボア部分を自然に見せればスタイリングのアクセントにも。
もちろん、真冬にはダウンやコートのインナーとしても使い道は様々。
ボトムスにショートパンツを合わせたり、パーカーの下にロングカーディガンを合わせるなど、
動きのあるスタイリングをすると全体が引き締まります。
保温性抜群のムートン裏毛ZIP UPパーカー。
ムートン調ボアの贅沢な暖かさをぜひ店頭で感じてください。
【BLOUSON : KB42-008 カシミヤ混ムートン裏毛ZIP UPパーカー】
【KNIT : KK42-003 プレーティングハイゲージニットカーディガン】
【CUT&SEWN : AJ42-264 スヴィンゴールドハイゲージタートルネックL/S】
【PANTS : AP42-274 デジタルカモプリントバックサテンジョッパーズパンツ】
【SHOES : KA42-071 GUIDI VITELLO FIORE 6ホールブーツ】
【BLOUSON : KB42-008 カシミヤ混ムートン裏毛ZIP UPパーカー】
【BLOUSON : AB42-219 タスマニアカレッジフラノスタンドカラーダウンジャケット】
【T-SHIRT : AJ42-207 60/2スーピマ天竺VネックS/S】
【PANTS : KP42-090 カシミヤ混ニットフラノカスリプリントショートパンツ】
【PANTS : KP42-034 30/-TOPカスリワッフルレギンス】
【SHOES : KA42-029 ハラコレザーハイカットスニーカー】
1991年、東京で『世界陸上競技選手権大会』が開催。
カール・ルイスは100mで9秒86の世界新記録を出して優勝!
そのとき履いていたシューズはミズノ。
そう、100m決勝をパリで見ていたのが、史上最速のF1レーサー、「音速の貴公子」アイルトン・セナ。
アイルトン・セナの代理人から電話が、「ミズノの靴をレースで履きたい」と。
ロンドンのテストラン用に26.5センチのシューズを送ると、ぴったりだと気に入ってもらえた。
鈴鹿GPの前に会って細部を詰め、ミズノの特製シューズを履いてレースに。
アイルトン・セナのテクニックでよく知られるコーナーでアクセルを小刻みに煽るドライビング技術。
日本では『セナ足』といわれるそのテクニックとは?
一秒の間に6回ともいうアクセルコントロールによる開閉の繰り返しは、
煽るというより痙攣に近い頻度のものであると、テレメトリーのデータが。
『セナ足』によるアクセルワークが、ノイズとして識別されるほど微細で敏速であったため、
アクセルワーク自体が無視されてしまうという、アイルトン・セナだけにしかあり得ないトラブルが発生していたそうです。
チームメイトだったアラン・プロスト、ゲルハルト・ベルガーも『セナ足』を試みたが、再現は不可能との結論に。
このテクニックにより、燃費の問題はあるものの、その後ストレートのスピードで大きな差となる。
1988年には、同僚のプロストにテレメトリーのデータでは常に100-300回転ほどの差を付けており、
アラン・プロストが「ホンダはセナに良いエンジンを与えている」と疑っていたほど。
そう、だから靴が悪いと、タイミングが合わなくなる。
ミズノは底の部分には母指球の下に皮膚感覚に近い特別加工を施したシューズをアイルトン・セナへ。
1993年ウィリアムズ・ルノー時代のアラン・プロストもミズノを、カラーはブルー。
因みにマクラーレンチームのピットクルーなどのスタッフシューズはアシックス。
1992年ナイジェル・マンセルが開幕から5連勝するなど、
ウィリアムズ・ルノーはこの年、16戦中10勝、1-2フィニッシュも6回。
無冠の帝王と呼ばれていたナイジェル・マンセルの悲願のタイトル獲得。
マクラーレン・ホンダの黄金時代がウソのような不振に。
第10戦ドイツGPの直前にホンダが今期限りで F1 から撤退することを発表した。
そんな中、第6戦モナコGPでは、6連勝目前のナイジェル・マンセルがタイヤ交換で後退した。
トップに立つアイルトン・セナを猛追するが... 。
「モナコマイスター」アイルトン・セナがモナコGP 4連覇を記録。
モナコGP史に残るデッドヒートを展開した。
1993年ウィリアムズ・ルノーのアラン・プロストが、休養明けから4度目にして最後のワールド・チャンピオンを獲得。
この年7勝をマークし、予選では生涯33回中の1/3以上となる13回のポールポジション。
ランク2位は、マクラーレン・フォードのアイルトン・セナ。
前半戦の雨などもあって5勝を記録、「レインマスター」の活躍を見せたが苦戦のシーズンとなった。
ウィリアムズ・ルノー入りが適わなかったアイルトン・セナは、
前年より1993年シーズンの休養を仄めかしており、その動向が注目されていたが、
開幕直前のマクラーレンのテストに参加後、シーズン前半は1戦ごとの契約で参戦、
シーズン後半にはレギュラー契約を結び、全戦に出走することとなった。
そう、この年も「モナコ・マイスター」は、1992年に続き、奇跡的な勝利をあげモナコGP5連覇。
余裕の走りを続けていたミハエル・シューマッハだが、33周目にベネトン・B193Bハイテクマシンにトラブルが発生し、リタイア。
結局アイルトン・セナが勝利し、モナコ通算6勝目を達成。
これより28年前に記録されたグラハム・ヒルの最多記録を更新した。
1994年、アイルトン・セナは6年間在籍したマクラーレンを離れ、当時最強と言われたウィリアムズ・ルノーの一員になった。
チャンピオン最有力候補と目されながら開幕2戦連続PP獲得も、2戦リタイアと出遅れる。
この年アイルトン・セナから電話が、「せっかくのミズノ製シューズなのに、マシンの中では足元が見えない。
ドライビンググローブをつくってほしい。ウイニングランでMの字がよく見えるように手を振るから」と。
第3戦サンマリノGP決勝、アイルトン・セナは開幕から3戦連続のPPから決勝をスタート。
1コーナーでも首位をキープしたが、後方での事故によりセーフティーカーが導入。
再スタートから2周後、ミハエル・シューマッハを抑えてトップを走行していたアイルトン・セナが、
タンブレロコーナーでコースアウトした。
その後、アイルトン・セナは壁に衝突するまでの0.9秒間にブレーキングと6速から5速へのシフトダウンによって、
312km/hから211km/hまで減速した。
ドライビンググローブを渡すことはできなかった。
アイルトン・セナの葬儀は母国ブラジルの「国葬」とされ、
アイルトン・セナの故郷のサンパウロでは棺を見送ろうと50万人近い人々が通りに並んだ。
イタリアの検察は、アイルトン・セナの死に関連して6人を過失致死で起訴したが、後に全員が無罪とされた。
この訴訟は確定までに11年以上の時間が掛かった。
理由は、初審の無罪判決に対して上訴と再審理が行われたことによる。
アイルトン・セナ・ダ・シルバ(Ayrton Senna da Silva, 1960年3月21日-1994年5月1日)
ブラジル人のレーシング・ドライバー、1988年、1990年、1991年の3度 F1ワールド・チャンピオン。
11月もありがとうございました。
12月のスタートは広く荒れた天気に。
2日(火)以降は今季一番の寒さが!
名古屋や大阪は10度に届かない日もあって、真冬並みの寒さも。
あたたかーい、万全な寒さ対策が必要ですよ。
12月も引き続きよろしくお願いいたします。
いつものイベントありますから、お楽しみに!
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