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アトリエダイズ

アトリエダイズの活動報告

集合住宅はお好き?-002

2009-11-03 | Architecture
 「まちなか居住」。地方都市において「都心居住」と呼ぶことの気恥ずかしさからか、このような呼ばれ方をされるのだが、最近「まちなか居住」を謳い文句とする「商品」としての「マンション」が出現している。「サードプレイス」を謳い文句とする商店(商業建築)が出現したときには、ある種の合理性もあって納得したのだが、どちらかと言えば「非マンション的なもの」を目指し、「都会でどんどん建っている高層マンションとは違うかたちで、中心市街地で生活することを意図した集合住宅」という意味で「まちなか居住」と呼ばれていたものが、こうもあっさりと「商品化」されたことに残念な想いを抱いている。
 商品でまちをつくって来た戦後の日本。逆に現在、日本は「商品を作らなくてはまちをつくれない」というジレンマに陥っている。「商品でまちをつくる以外にまちづくりの方法を知らない」と言った方が正確か?都市のデザイン性を自ら無くす市民意識というか、住民意識というか、行政・商品を売る人たち・商品を買う人たちが、こぞって住環境の商品化を行い、もちろんそのような商品の設計に携わる設計者は片棒どころか両棒担いでそういう状況を作り出すことに加担してきた。
 未だに「51Cはすばらしい」と言われる所以は実はここにあるのではないか?戦後復興期の圧倒的な住宅難の中では「商品」を作っても買う人が居なかっただろうし、そんな「商品」よりも「住む場所」「暮らす場所」という濃密な「生活空間」が求められていた。「サードプレイス」も「まちなか居住」もあえてそういわなくても当然生活に必要なものであり、わざわざ商品化して売る以前の「生活を成立させるための要件」であった。 
 人々の生活要件に応えるためにはどうしたら良いか。当時の住宅供給公社と建築計画研究者、そして集合住宅設計者は必死に考えて、しかもショートスパンで人々が求める住空間を次々と「供給」していったのだと思う。
 現在は、人々の「住要求」「ライフスタイル」などを「需要」ととらえ、経済原理の中で「人々」は「消費者」あるいは「購買者」として位置づけられ、それに応える「商品=マンション」が開発され、「供給」されている。しかし、その間に大切な何かが忘れられ、社会全体がこのような状況に麻痺してしまってはいないだろうか?
 戦後復興のめどがつき、一応ほとんどの人々が「住む場所」「暮らす場所」を得て、高度成長期に入り、住空間の変容・家族の変容が都市部で起こってきたときに、もう少し先を見据えた、ロングスパンの都市のデザイン性のような議論をやりきれないまま、バブルに突入し、商品をつくることが是とされ、経済が廻ることが是とされ、その中で高速走行することに慣れてしまったこと。これが社会全体の麻痺状況だと考える。つい最近までのマンション市場の活況。それに対して手のひらを返すがごとく、昨年上半期にはもう「マンション市場は既に氷河期」と言ってのける不動産評論家。人々の生活の器を株取引のように市場化してよいものだろうか?
 もちろん、1960年代、既にまちなみや都市についてのさかんな議論が繰り広げられている。しかし、「現場で建物をつくっている大多数の設計者」にこれらの議論が十分に取り込まれなかったことは確かであろう。建築計画研究者の責任も重いが、建築設計者の責任も重く、とりわけゼネコン設計部やハウスメーカーの設計者の責任は重い。そして、マンション事業者やディベロパーの責任はもっと重い。(D)


集合住宅はお好き?-001

2009-11-03 | Architecture
 集合住宅の設計課題を担当している。設計課題は大学によって様々な違いがあり、住宅のほか、小学校や図書館などの公共建築、オフィスまである場合もあるが、住宅は「戸建住宅」と「集合住宅」の両方を教えている大学が多いのではないだろうか?私はたまたま、このうち「集合住宅」を担当することになっている。
 担当者としては、様々な集合住宅を学生に知ってもらうために、古今東西・新旧の集合住宅を「先進事例」としてコレクションし、セイムスケールでプリントし、「私が選んだ集住ベスト30」などと称して学生に配布したりする。この作業はなかなか楽しい。
 さらに、これも担当者の特権であるのだが、集合住宅設計を得意・専門とする建築家の先生を外部ジュアラーとしてお呼びして、ご講演をいただき、学生の最終作品についてご講評を頂く。こういうこともかなり楽しい。
 何十年か後、「先進事例」と「外部ジュアラー」に、「ゼネコン設計部やハウスメーカーの作品」と「ゼネコン設計部やハウスメーカーの設計者」が選ばれるようにならないかと秘かに思っている。
 「現場で建物をつくっている大多数の設計者」の代表として「ゼネコン設計部やハウスメーカーの設計者」が挙げられよう。彼らは、集合住宅(とりわけマンション)や都市、まちなみやまちなか居住、住宅地などに関する議論の場面で、どちらかと言えば否定的かつ批判的に扱われる場合が多い。
 「まちなみを作っているのは建築家ではなくゼネコンでありハウスメーカーである。」だとか、「日本のまちのデザイン性を底上げするには、ゼネコンやハウスメーカーのデザイン性を底上げしなくてはならない。」などと堂々と発言するお偉方を見るにつけ、お偉方の「上から目線」を苦々しく感じるとともに、それは確かにその通りであり、お偉方は大切な何かを忘れてはいないし、社会全体がどうあれ、経済の理屈や状況に麻痺してはいないのだと、その信念に敬服する。
 「現場で建物をつくっている大多数の設計者」の代表である「ゼネコン設計部やハウスメーカーの設計者」が、大学の集合住宅課題の先進事例の設計者として登場し、外部ジュアラーとして招かれる頃には、日本の集合住宅も、都市も、まちなみもまちなか居住も、そして住宅地も、現在とは比較にならない程向上しているのではないだろうか・・・。そして、否定的・批判的・上から目線で扱われることも無くなるのではないだろうか。そういう建築シーンを願う。(D)


オープンセット-001 オールインハウス

2008-02-16 | Architecture
 建築と言えるかどうかわからないが、空間の活気と悲哀、建築のコンバージョン、現役引退後の建築の運命などについて色々考えさせられたので、ちょっと不本意でもあるが、「オープンセット」について書く。第1回は「オールインハウス」。
 韓国ドラマや韓国映画は好きな方なのでよく見るが、イ・ビョンホン、ソン・ヘギョ主演の「オールイン」は実は見ていない。最終回だけなぜか見る機会があって、それでわかった「つもり」になり、今回済州島に行った際に、ロケが行われた「オールインハウス」にあくまで「城山日出峰のついで」で訪れた。
 そんな私の、いかにも気合の入っていない視線からの方がよく見えることもある。一見してこのロケ地、おかしい・・・。「オープンセット」として一戸建ての修道院を、こんな人里はなれた岬にわざわざ建築したドラマ制作会社の心意気には心打たれるものがある。ガイドブックには「ドラマの余韻がたっぷり残る」「小道具や衣裳もあり、カジノも体験でき、記念撮影も可能」と書かれてあり、確かにその情報に間違いはない。
 だが!私の冷めた目には、入口の「入場料3000ウォン」という文字の向こうのアルミ製(?)の彫刻群が飛び込んできた。よく見ると、「冬のソナタ」のヨン様とチェ・ジウ(抱き合い)、「大長今」のイ・ヨンエとチ・ジニ(抱き合わず)、そしてなんとその横のお土産屋の屋上には「ブラザーフッド」のチャン・ドンゴンとウォンビン(二人とも戦闘服)・・・。なぜ?ここはオールインのロケ地ではないのか?それもそのはず、「オールインハウス」は「韓国で最初の韓流記念館(?)」にいつの頃からかコンバージョンされたらしい。「オールインハウス」だからと言って、オールインだけではもはや持たないのか・・・。こういうのを便乗商法というのか?
 我々が訪れたのがちょうどソルラルの頃だったので、韓国人や中国人の観光客が多かったが、誰一人として入ろうとしない。不審に思い、入場料を払わず、横道をさらに進むと、なんと、修道院の中庭のマリア像の辺りまでただで入れる!マリア像の前には「有名なキスシーンがここで撮影された」ことを示す2人分の足形がある。横道と修道院の敷地を隔てる垣根は無残にも取り壊され、まるで略奪にあった家屋のよう・・・。さらに「ここでこのように撮影された」ことを示す空中カメラのオブジェがあるのだが、なんとカメラ台にはFRP製(?)の「足」だけが乗っている。ひざから上は無いのだ。シュール・・・。
 順路が示してあるので、それに沿ってもう一方の円形テラスに行ってみると、そこには太王四神記のヨン様のポスターや、ソン・イェジン、キム・ヒソンらのブロンズ像(似てない!)が所狭しと並べられている。そして、テラスに面するショップにも入れてしまう。入場料を払わずにここまで入れるということは、入場料を払った人はこれ以上いったいどこに入るのか?との思いで周囲を見渡すと、ありました!やっぱり!こういうときの定番。「ここからは立ち入り禁止」を示す、安っぽい後付けのぐるぐる巻きロープ。ここには本来そのような境界表示は無かったはずだ。
 つまり、当初は入場料を払って建物内部およびマリア像の中庭、円形テラス、ショップなどを楽しみ、「オールイン」の世界に浸るはずの「オールインハウス」が、あまりにも客が入らないのか、テコ入れが必要になり、困ったときのヨン様頼み!ついでにチャングムも!!ということで彫刻が設置され、じゃあ「韓流記念館」だね!ということになった模様。その前かその後かは定かではないが、悲しいことに台風の被害にも会い、空中カメラのカメラマンのひざから上は海に飛ばされてしまったらしい。垣根もその時壊れたのか?でも、その後修復せず、もう入場料払わないでも建物外部は入れるようにしちゃえ!と誰かが言ったのか、今では無法地帯・・・。結構みんなブロンズ像と写真をとったりしていたが、入場料を払って建物内部まで入る人は皆無であった。
 しかし!ここはツアーのコースにも入っており、観光バスで乗り付けた日本人がガイド・ツアコンの言いなりで入場料を払って入っているようである。こういうことは気合の入っている人の目には入らないのであろう・・・。まあ、これ以上は好みの問題なので、なんとも言えません・・・。
 建築には「コンセプト」があるべきだと思う。それが空間と対応している方が望ましい。さらにその空間と人々の生活、活動が心地よく協調すべきであろう。しかし、どうしようもなかったのか?この「オールインハウス」という建築のコンセプトは「オールインのためのオープンセット」であったはずだ。おそらく撮影中が最も輝いていたはずだ。それが今、現役を退き、第2、第3の人生ならぬ「建築生」を歩んでいる。その姿は・・・。私の目にはなんとも言えない「悲哀」として映った。(第2回は太王四神記のオープンセット場「猫山峰」。)(D)

建築における研究と実践の関係-001

2008-02-16 | Architecture
 前にも書いたが、私の研究室では卒業論文と卒業設計の両方を課している。「どちらがウエイトとして高いんですか?」という質問をよく受ける。ある学生から見ると私の研究室は卒業論文の方がウエイトが高いように見えるらしく、私が「その両方を100%の力で行うことに意味があり、したがってフィフティー・フィフティーだ。もっと正確に言うと、ハンドレッド・ハンドレッドだから、2倍の時間と労力をかけることかも知れないよ(笑)」などと説明しても、なかなか浸透しない。
 90年代後半の日本の建築系学科では色々な動きがあり、その一つとして「卒業論文か卒業設計のどちらか一方で卒業研究とみなす」という動きがある。もちろん、今でも卒業論文と卒業設計の両方を課して卒業研究とみなしている学科はたくさんあり、すべてそうなったというわけではない。しかし、「どうして両方を課すことが良いのか?」と理由を尋ねられた場合、明確に答えられないことが多い。それでも、多少の理論武装をしながら、この問いには明確に答えなくてはならないと思う。
 大学全入時代の昨今、「学生の負担軽減」「学生ニーズへの応答」などというきわめてわかりやすい名目のもとに(本音は教員の負担軽減もあると思う)、卒業論文か卒業設計のどちらか一方で卒業研究とみなす動きは、純粋な建築学科はともかくとして、複合学科においては抗いがたい事実である。この点、全く「ゆとり教育の弊害」に対しての危機感が無さ過ぎる。建築士試験の受験資格を得るための大学教育カリキュラムの見直しなどを横目に見ても、同様の感である。
 私は、建築が生来持っている「総合性」を考えれば直感的にわかる、と考えている。直感でしかないが・・・。芸術大学や美術大学における卒業制作、工学系における卒業研究、その両方が建築にはそもそも必要なのだ。前者だけを行う者は建築の社会性や論理性を修得する「チャンス」を逃す。後者だけを行う者は、建築の芸術性や実践性を修得する「チャンス」を逃す。直感的に書くとこうなるのだが、これで「はいそうですか。」と理解される程状況は甘くはない。もう少し理論武装しなくてはならない。
 現在、建築学会において、意を同じくする同世代の研究者とともに「計画実践とデザインの論理」を議論するプラットフォームを立ち上げ中である。そこがすなわち、卒業論文と卒業設計の両方を課す意義を説明する理論武装の場、とは必ずしもならないが、この問題は、研究と実践が乖離してしまっている現在の状況にどこかでリンクしているように思う。
 篠原一男は、著書「住宅論」のあとがきで「論文を書くことは私にとって建築をつくることとまったく変わらない仕事であった。」と述べている。この言葉の意味するところは重く、また決して誤用してはならない。同じことだから1回やればよいのではない。同じことを同じと実感するために、その両方を100%の力で行わなくてはならないのであり、そのためにかかる「2倍の労力と時間」を惜しむようであれば、建築の持つ総合性の深淵には到底気がつかず、建築の定義もできず、結局「チャンス」に気がつかず、ただ大学を卒業しただけ、という悲しい時間の使い方になってしまう。本当に両方を100%の力で行えば、おそらく「2倍の労力と時間」は「見た目」に過ぎなかったことに気がつく。それが建築における「等倍の労力と時間」である、と気がつくはずである。
 かつてゼネコン設計部に勤務し、現場や開発部門での経験もあり、今は建築計画を専門とし、都市計画や都市デザインにも取り組み、構造の講義・演習をも担当する私は「無理すんなよ(確かに忙しいが無理ではないし・・・。)」とか、「やりすぎだ(でもそれも含めて建築でしょ?)」とか、時には「スーパーマン(これは正直嬉しかった・・・。)」などと言われるが、今に始まったことではない。そういえば、これらのキャリアを積む前、すなわち学生時代から母校(第1)の先生からは「欲張り」と言われていた。ある先輩は「やりたいことは全て建築の中に入っている。」と言っていたが、これが建築の持つ総合性の深淵(泥沼?)を理解した人の言葉だと思う。その先輩、本当にどっぷり浸っていて、アディクト状態。年賀状で相変わらずの状態を毎年確認している(お互い?)。(D)

計画学なんていらない?

2006-09-01 | Architecture
 建築計画とか都市計画とか農村計画とか家族計画とか、他にも設計、とりわけ建築設計、都市設計、人生設計・・・。「計画」「設計」は私の専門分野であるが、養老猛司氏の「超バカの壁」の一節に、「ああすればこうなる」式と一蹴(もちろん批判ばかりではないのだが)される局面があった。
 かたや、私自身、建築計画と集落の関係性について「建築計画は集落を超えることができるか?」というテーマの論考を続けている。この対置において、もちろん「集落」は「自然」である。かねてから養老氏は都市化はほとんど「脳化」「意識化」と同義であると前著でも言い続けてきており、それについて、私は専門分野からかなり気になっていた。機会があれば対談したいくらいだ。養老氏でなくとも、「集落」は「都市」よりも「自然」に近く受け取られるであろう。 
 計画や設計は、確かに「ああすればこうなる」式の考え方をわかりやすくまとめたものである。計画図・設計図はそのまま実行(施工)すれば、「こんなものができる」ことを保証する。料理のレシピもそうだ。われわれはその中に見える一種の「美しさ」や「論理」を価値として認めてきた。しかし近年、「ああすればこうなる」式の計画・設計は面白くないという冷めた視点があるのは事実だ。かくいう私も、「ああすればこうなる」式の計画・設計に価値の全てを置く態度は気に入らない。現実の、たとえば建築や都市の設計・計画はそんなに単純に「ああすればこうなる」式に作られているわけではなく、そうならないこともあることをわかったうえで「ああすればこうなる、と言われている」くらいに考えている。携わったことのあるひとはすぐにわかるが、専門外、携わらない人にとっては「ああすればこうなる」式、すなわち旧来の建築計画、都市計画の手法で作られていると判断しても無理は無い(余談だが、4組に1組が「できちゃった結婚」である昨今、「家族計画」など成立してはいない。かつての人生設計・家族計画はもう無いのかもしれない。かつての建築計画・都市計画がもはや無いように。)。
 養老氏は、「ああすればこうなる」式の考え方を「意識中心社会ならではの考え方」とし、「子供の問題」というチャプタの中で語っている。子供は自然であり、少子化は都市化と並行して進展し、子供や自然の価値を低下させてきたから、と説明している。
 21世紀は「環境の時代」「福祉の時代」といわれる。人間回帰的というか、自然回帰というか、養老氏的に言わせれば「もう脳化はやめよう。人間として自然な「身体」を信じよう。」という時代の雰囲気がある(人生設計・家族計画なんてやめちゃえよ!ってこと?)。そんな時代において、「計画」も、さらには「設計」も、そして「建築」さえも、「ああすればこうなる」式の考え方と、それに携わっていない人には単純に思えるのであろう。そのための知の蓄積である「学問」なんて、もういらない?すなわち、「計画学」、「設計学」、「建築学」はもういらない?まさに私自身、こういう空気と戦っている。素人は恐ろしい、とどうしても言いたくなる(D)。

建築的言語

2006-02-07 | Architecture
 ずいぶん前から気になっていたことで、既に何人かの人にはお話したが、言語には建築的言語と非構築的言語があると思う。
 建築的言語とは、構築的で説明的であり、論理的にその内容が理解できるよう配慮された言語である。
 一方、非構築的言語は直感的、感性的であり、包括的である。
 何の話?と首を傾げたくなるが、何も難しいことではなく、海外旅行でレストランに入るたびに感じてしまうことなのだ。
 フランス語やイタリア語は恥ずかしいことに堪能ではない。ただし、自ら食するものに関しては一定の緊張感も伴うので、レストランに入ったときは比較的集中してメニューを読む。フランス語やイタリア語で書かれたメニューであっても、まずそれが肉か魚かはすぐにわかる。それらを示す単語は最初か2番目だ。その次に「なんとか風味」とか「どこどこ産」という単語が続き、たいがい野菜の名前が添え物として続き、ソースの種類が続く。(その手の専門家の方にはいろいろ言いたいこともあろう。順番が違うとか・・・。)
 つまり、何をどういう風にとってきて料理して、どういう味がするか、メニューを見ただけで想像できるように配慮されているわけで、さながらメニューは建築で言うと設計図のようなわかりやすさである。もちろんオーダーメイドの場合は「塩は多目」とか、「胡椒は少な目」とか、焼き方も「ウェルダン」とか申し添えることができる。
 翻って、日本。蕎麦屋に入って、かけそば、もりそば、ざるそば、天ぷらそばはまだ良いとしよう。かろうじて、「かけ」はわからんが「そば」だろう、「そば」が「もって」あるのだろう、「そば」の上に「ざる」がのせてある料理?そばのフライ?などと勘違い(いや、想像)しながら料理が出てくるのも悪くない。しかし、「カツ丼」はどうだろうか?これを外国人が見て、想像できるだろうか?言われてみて、いや目の前に出されて初めて、それが「肉料理がご飯の上にのっているもの」だと理解するのではないだろうか?非建築的言語とはそういう不親切さが伴う。
 そもそも、「カツ丼」を「豚肉のフライ、パン粉と卵和え、醤油風味、たまねぎとライス添え、三つ葉つき」などと表現していては、たとえ建築的で親切であっても慣れている人にはかったるいことこの上ない。いちいちそんな長ったらしいメニューを注文したくもない。いわんや「ころも多目」とか「つゆだく」などと申し添えることができるのはファーストフードのお店だけであり、たいがいの店はそんなことは聞き入れない。そこが日本が島国・村社会といわれるゆえんであろうか?
 そう考えれば、韓国は半島ではあるが、大陸文化を色濃く残す地域である。「ビビンバ(ップ)」の「ビビン」は「混ぜる」、「バ(ップ)」は「ご飯」、がわかれば、次に「クッパ(ップ)」に出会ったとき、「ご飯が入っているのだろう」と想像できる。沖縄は島国だが、「ゴーヤチャンプル」も同じ理屈で「ゴーヤの混ぜもの」だから「フーチャンプル」や「ソーミンチャンプル」に出会っても「フーの混ぜ物」「ソーミンの混ぜ物」だと想像できる。
 日本には、日本人でも想像できない食べ物が多すぎる。「ばってら」が正確にどのように「建築」されているか理解できている日本人が何人いるだろうか?
 都市は多様性を特徴のひとつとする。都市である以上、そこでのコミュニケーション手段である言語には、ある程度説明的で配慮が必要であると考えられるが、実際の日本の都市はきわめて「非建築的」な言語によって、しかも申し添えをも排除していると言えないだろうか?もしくは、つい最近まで、日本の都市は排他的であっても存続可能であったと言えないだろうか?
 その都市の言葉はその都市の性質を表す。敬語のない都市が未だに日本各地に存在する。地元の人でない人に対して充分排他的で不親切であることは言うまでもない。(D)

佐々木睦郎展

2005-08-02 | Architecture
 友人のオープンハウスのあと、かねてからチェック済みの佐々木睦郎展に行ってきた。興味無いわけが無い。ストラクチャルコンシャスな建築が大好きな私だ。建築を「箱物」と呼ぶ人たちや、無意識に最初からラーメンで考えようとする人たちに疑問を覚えている。もっと引っ張ったり、押し上げたり、縛ったり、吊り下げたりしたらいいじゃん!?
 会場では、私の予想に反して、ビデオモニターの前にずっと無言で座り、食い入るように眺めている学生らしき若者がたくさん。素晴らしい!安藤忠雄ももちろん良いのだけど、建築の建ち方はそれだけじゃないからってことは、もうこの世代の常識なのね、とほほえましく思う私はもうおじさんか?
 会社勤めを始めて何年かは東京が珍しく、ほぼ毎週末カメラ(今のようにデジカメではない。)を携えて街をぶらぶらした。また、建築家の講演会・セミナー・展覧会などは平日にも行った。その後また職場に戻ることになるんだけど・・・。
 会場のギャラリー間も、何度も足を運んだところだが、今では1階の衛生陶器・器具のショールームがとても充実しているのに驚かされた。ここでもなぜか名刺交換・・・。
 最後に表に出て、缶コーヒー飲みつつ、建物外観を見上げた。この外壁アルミパネルも少しデザインすればいいのに・・・と余計なことを考えつつ。腰掛けたのはマンションの花壇の縁で、歩道の端っこだったけど、乃木坂ってなんとなくリッチな気分になって、今では好きな街の一つかな。(D)

オープンハウス

2005-08-02 | Architecture
 土曜日に、大学の同期Kさんの独立第1号となる住宅のオープンハウスが開催されたので、お祝い・見学に行ってきた。私自身も住宅改修中とあって、その情報収集も兼ねて。現地に着くと、これまた大学の同期2名(Oさん、Tさん)がちょうど帰るところだった。大学の同期でも一応久しぶりの場合は名刺交換。思えば今回ホストの彼を含めて、この3名の建築設計の実力は大学時代から抜きん出ていて、彼らに教わることはとても多かった。今でもこうして連絡を取り合い、お互い切磋琢磨していることに感動を覚える。早く建築雑誌をにぎわしてもらいたいものだ。
 Kさんはローコスト住宅と言うが、手作り感あふれる、なかなかの出来であった。生産緑地に接するロケーションが素晴らしい。
 それともう一つ、見切り、戸当たりなどの「枠もの」が極力排除されていることに興味を持った。「ゼネコンディテール」に慣れてしまっている自分を少々反省。こういうところには普通、「見切りがつく」「戸当たりがつく」「三方枠がつく」ということを、逐一疑いながら彼らは建築を作っている。
 プラスターボードの上1回塗りのしっくいにもびっくりしたけど、これはイタリアやスペインでは当たり前か・・・?生活しながら何度も塗りなおせばよいのかと妙に納得。このあたりも建築を「製品」とされ、施主からメンテナンスを求められることを予期したデザインに慣れてしまっているのだろうか?
 いやいや、ゼネコンで構築したスキルも、住宅設計に生かせるはず!Kさん、とりあえずおめでとう。Oさん、Tさんもがんばれ!また会いましょう。(D)

古民家改修-001

2005-08-02 | Architecture
 1~2年ほど前から、古い、空き家になっている住宅の改修の話が持ち上がった。とにかく見てみないと話にならないので行って見ると、「お化け屋敷」のような状態になっていた。それもそのはず、ほぼ20年ほど誰も住まない状態が続いていたのだ。庭などは竹・雑草などが生い茂ってしまい、ご近所にもちょっと迷惑。
 最初の仕事は「掃除」だった。雨戸などの建具類が開くかどうか調べ、外気を導入。庭は道具を買ってきてみんなで草刈をした。昨年はそんな感じで実際に何をどうするという話にはならなかったが、今年に入って話が具体化しだした。どこから手をつけるべきか、工務店は何処に頼むか、など。
 この家は、昭和15年に建てられた在来木造住宅を母屋とし、昭和40年代に2階建部分が増築されている。今回は増築部の改修をして、徐々に母屋のメンテナンスを進めようということになった。
 それにしても、母屋の在来木造住宅は、日本の木造住宅の力量感・伝統を感じるに十分。最近はこの界隈は解体→更地化→分筆→ミニ開発・ミニ戸建という「切り売り」が盛んであるが、ぜひとも「再生」と言う形でこの古民家を現代によみがえらせたいものだ。内部は現代生活にマッチした工夫を施して・・・。
 この夏・秋は、まず増築部の改修に力を注ぐ。何度も掃除したり、打合せしたりしていると、私にとっても愛着が涌き、アイデアも出てくる。最初は「お化け屋敷」と感じた家も、何度も足を運んでそこで過ごしたり、考えたりする時間の積み重ねで、自分にとって愛着のある場所になってきた。
 目下、工務店との改修デザインの詰めに忙しく、8月は一つの正念場である。(D)

清家清展

2005-08-02 | Architecture
 昨日は一応(?)仕事で久々に建築会館に行ってきた。以前勤めていた会社を辞めたとき、半年間、自分の図書館(お気に入りの場所)のように使っていたので、今でも行く度に懐かしい。昨日は中庭に「もし君がフラーだったら」の作品が展示してあり、入って右のホール側にもパネルなど展示してあった。とても面白く、自分も大学院生ならば参加したかったな・・・と、すべての作品をチェック。そういえば、同じ場所で何年か前、立体のフレームが作られたが、途中で反転してしまうというトラブルがあったっけ。こういう構造デザインは試行錯誤が面白い。
 仕事は午前、午後とあり、入って左側の建築博物館で「清家清展」をやっているのを朝チェックしていた私は、午前の仕事が終わってからすぐに昼食をとり、たっぷり40分ほどこの展覧会を堪能した。「図面に見る~」というサブタイトルどおり、日に焼けて何度も補修・書き直しされたトレペ(?)に書かれた図面は迫力十分!ちょうど実施設計がCADに移行する世代に当たる私からしても、手書きの図面はいいなあ・・・と15センチくらいまでがぶりよって見つめる。
 特に良かったのは、「斉藤助教授の家」と「小原流家元会館」。解説は専門家に任せるとして、とにかく一見の価値あり。個人的に特別に感じたことは、前者の家のファサードの繊細さが図面の1本1本の線からも感じられること。戦災で消失した住宅の残存基礎を巧みに利用して、接ぎ木的に住宅を建てるなど、一気にこの住宅、清家さんのファンになってしまった。
 展覧会自体は無料だったこともあり、帰りに「斉藤助教授の家」の1/80スケールの折り紙建築キット(?)を買ってきてしまった。1000円。あちこちの土産物屋で「サクラダファミリア」「コロッセオ」などこういう類が売られているが、いつも買わない私も今回は例外。受付の人が、「清家さんのアトリエの人が作った。」と教えてくれた。
 「清家清展」は汐留の松下電工ミュージアムでも9月末まで開催されている。巨匠がまた一人逝去され、悲しい気持ちであるが、汐留にもぜひ足を運びたい。
 おりしも私、この夏は「移動畳」の実作に挑戦します。清家さんのものより幾分高さが高い仕様で、物入れと小上がり兼用です。時代とライフスタイルの変化でしょうか・・・。(D)