「まちなか居住」。地方都市において「都心居住」と呼ぶことの気恥ずかしさからか、このような呼ばれ方をされるのだが、最近「まちなか居住」を謳い文句とする「商品」としての「マンション」が出現している。「サードプレイス」を謳い文句とする商店(商業建築)が出現したときには、ある種の合理性もあって納得したのだが、どちらかと言えば「非マンション的なもの」を目指し、「都会でどんどん建っている高層マンションとは違うかたちで、中心市街地で生活することを意図した集合住宅」という意味で「まちなか居住」と呼ばれていたものが、こうもあっさりと「商品化」されたことに残念な想いを抱いている。
商品でまちをつくって来た戦後の日本。逆に現在、日本は「商品を作らなくてはまちをつくれない」というジレンマに陥っている。「商品でまちをつくる以外にまちづくりの方法を知らない」と言った方が正確か?都市のデザイン性を自ら無くす市民意識というか、住民意識というか、行政・商品を売る人たち・商品を買う人たちが、こぞって住環境の商品化を行い、もちろんそのような商品の設計に携わる設計者は片棒どころか両棒担いでそういう状況を作り出すことに加担してきた。
未だに「51Cはすばらしい」と言われる所以は実はここにあるのではないか?戦後復興期の圧倒的な住宅難の中では「商品」を作っても買う人が居なかっただろうし、そんな「商品」よりも「住む場所」「暮らす場所」という濃密な「生活空間」が求められていた。「サードプレイス」も「まちなか居住」もあえてそういわなくても当然生活に必要なものであり、わざわざ商品化して売る以前の「生活を成立させるための要件」であった。
人々の生活要件に応えるためにはどうしたら良いか。当時の住宅供給公社と建築計画研究者、そして集合住宅設計者は必死に考えて、しかもショートスパンで人々が求める住空間を次々と「供給」していったのだと思う。
現在は、人々の「住要求」「ライフスタイル」などを「需要」ととらえ、経済原理の中で「人々」は「消費者」あるいは「購買者」として位置づけられ、それに応える「商品=マンション」が開発され、「供給」されている。しかし、その間に大切な何かが忘れられ、社会全体がこのような状況に麻痺してしまってはいないだろうか?
戦後復興のめどがつき、一応ほとんどの人々が「住む場所」「暮らす場所」を得て、高度成長期に入り、住空間の変容・家族の変容が都市部で起こってきたときに、もう少し先を見据えた、ロングスパンの都市のデザイン性のような議論をやりきれないまま、バブルに突入し、商品をつくることが是とされ、経済が廻ることが是とされ、その中で高速走行することに慣れてしまったこと。これが社会全体の麻痺状況だと考える。つい最近までのマンション市場の活況。それに対して手のひらを返すがごとく、昨年上半期にはもう「マンション市場は既に氷河期」と言ってのける不動産評論家。人々の生活の器を株取引のように市場化してよいものだろうか?
もちろん、1960年代、既にまちなみや都市についてのさかんな議論が繰り広げられている。しかし、「現場で建物をつくっている大多数の設計者」にこれらの議論が十分に取り込まれなかったことは確かであろう。建築計画研究者の責任も重いが、建築設計者の責任も重く、とりわけゼネコン設計部やハウスメーカーの設計者の責任は重い。そして、マンション事業者やディベロパーの責任はもっと重い。(D)
商品でまちをつくって来た戦後の日本。逆に現在、日本は「商品を作らなくてはまちをつくれない」というジレンマに陥っている。「商品でまちをつくる以外にまちづくりの方法を知らない」と言った方が正確か?都市のデザイン性を自ら無くす市民意識というか、住民意識というか、行政・商品を売る人たち・商品を買う人たちが、こぞって住環境の商品化を行い、もちろんそのような商品の設計に携わる設計者は片棒どころか両棒担いでそういう状況を作り出すことに加担してきた。
未だに「51Cはすばらしい」と言われる所以は実はここにあるのではないか?戦後復興期の圧倒的な住宅難の中では「商品」を作っても買う人が居なかっただろうし、そんな「商品」よりも「住む場所」「暮らす場所」という濃密な「生活空間」が求められていた。「サードプレイス」も「まちなか居住」もあえてそういわなくても当然生活に必要なものであり、わざわざ商品化して売る以前の「生活を成立させるための要件」であった。
人々の生活要件に応えるためにはどうしたら良いか。当時の住宅供給公社と建築計画研究者、そして集合住宅設計者は必死に考えて、しかもショートスパンで人々が求める住空間を次々と「供給」していったのだと思う。
現在は、人々の「住要求」「ライフスタイル」などを「需要」ととらえ、経済原理の中で「人々」は「消費者」あるいは「購買者」として位置づけられ、それに応える「商品=マンション」が開発され、「供給」されている。しかし、その間に大切な何かが忘れられ、社会全体がこのような状況に麻痺してしまってはいないだろうか?
戦後復興のめどがつき、一応ほとんどの人々が「住む場所」「暮らす場所」を得て、高度成長期に入り、住空間の変容・家族の変容が都市部で起こってきたときに、もう少し先を見据えた、ロングスパンの都市のデザイン性のような議論をやりきれないまま、バブルに突入し、商品をつくることが是とされ、経済が廻ることが是とされ、その中で高速走行することに慣れてしまったこと。これが社会全体の麻痺状況だと考える。つい最近までのマンション市場の活況。それに対して手のひらを返すがごとく、昨年上半期にはもう「マンション市場は既に氷河期」と言ってのける不動産評論家。人々の生活の器を株取引のように市場化してよいものだろうか?
もちろん、1960年代、既にまちなみや都市についてのさかんな議論が繰り広げられている。しかし、「現場で建物をつくっている大多数の設計者」にこれらの議論が十分に取り込まれなかったことは確かであろう。建築計画研究者の責任も重いが、建築設計者の責任も重く、とりわけゼネコン設計部やハウスメーカーの設計者の責任は重い。そして、マンション事業者やディベロパーの責任はもっと重い。(D)