

AIに未来を託す春なかば
真実は何処にあると問うてみる
心の奥底隠れて見えず
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「ローマの休日」が米国で公開されてから今年で70年になる。
モノクロ映画ながら、王女と記者のひとときの恋を追った数々のシーンは今も色あせない。
名所となった撮影場所は多く「真実の口」はその一つだろう。
うそや偽りの心を持つ人が手を入れるとかみ切られる―。言い伝えは世界中に広まった。
同じ口でも、何でも答えてくれる口があったら…。そんな願いをかなえるかのような対話型の人工知能(AI)が注目されている。
米新興企業オープンAIの「チャットGPT」が昨年無料公開されたのを機に開発競争が激しい。
大量のデータを学習するだけでなく、自ら考え、入力した質問にまるで人のように答える。
小説や詩を作り、要望に応じた提案もする。ビジネス活用に期待がある一方、誤りが多く、人を脅すような回答や差別への対応などが問題視されている。
米企業主導で開発が進む対話型AIを、ことさら警戒するのが中国政府だ。「害は防ぐ」として対応措置を示唆してきた。
すでに米国のサービスは中国で使いにくく、中国企業の同種サービスが停止されたケースもある。
AIが中国共産党の強権支配を批判するのを恐れているのか。
真実の口に刻まれる顔の主はギリシャ神話に登場するオケアノスとされる。誇り高く謀略を嫌う海神だ。
AIも、かの口の伝説のごとく、うそやはかりごとを見抜けるようになるのだろうか。(北海道新聞卓上四季2023.3.12より)
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嘘やはかりごとを見抜くことが出来ればそりゃ中国でなくても脅威ですよね。
特に日本の政治家たちには脅威でしょう。
戦争を仕掛ける側も脅威でしょうね。
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WBCも日本三連勝です、日本人選手は層が厚いですね。
日本人は何ごとにもストイックに頑張れる気質を持っているようです。
一般人はなかなかそうはいかないようですが・・。
彼岸西風忘れたくても頬なでる
知ってると思うことこそ無関心
砂の国なる日本の国は
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2008年に発表された小説「砂の城」(近代文芸社)は1896年(明治29年)の三陸大津波を取り上げた。
博物館で大津波を記録した図録と出合う小学校教師を通して、その恐ろしさを伝える物語だ。
宮城県気仙沼市のリアス・アーク美術館で現在館長を務める山内宏泰さんが本を書いたのは、図録の発見を機に開いた特別展が思わぬ不振に終わったからだった。
1カ月余りの開催で入館は約1200人。地域の歴史と記録に対する無知と無関心は図録と出合う前の小説の主人公の姿と重なる。
東日本大震災後、メディアは「砂の城」を予言の書ともてはやしたが、三陸沖でのマグニチュード7規模の地震発生は30年以内に90%の確率とされていた。
気仙沼市の津波被害もほぼハザードマップと合致していたのである。
「想定外、未曽有、千年に一度というのは、歴史と記録に向き合わなかったことの責任逃れにほかならない」。
貴重な図録の存在を世に伝えなくてはと発起した山内さんの無念である。
復興は光景の忘却と表裏一体である。だからこそ、被災の記憶を抱えた街づくりでなくてはならない。
建築史家の五十嵐太郎さんの著書「忘却しない建築」にあった。反省と風化の繰り返しを断つヒントと捉えたい。
「この国は、まるで波打ち際の砂の城のように根元から洗い流されてしまう」。小説の一文が重く響く13回目の3月11日である。(北海道新聞卓上四季2023.3.11より)
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12年前の3月11日も土曜日でした。町内会の集まりで高齢者の援助をする勉強会でした。
少し強めの揺れが結構長く続き、スマホで地震情報を見たのを記憶しています。
その時津波の文字も見えました。その後はあの光景が次から次へと放映されました。
丁度その時亡くなった方の様子を画面から消す仕事をしていた友人は、うつ病に罹り離職しました。
私にも東日本大震災について直接関わってしまった出来事でした。
災害は忘れない事、忘却の彼方に流れないようにすることですね。
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今日は俳句の例会、いつものことながら苦戦が続いております。
今日から司会もしなくちゃならないかも・・。
高齢者ばかりの句会もいろいろ大変です。
毎日が突然あけて木の芽張る
いま今の積み重ねたる今日の日は
良い日悪い日突然ありて
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宮城県名取市の丹野祐子さんの元に手作りのひな人形が届いたのは2月のことだ。
ビーズで作った手のひらサイズの三段飾り。作り手の思いがあふれる。
送り主は中学時代の修学旅行で震災語り部の丹野さんの話を聞いた札幌市の女性。
津波に遭った地域で生活を続けたいとの話を聞き、災害に強い建物造りを志して建築を学んだ。
ビーズアクセサリー作家として活動する今も、夢は諦めないと同封の手紙にあった。
東日本大震災で中学1年生だった長男の公太さんを亡くした丹野さん。
生きた証しを残したいと遺族会を組織し、資料館「閖上(ゆりあげ)の記憶」の代表として活動する今日まで語り続けた。
容易なことではなかったろう。語り部の活動は息子を助けられず、生き残ってしまったことへの言い訳という。
その言葉に閉じ込めた喪失の大きさである。立ち直るために必要なものは「物語り」である。
そう述べたのは東北大学名誉教授の野家(のえ)啓一さんだ。
人は言葉にして語ることで身近な人間の死を自分の歴史の中に位置づけ、喪失の体験を自分自身に納得させることが可能になるそうだ(「歴史の読みかた」ちくまプリマー新書)。
「物語り」には誰かの人生を支える力もあるのだろう。丹野さんの元には、ひきこもりからの再起を誓う人の便りも届く。
まるで公太さんの生きる力が引き継がれるようだ。記憶の継承にとどまらぬ命のリレーである。(北海道新聞卓上四季2023.3.10より)
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震災から数ケ月後に行った仙台空港は閖上地区のある名取市と岩沼市に跨っています。
飛行場にはまだ小型飛行機が津波で押し流されたままで、青葉神社の鳥居は倒れたままでした。
震災で亡くなった人は15,900人行方不明者は2,523人だとか。
その他に震災関連死者も多数いらっしゃるようです。
命と向き合うことは大変なことです。
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でも何人にも死は必ず訪れます。
突然災害で亡くなる人にはなんと声をかけたら良いのか分かりません。
自分にも死は訪れます、あまり考えたことが無いですが、生きている間には徳を積むようにしたいものと思います。
顔見せて生きる希望が湧くのなら
頑張る友に笑顔届けむ
年老いた母を残して逝けぬとふ
病む友にガンバレとしか言えぬ
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埼玉県在住のイラストレーター、鈴木邦弘さんが初めて帰還困難区域を訪れたのは2015年の3月だった。
東京電力福島第1原発事故から4年。復興の陰で放置されたままの現実を誰かに伝えなければならないと覚悟を決めた。
近所のさいたまスーパーアリーナには双葉町の住民が避難した。
介護福祉士としてボランティア登録した。動物愛護センターで引き取った柴犬は避難者が泣く泣く手放したように思えた。
福島の電力に頼った者として現地を見ておかねばならないと思った。
2年前に出した絵本「いぬとふるさと」(旬報社)は延べ250キロ以上歩いた記録を基にした。
ネオンまたたく都会の夜と星降る漆黒の闇の双葉町の対比。
汚染土が山積みされた無人の街。過酷事故を忘れ、原発回帰に突き進む国の愚かさが浮き彫りになる。
政府は帰還困難区域に「特定帰還居住区域」を新設し、個人の希望者を対象に除染のうえ避難指示を解除する法整備を進めている。
制度上は全住民の帰還が可能となるが、果たして希望者がどれだけいるか。
頻繁に被災地を訪れる鈴木さんの気がかりは、あたかも事故が終わったかのように扱われることだ。
現地では東京五輪を前に家屋解体が急ピッチで進んだ。声高に響く「復興」は汚染された土地の現実を覆い隠す。
作家赤川次郎さんは帰還困難区域の境を国境に例えた。人知れず続く分断がそこにある。(北海道新聞卓上四季2023.3.9より)
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人知れず続く分断をどうして行けば良いのかを、心ある人々は覚悟を持って推し進めているのですね。
覚悟を持つということは言葉では簡単に言えますが、難しい局面です。
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今日は末弟の誕生です。
母から電話があり誕生日プレゼントにお金を贈っておいてと言われました。
母も末っ子は可愛いらしいです。
その母も今月は帰るの止めようと思うと言ってきました。
そうだね桜が咲いたらお花見しようと提案したらめっちゃ喜んでいました。