あたらしいあしたの日記

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断捨離と腸

2023-03-09 09:00:00 | モノ

ここのところラスボス級の品々の断捨離に取り組んでいるのだけれど

腸がなんかすっきりしない。

食べ物がよくなかった(思い当たりあり)?
ストレス(これも思い当たりあり)?

そんなとき、ふと思い浮かんだ、

「断捨離で抱える『罪悪感』が、腸の不調の原因」!?

 

断捨離しようとする誰もが感じるであろう
「まだ使えるものを手放すなんて」
という罪悪感、

この思考を乗り越える(切り替える?割り切る?)
ことがスッキリ生活への鍵になるのはわかってるけど

やっぱメンタル削られるよね。

 

私は陰陽五行説の考え方が大好きで。
この世の全てが5つのグループのどこかに属していて
お互いに影響し合っているというのが美しく。

腸と罪悪感は同じ白組さん、

早く済ませてすっきりしたいー☆

 

 


着物を買取に出しました、追伸

2023-03-03 19:00:00 | モノ

一つ前の記事

着物を買取に出したら
スタバのコーヒー一杯分にもならなかった
って話をしたけれど

忘れちゃいけないのは
業者さんにとっては

・発送用段ボール箱の代金
・ガムテープ(私は要らんかったけどね)
・段ボール箱の我が家への宅配便送料
・買取依頼品の宅配便送料
・スタッフの人件費
・転売もリサイクル転用もできない品の処分費用
・在庫保管に係る費用

少なくともこれだけの費用がかかっているし
在庫リスクもある。

ゼロ査定じゃなかっただけマシなのかもね。


さて
私の断捨離は次の品に移ってて
今日はアナログ時代の写真プリントの仕分け。

その写真を眺めたときに
笑えたりほっこりうっとりできるものだけ残して。

そしたら出てきた、
今回買取に出した証紙付西陣織の着物姿。

似合ってなかったわー、私!

着物も写真も手放して正解!
と自分で自分を納得させてます。


着物を買取に出しました

2023-03-01 09:00:00 | モノ

昔むかし、着付けを習ったことがあったんですが
覚えが悪くて途中で挫折。

私にとっては着付けイコール振り付けを覚えるようなもので
脳がうまくつながらないんですよ。

それはさておき
その当時、親戚知人から着なくなった着物がわらわら集まってきて
まぁそのうち着ることもあるかと
防虫剤やら防湿剤やら入れ続けていたものの

カビが生えたらどうしよう、とおびえ続けるのに疲れてしまい。

着物買取、
思い入れのない着物とはいえ
目の前で二束三文の値付けをされるのにはメンタル的にキツいので
送って査定してもらう業者さんに買取を依頼。

160㎝サイズの専用段ボール箱(ガムテープ付)を送ってもらい
着物も帯も小物も一切合切詰め込んで
いざ査定!

洋服でも買取価格が驚くほど安いのは経験済なので
はなから期待などなく
マイナス金額にならなければいいけれども
証紙付の西陣織はそこそこいけるんじゃないかなぁ
なーんて思ってたんですけど

いざ
一切合切合わせて
スタバやタリーズのコーヒー一杯分に届かない結果を見ると
(ドトールでは飲める、どうでもよい情報ですが)

胸のあたりにひんやりした感触が・・・

ま、私の要らんものは他人も要らんわな、
ということですね。

これで和ダンスに残るのは
訪問着と色無地。
そして・・・

喪服一式!
冬物夏物どっちもあるよー!

結婚したとき夫の親に作れと言われ誂えたものの
結局義親の葬儀にはレンタルで済ませちゃったんですよねー。
なので未だ袖を通しておらず。

今回の買取依頼の前に見かけたネットの書き込み:

「喪服は未着用であっても人に譲ってはいけない、縁起が悪いから」

こーいうのを迷信と割り切れられない私でした。

 

 


私が断捨離するのは

2023-02-21 12:00:00 | モノ

「断捨離」という言葉が世に出たのはおそらく2009年
すっかり一般名詞になりましたね。

あの当時
本の新聞広告を見て
「あぁ、私がしているのは『これ』なんだ!」

スッキリしたような
嬉しいような

自分の行動に簡潔な名前で定義付けされることだけで
心のもやもやが軽くなったことを
未だにはっきり覚えているけれども

それから十余年(遠い目)。。。


きっと私だけじゃないですよね。
モノを手放すのに踏ん切りがつかない人。

けれども
ここにきてようやく勢いがついたのにはいくつかの理由が。

十余年経って、劣化して使えなくなった品々があることに気付いたり
いつか来るらしい天災に備えて身辺をすっきりさせたかったり
視覚のノイズを減らしたかったり

一番の理由は
自分のモノはいつかは自分で始末しなければならないことに
気付いたから。
自分の人生が半ばを過ぎた今
その「いつか」がはるか遠い未来ではないことに
気付いたから。